没落令嬢、ダンジョン経営で妹の政略結婚を叩き潰す
鍛冶屋おさふね
第1話 没落貴族のミリスティア
「いいですね? ミリスティア。フィッセルブルク家の長女として、家名に恥じない妻として、グルンバルド伯爵閣下を支えていくのですよ」
「はい。
生まれ育った邸の玄関で、動きづらいドレスの裾を指先でつまみ、膝を折って腰を折らずに恭しく礼をする。
今生の別れではないにせよ、一つの区切りになる挨拶だ。きちんと挨拶しておこうという気にもなる。
と、思って挨拶を述べていた私を華麗にスルーして、継母は駆け去る。
私のことは既に用済みということだろうか。
年甲斐もなく大きく開いた背中からキツい香水に匂いを漂わせる継母は、高らかな猫撫で声を張り上げて、従者の男に詰め寄っている。
「グルンバルド閣下にどうぞお伝えくださいまし。不出来な娘ではございますが、どうぞ末永くお側に。なにか粗相がございましたら、もうそれはすぐにお申し付けくださいまし、と」
「かしこまりました。邸宅まで私と雇いの冒険者が必ずや、お届けいたします」
「ところでご正妻様はこの娘よりも、その……オホホ。そういうことでございますけど? 最近はどうですの? 主に夜とか」
丸聞こえですわよ
没落したとはいえ貴族の端くれ。尚武の家と言われるフィッセルブルク家の奥方なのだから、貞淑さぐらい弁えて欲しいものだと思う。
とはいえ──尚武に寄りすぎて駆け引きや損得勘定が頭から飛んでしまうようなのもどうかと思うのだが。
ちらりと慣れ親しんだ邸を見上げる。
古ぼけてところどころ欠けた柱に、蔦が這った壁。歴史ある佇まいと言えば聞こえはいいが、要するに古くなっても建て替えや手入れに回す金が足りていないということだ。
我がフィッセルブルク家は困窮している。
原因はいろいろだが、状況で言えば娘を中年金持ち貴族の側室として支度金目当ての政略結婚に出すくらいには。
そしてその魔の手は、我が身のみならず最愛の妹にも迫ろうとしている。あと数年にはその悪夢は現実のものになるだろう。
「──し、失礼ながら、私めは護衛を主にしておりますもので……」
「あらいやだわ! オホホホ。──それでは娘は伯爵閣下の男らしさに夢中でございますとお伝えくださいまし。よろしゅうございますね?」
「かしこまりました。それでは我々はそろそろ──君たち、出発するから配置についてくれ」
それ以上の会話をあきらめて、継母はわが愛しの妹と義弟たちが並ぶ邸の玄関へと下がっていく。
ああ我が愛しの妹。麗しの妹。
姉様はきっと、貴女にこんな思いはさせないわ。中年を過ぎた男の第二婦人だなんて夢がなさすぎるもの。
従者に支えられて馬車に乗り込むと、駆け寄ってきてくれる麗しの妹。
そんなに走っては転んでしまうわ! 私のリュミエル!
