第3話 見張るもの

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 りつこの家は名もないような山の中腹にある。とはいえ、それほど高い山ではないから麓から車で五分も登ればたどり着く。しかし、常人にはたどり着くことさえ困難である。

 というのも、山道を途中で脇にそれるのだが、その分岐点を発見できないのだ。結界めいたものが張られているようだ。

 鋼刃ですら注意深く目を凝らさなければ見落としてしまうほどだった。常人にとっては、道なき道に入り込むようなものである。

「結界を張っているのは、りつこのお母さんなのか?」

「そうよ。でも、さすがね。結界が張られているって分かるんだから」

「正直ここまでとは思わなかった。おまえのお母さんもすごいけど、りつこも生き神さまと呼ばれるだけあって護られてるんだなって、感心した」

「不自由だけどね。それでも学校には通わせてくれるし、それなりに楽しんでるわ」

「そっかぁ」

 鋼刃は目を細めた。りつこの芯の強さの一端を垣間見た気がしたからだ。 

 午後四時を過ぎたばかりだというのに、すでに周囲が薄暗くなっている。鬱蒼と茂る木々が陽光を遮ってしまうのだ。

 そんな中、突然重厚な木の門が現れた。

 その前を通り過ぎ、屋敷を囲む長い土塀沿いを進む。

 裏の腕木門の脇に小さな板戸があり、その前に車が停まった。表門でないのは、鋼刃が正式な客人ではないからだろう。

 深町とはそこで別れた。

 りつこと板戸をくぐり、整備された庭園を歩くと、左手に渡り廊下が見えた。

「広いなあ。ここに何人で住んでるんだ?」

「両親、あたし、深町さん、あと女の子がふたり住み込みでいろいろと手伝ってくれてるの。この子たちがまた楽しくてね。後で紹介してあげる」

「ふうん」

 りつこの口調が優しくなってきたのは気のせいか。先ほどの戦いでボディーガードとしての実力を見直したのかもしれない。 

「うん?」

 威風堂々とした日本建築の、いかにも旧家といった立派な屋敷の玄関脇に女が立っていた。

 鋼刃は困惑した。この場所に似つかわしくない紫のチャイナドレスを纏っていたからだ。ただ、その女は美しかった。艶めかしい色香に鋼刃は落ち着きを失くしそうになる。

「母よ」 

「まじ?」

 りつこはこくんと頷いた。気恥ずかしい素振りがないところを見ると、これが普通なのだろうか。

「あら。りつこ、お帰りなさい」

「お母さん!」

 りつこが一歩踏み出したときだった。どこからか矢が飛んできたのだ。りつこを狙っていた。瞬間的に鋼刃がりつこの頭を抱き込み庇う。

 そして――りつこに当たる直前、矢は空中に停止し、そのまま浮いていた。

「護衛は一人でいいですよって言ったのに、慶蔵さんたら」

 りつこの母が微笑んだ。

「姿を現したらいかが?」

 眼がくわっと見開かれると、周囲の空気が震えた。庭の木々が揺れ、葉擦れの音が騒々しくなった。

 鋼刃は浮いたままの矢の方に向かって命じた。

「ばれちまってるよ。術を解け」

 りつこはきょとんとしていたが、その男が姿を現すとますます目を丸くした。体格は鋼刃より一回りほど大きく、ごつい。白装束で身を包み山伏のような雰囲気だ。

「ええ! どういうこと?」

 鋼刃はその男の脇腹を小突いた。

「ほら。自己紹介しろよ」

「天空雷と申します。三島慶蔵師範の命で世皇鋼刃のお目付け役として同行いたしました」

 りつこの母は苦笑し

「透身の術、なかなかのものでしたよ。無我にたどり着けば完璧になるわ」

「は、はい!」

 りつこが「あ!」と声を上げた。

「謎の視線の正体って、あなただったのね?」

「おそらく」

 雷がばつ悪そうに答える。

「ちょっと待ってくれ」

 鋼刃が割って入る。

「矢はあんたの指示なのか?」

 りつこの母は毅然と答える。

「そうよ。あなたの実力を計るためと、人の家に勝手に入ってきた不審者を暴き出すためにね」

「だ、だからといって、実の娘に当たったらどうすんだよ」

「あら。あの程度のスピードの矢をさばけない者を慶蔵さんが寄こすわけないでしょ。ちがう?」

 言葉に詰まる。さすがに口は達者だ。

「お母さん、そこまでにして。怒るわよ」

 信じられないことに、りつこのひと睨みで委縮してしまった。

「さ、お互い自己紹介して」

