第12話 世のためにならぬもの

 3


「カスミ。君に会わせたい人がいるんだ」

 バァル・グイツは相変わらず下卑た笑いを浮かべ、カスミの隣に腰を下ろした。

 今の雇い主とはいえ、契約さえなければぶん殴ってやりたいと常々思っているが、そこはカスミもプロ。金のためなら我慢できる。

 ここは東京郊外にあるグイツの別荘。長野や沖縄など各地に所有している別荘の一つだ。

 専ら日本政府の要人に会うときに使われている。

「総理に? 別に会いたくないわ」

「まあそう言うなよ。河埜総理もついでに来るだろうけど、もっと素敵な人が来る」

「ふうん」

 興味なさそうにそっぽを向くと、グイツはカスミの腰に手を回してきた。

「君は素敵だ」

「ありがと。ボス」

「素っ気ないね。でも、ぼくの気持ちはどうやら本物だよ。だって、君が昨日水神りつこと三島鋼刃を取り逃がしても、なにも咎めたりしないだろ?」

 こいつ――知っていたのか?

 動揺を悟られまいと、敢えて質問攻めしてみた。

「衛星から監視でもしてたの?」

「それもあるけどね。ぼくの力を見くびらない方が君のためだ」

 目の底にどす黒い光を見つけ、カスミは初めてグイツに対して恐怖を覚えた。

(気に入らない。いっそのこと、殺してしまおうか)

 本気で思ったわけではない。が、この男が生きていては、世界のためにならないことは薄々感じている。

 このときのカスミならグイツを殺せたはずだ。だが、そこまで思い詰めたものでもなかった。これが後々悔やむ羽目になることを、彼女は知らないでいた。

「カスミ。君を正式に我らの組織に招きたい。洗礼を受けてもらうよ」

「待って。そんなの契約にないわ」

「なぁに、たいしたことをするわけじゃない。組織の一員になれば、君はもっと上に行ける。ぼくの妻になれば最高なんだけどね」

「それはお断り。私は組織に属したりはしないの。あくまでフリーランスよ」

 グイツは鼻を鳴らした。

「まあ、無理にとは言わないよ。でも、彼に会えば考えが変わると思うけどね」

 返事はしなかった。ならば会ってやろうと興味が湧いたのである。

「グイツ様。河埜総理が来ました」

 SPの報告にグイツは通すように命じた。

 日本の首相が日本で一番の権力者ではないことくらいはカスミも知っている。しかし、ただの大金持ちであるバァル・グイツの呼び出しに馳せ参じるというのも情けない話だ。なによりグイツの上にも黒幕がいるらしいから驚きだ。世界はいったいどんな仕組みなのだろう?

 河埜次郎総理が指定の時間に遅れたことを詫びているのを眺め、カスミはしらけてしまった。

 普段は国民やマスコミに対して横暴なふるまいをしているくせに、グイツには頭が上がらないらしい。媚びへつらう者のあさましさを見せつけられ、なんとも言えない気持ちになる。 

「こちらのレディーは?」

 来たときからちらちらとこちらを気にしているのが分かったが、根っからの女好きのようだな。汚らわしい。

「カスミ。紹介しよう」

「無用よ」

 グイツと河埜は顔を合わせ、苦笑を浮かべた。

「気が強くて、ミスターグイツ好みですな」

 ふん。よくそんなおべんちゃらを言えるものだ。政治家というのは、太鼓持ちの才能が必要なのだろう。

 と、そのとき。

(むっ――?)

 予期せぬタイミングで、テレパシーが送られてきた。

(霧野カスミに告ぐ。水神りつこよ。世皇鋼刃があなたと決着を着けたいと言ってるわ)

(ふん。面白い。条件はわかっているわ。脳内チップだろ? 場所は?)

(新宿駅東口。三時間後、六時でどう?)

(承知した)

「揃ったようだな」

 突然、脳裏に響いた別の声にカスミは警戒を強めた。素早く周囲を見渡すが、部屋には三人しかいない。

 透身の術とは違う手段で姿を隠しているのか? 