 りつこの笑顔が場の空気を和ませた。刺々しい母親も娘には弱いようだ。

「世皇鋼刃です」

 素っ気ないのは、りつこの母に対する警戒心だった。

「水神千景よ。景という字はね、はっきり見えるという意味を持つの」

「はあ」

 訊いてもいないのに、と思ったが、次の瞬間鋼刃は手を打った。

 そうか。りつこの母親は見る力が優れているのだと暗に教えてくれたのかもしれない。

「趣味はパンとかスイーツ作り。特技は薙刀、剣道、あと社交ダンスかしら」

「は、はあ」

「あ、最近はポールダンスも習い始めたのよ」

「そ、そうですか」

 よく喋る人だな。鋼刃は視線でりつこに助け舟を求める。

「困ったものよね。おかげであたしもレッスンに付き合わされちゃうんだよ」

 そうなのか? 見てみたい気もするが、生き神さまがそんな暮らしぶりでいいのだろうか。

 鋼刃の疑問を見抜いたかのように、千景が答える。

「今を楽しく生きる! が水神家のモットーなの」

 投げかけてきたウインクで鋼刃は頬を赤らめた。

「やだ。鋼刃くん、照れてるぅ」 

「ばか。そんなんじゃねえよ」

 横で聞いていた天空雷がたまらず吹き出した。

「こいつ、女が苦手なんですよ」

 りつこが得心したように、それを受け

「やっぱりね。あたしとも目を合わせようとしないもん」

「あらぁ。可愛らしいじゃない。でも、さっきから私の胸元とか太ももをちらちら見てるわよ」

 千景が品を作りながら体を寄せてきたので、鋼刃は反射的に飛びのいた。

「なんなんだよ! 俺は遊びに来たんじゃねえぞ」

「観念するんだな、鋼刃。おまえの役目は護衛といじられ役に決まった」

 雷が合掌し、念仏を唱えるように言うと、千景とりつこは爆笑した。

 鋼刃は大きくため息を突くしかなかった。

 

 ※


「なあ鋼刃。千景さんって素敵だな?」

「はあ? おまえ、熟女好きだったのか?」

「だって、色気むんむんだし、知的で凛としてて甘えさせてくれそうな包容力もあるし」

「ま、おまえはそれでいいや。気楽なやつだな。千景さんは人妻だぞ。何しにここに来た? だいたいなあ、師匠の指示とか適当なことぬかしやがって。おまえが勝手についてきただけだろうが」

「そう言うな。俺だって力になれるぜ」

 雷が頼りになることは確かだ。透身の術は千景には見破られたものの相当なレベルだし、戦闘術にも長けている。

「しかし立派な屋敷だな」

 しらじらしく雷が言う。

「うん。生き神さまの住む家って感じだな」

 離れに案内された鋼刃たちは、夕食の支度ができるまで待機するよう言われていた。

 雷がにやにやしながらすり寄ってきた。

「ところでよぉ、鋼刃、りつこちゃんに惚れちまったんだろ?」

 図星だが雷ごときに問われて、素直に認めるわけにはいかない。  

「応援するぜ。りつこちゃん、可愛いもんな。だからよお、俺と千景さんのことも応援してくれよな」

 こいつはどこまでお花畑なんだ? そこが雷のいいところでもあるのだが。

「お? いい匂いがしてきたぞ」 

 自然と鼻の穴が広がる。トマトを煮込んだような匂いにお腹の虫が鳴ったとき、りつこが襖越しに声を掛けてきた。

「ごはん、もうすぐよ」

「はい! ありがとうございます」

 雷が調子のいい返事をする。

「開けていい?」

「どうぞ」

と、鋼刃はクールに返事。

 襖が開くと、りつこが侍女を二人従えていた。

「紹介するね。鷺坂莉加さんと星海瑠々ちゃんよ」

「げっ!」

 鋼刃が息を呑むと同時に、星海瑠々が勢いよく抱き着いてきた。

「鋼刃さまあ! 会いたかったですぅ」

「こら。放せ」

 雷は一人爆笑し、りつこは状況がつかめないでいる。

「鋼刃さまが来るって聞いて、楽しみにしてたんだからぁ」 

 なおも鋼刃から離れない瑠々に、りつこの目が吊り上がった。

 察した雷が瑠々を力づくで引き離した。

「ふうん。知り合いだったの? ずいぶん仲がいいようね」

 一瞬にして場が凍りついた。平気なのは瑠々だけだ。

「はい。私と鋼刃様は将来結婚しようって誓い合った間柄なんです!」

「そう……よかったわね。じゃ、あたしは先に行ってるから」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 鋼刃は慌ててりつこの背中に声を掛けるが、振り返りもせずに早足で行ってしまう。

「ちがうんだ。説明させてくれ!」

 声は虚しく響くだけ。雷はそっぽを向いている。残された鷺坂莉加が気まずそうに挨拶する。

「あ、あの、お二人の世話、部屋のお掃除や洗濯などは私がしますのでよろしくお願いします」

 早口で言うと、小走りでりつこを追いかけた。 

 さて、瑠々はというと、鋼刃のそばから離れようとしない。

「まさかおまえがここにいたなんてな」

「会えて嬉しくてぇ、つい調子に乗っちゃってぇ、鋼刃さま、ごめんなさい」

「瑠々は、半年ほど前から千景さまのもとで修行させてもらってるんだ。知らなかったのか?」

 雷が告げると

「ぜんっぜん!」

 鋼刃は瑠々を突き放しながら、思い切りかぶりを振った。

「てかよ、そんなことは知らなくたっていいんだ。問題なのは、りつこに誤解を与えたってことなんだよ!」

「だって、私と結婚しようって言ったのは、ほんとのことでしょ」

 瑠々は引かない。

「ずっと前のことだろ。ガキの戯言じゃねえか」

「そ、そんなぁ……」

 瑠々の瞳がうるうるとし、目端から涙が零れ落ちてくる。

「鋼刃さまのバカ!」

「バカはおまえだ!」

「鋼刃さまの嘘つき!」

「おまえの空気読めなさすぎには呆れたわ!」

 こうなると収まりようがない。雷もおろおろするばかりで仲裁にも入れない。 

 すると、騒ぎを聞きつけてか千景が姿を現した。

「あらあら、瑠々ちゃんどうしたの?」

 瑠々は鼻をすすりながら、千景に頭を下げた。

「申し訳ございません。鋼刃さまに会って懐かしくってつい泣けてきちゃって」

などと咄嗟に嘘をつく。

 鋼刃にとってはありがたい。説明しようにも後々面倒になること必至だからだ。

 と、瑠々の視線を感じた。

 千景の胸に顔を埋めつつも横目でちらりとこちらを見ている。しかも、舌を出して。完璧に噓泣きだったようだ。

 頭に血が登ったので、思い切り睨みつけると、瑠々は小さく悲鳴を上げた、

(この野郎。あとでたっぷりと説教してやる)

 

 ※


 鋼刃とは視線をまったく合わせようとしないりつこだったが、雷や瑠々とは楽しげに喋っている。

(ちっ。なんなんだよ)

 雷が耳打ちしてくれたことによれば、瑠々がりつこにしっかりと事情を話し、深く詫び、りつこが納得してくれたという。

(ふん。どうせ瑠々のばかが適当に話をでっちあげたんだろうよ)

 食卓に並んだイタリアンをメインとしたワンプレートはとっくに平らげてしまっていた。

 トマトのパスタ以外は名前も知らない料理ばかりだったが、すべて鋼刃の好みで文句なしに美味かった。特に鶏むね肉に緑色のソースがかかったやつはおかわりしてしまったほどだ。

「お皿、片付けますね」

 しっかり仕事をしているのは、専ら鷺坂莉加だけだった。 

「これ、莉加さんが作ったんですか?」

「私は和食担当なんです。なんと瑠々ちゃんが作ったんですよ! 以前からいつか好きな人に食べさせたいんだって、すっごい努力してましたから」

「ふうん」

 鋼刃はできるだけ平静を保つように努力した。

「その人って、鋼刃さんのことだったんですね。納得しちゃいました」

(けっ!)

 心の中で毒づくしかない。

 と、いつの間にか隣に千景が腰かけていた。

「仲間外れになっちゃった?」

「そういうわけじゃないですよ。雷と瑠々の調子のよさは昔からですから」

 千景はくすりと笑った。

「確かに、そんな感じね」 

 りつこたちの様子を見つめる千景の表情は優しい。

「私はね、神様になれなかったの」

「え?」

 不意を突く意外な告白に、鋼刃は戸惑った。結界を張る能力や優れた眼力があるのに?

「未来を見る力が私にはないのよ。あと決定的なのは治癒能力のレベルが低いこと」

「りつこにはあるんですか?」

 千景は一瞬天井に目を遣り、ゆっくりと答えた。

「治癒力にはまだほとんど目覚めてないけど、未来を見る力はあるわ」

 未来を見る力が【生き神様】を決める定義なのだろうか?

「あら。知らなかった? 託宣、祓い、清めができればこの世では神様よ。なにも超能力を駆使したり、奇跡を起こしたりが神様ってわけではないわ」

 なるほど。そうかもしれない。

「でも、それがもとでいつも危険とは隣り合わせなんだけどね。悪い奴らも多いから」

「りつこは誰に狙われているんですか?」

 しばしの間が空いた。口にするのが恐ろしいといった迷いが感じられる。

「バァル・グイツ」

 千景の鬼気迫る表情に、鋼刃は戦慄した。

「……と彼を支持する支配層たちよ」

 その名前を聞いてもぴんと来なかった。

 バァル・グイツって――あのニューワールドコネクションの創設者のことか? 

「四日前にここに来たの」

 それは衝撃的だった。

「目的はなんだったんですか?」

「未来を見てもらうために決まってるじゃない」

 いつのまにかそばに来ていたりつこが、口を挟んできた。

 梟の鳴き声が聞こえ、室内の空気が引き締まる。

 鋼刃は生唾を呑み込んだ。

 

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