 室内の空気が淀んだのを感じたとき、そいつがゆっくりと正体を現した。

「その女か?」

「はい。あと、こちらの……」

 グイツが河埜を指し示したが、そいつには寸ほどの興味も惹かなかったようで

「その男はいらぬ」

と答えた瞬間――鋭い爪が伸び、河埜の眉間を貫いた。

「我の正体を見たら生かして返すわけにはいかぬでな。すぐにレプリカントを用意する。ゴムマスクはグイツ、おまえが調達しておけ」

「かしこまりました」

 慣れた仕草で頭を下げるグイツから、普段からこのようなことが行われているのだと、カスミは合点する。

「さて」

 そいつが正面に立った。

 目と口がくわっと見開かれた。銀色の牙がシャンデリアの光を受けて不気味な光沢を放った。その口がどんどんと横に広がっていく。二対の目が別々に動くようになった。

 そして、身長二メートルほどの昆虫と爬虫類の合いの子のような悪魔へと変態を遂げると、決然とした足取りでカスミに向かってきた。

「やめろ」

 にらみつけた視線のすぐ先にそいつの無慈悲な目が光った。蛇の目だ。

 思わず息を呑んだ。

 目を合わすと、たちまち惹き込まれそうになる。催眠術のように人の心を虜にしてしまう魔力がある。これは見てはいけない。

 黒いボディスーツが爪の一振りではだけ、胸を露わにしたのは、カスミが顔を背け視線をそらしたのと同時だった。

「そう嫌わなくてもよいではないか。時には女同士楽しむのもまた酔狂」

(こいつ、女なのか?)

 そいつの二股に分かれた舌先が乳房に絡みつく。

「な、なめるな!」

 カスミの右目が輝いた瞬間、そいつは背中をのけぞり咆哮を上げた。

 ナイフを持たせた変化身に背後から襲わせたのだ。

「化け物め。地獄へ落ちろ!」

 憤怒の表情を浮かべ、カスミは追撃する。常に隠し持っている短刀で、急所と思われる箇所を狙う。敵も反撃に移るが、摩狼怒と化したカスミは、相手の攻撃をすべて見切る。首の付け根に短刀を深く突き刺し、気合を込めてえぐる。捻りを加えつつ短刀を抜き取ると、緑色の体液が噴き出し、カスミとグイツに降り注いだ。

 顔にかかった液体を手の甲で拭い取ると、グイツを睨みつける。

「きさまらは終わりだ。私を怒らせたことが失敗だったな」

 腰を抜かし倒れこんだグイツに迫ると、この手の悪党の定番である命乞いを始めた。

「待て。俺は何もしてないじゃないか。俺はおまえに莫大な富を与えようとしていたんだぞ」

「言いたいことはそれだけか?」

「お願いだ。助けてくれ」

 あまりに憐れだった。もう少し意地を見せられないものか。カスミは摩狼怒を解き、グイツの顔に唾を吐いた。

「頼む。なんでもする。殺さないでくれ」

「却下だ」

 グイツは悔しさのあまり髪を掻き毟った。だが、その目的は自らのマスクを剥ぎ取ることだった。

 爬虫類の面が現れると、カスミを動転させるに十分な衝撃を与えた。

「おまえもか!」

 予想外の展開に、判断力が鈍った。一瞬の遅れが生じた。カスミの攻撃はグイツの爪が脇腹を貫いたのと同時だった。

   

 ※


 千景と深町は三島の里にしばらく身を寄せることとなった。結界で守られているとはいえ、場所を知られていることはあまりにも不利だ。

 グイツらの狙いはりつこではあるが、人質にされてはなす術がない。ここは、三島の忍び衆に護衛を頼むのが得策。

 そして、本来はりつこたちも里に匿ってもらうはずだったのだが、りつこや瑠々がおとなしく鋼刃の指示に従うはずはなかった。

 莉加の駆るウニモグは進路を変更し、新宿に戻ってきた。りつこの指示というより、わがままだ。

「りつこ様、私、奥様に叱られてしまいますわ」

「なぁに言ってんの、莉加さん! 鋼刃くんひとりに任せてたら、水神の名が泣くわ。それに瑠々ちゃんや雷くんだってこのままおめおめと逃げるわけにもいかないでしょ? ここで逃げたら一生後悔するかもよ?」

「でも、この車だと目立ってしまい、かえって迷惑になりそうで」

 莉加に言われて、りつこは車外に目を向ける。

 こちらを指差す者や、明らかに羨望のまなざしを送る者がちらほら。

(た、確かに注目されてるわね)

 ウニモグは東京でもかなり目立ってしまうらしい。

 これは迂闊だったかも。

 国道20号線、新宿駅手前の信号で停車すると、りつこは車を飛び出した。

「あとは適当にやって! あたしは行くから!」

「まじ?」

 莉加、雷、瑠々三人の疑問は同じだった。

 赤信号を無視し、りつこは雑踏の中を駆け抜ける。

 新宿駅と思い、入ったビルはルミネだったが(行かなきゃ!)という熱い衝動は誰にも、りつこ自身にも止めることはできない。

 待っててよ、鋼刃くん。応援に行くからね。

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