「ミリスティア姉様! どうかお身体を大事になさってください。リュミエルは、ずっとずっと──姉様のことを大切に思っています。お手紙、書きますからお返事を下さいね? きっとお茶会も……」
母上似の青い大きな瞳からポロポロとダイヤモンドのような涙を流して、私の手を取って頬に寄せて涙ながらに言う私の最愛の妹。
白雪より白い肌に、銀鎖よりも輝く銀髪、そして青空よりも青い瞳のリュミエル。その見目麗しさは幼い女神にも勝るとも劣らないはず。
かわいい貴女に最高の幸せを私が掴ませてあげる。
私はそう誓いながら、妹の手を強く握りしめる。
「もちろんよリュミエル。リュミエルも元気でね? もうすぐ寒くなるから体を大事にするのよ? 私の宝物。世界で一番可愛い私の妹……」
「ミリスティア、リュミエル。さあ、出発の時間よ──」
うるさい継母だ。姉妹の感動の別れくらい存分に交わさせてくれないものか。
とはいえ、これから先はリュミエルを私が直接守ってやることはできない。継母を立てていくのもリュミエルにとっては必要な処世術になっていくだろう。
それはリュミエルにもわかっているのか、名残惜しげに手を放してそっと馬車から離れていく。
悲しみに暮れるその姿はもう本当に美しい。
涙をこらえてうつむく姿だけで吟遊詩人が歌を作り、画家が大作を描き、彫刻家は傑作を作るはずだ。
そうでないならそいつは芸術センスが死んでいると思う。間違いない。
「……はい。──ミリスティア姉様。どうかお元気で……!」
馬車に乗り、街道を運ばれていく私。
馬車の窓から何度も振り返り、邸の門まで見送りにきたリュミエルの姿を私は目に焼き付けた。
そして──私が乗る馬車は盗賊に襲われた。
それからまあ、何人か死んだのかしら? 多分。まああまり興味ないわ。
護衛を請け負うというのなら死を覚悟するのは当然。武器を持つ人間ならもって当然の覚悟だもの。そもそも妹じゃないなら別に……あまり興味がないわ。
それでまあ、私は盗賊のアジトに連れてこられ牢屋に入れられた。
きっともうすぐ襲われて、とりあえずまあ何? そういういろんなことをされるのかしらと思っていたのだけど……意外にも紳士的に放っておいてくれたわ。
どうやら本気で身代金目当てだったみたいね。
◇◆◇
土汚れと多少の血が付いたドレスを着たやたらと饒舌なこの娘は、俺の前で胸を張って、そのように事のあらましを宣った。
ここは我が肉体、アビス・ダンジョンの最奥。
ダンジョンの中枢たる、コントロールルーム。黒大理石の壁に、黒大理石の玉座。そして、レッドベヒーモスのカーペットが敷かれた支配者の間だ。
そのコントロールルームで、ダンジョンの核たる俺──つまり魔物の前で、よくもまあ堂々としているものだ。
まったく、肝が据わっているというかなんというか……。
「それで、私が今ここにいるってワケ。わかるかしら?」
「……いろいろ聞きたいことはあるが、とにもかくにも人間よ」
「何かしら?」
しかし、わけのわからない人間の娘だったとしても幻魔族の頂点として理に背くわけにはいかない。
「お前はダンジョンを踏破して、私の封印を解いた。幻魔族の頂点、アビス・ダンジョンそのものとして、お前の支配に従わねばならない」
「アビ……なんて? まあいいわ。っていうか支配に従うってどういう意味?」
「そのままの意味だ」
「じゃあ、私が死ねっていったら死ぬし、自爆しろって言ったら自爆するの?」
俺は眉間を押さえてしばらく黙る。
どうやらこいつは、俺が思っているよりもずっと混沌側なのではないだろうか。
おかしいな。
人間というのは秩序側の生き物じゃなかっただろうか。
「……──いや、支配とはそういうものだが、これはそういう事ではない」
「論理的に考えたらそういうことでしょう?」
「やめろ。方向が同じなら歯止めを無視するのは論理とは言わないだろうが」
「んん~……確かに。それは一理ある」
俺に向かって人差し指を振る人間の前で、やれやれとため息をつく。
そして腰に手を当てながら、指を突き付けて再度通告をする。これは理であり、契約であり、私という存在を規定する掟だ。
「とにかく、この箱の封印を解いたからには、アビス・ダンジョンの支配者だ。私はダンジョンの核。お前の望むままに、このダンジョンを使うがいい。お前の希望に応えよう。──で、質問は?」
「あなたを売るといくらになる?」
「あのな。私は封印されていて目覚めたばかりでな? しかも人間の市場での価値なんかな? わかるわけないだろう?」
「そうね。確かに」
いったいどうやって、こんな頭のおかしそうな人間の娘がこのアビス・ダンジョンの最奥に辿り着いて私の封印を解いたというのか。
見たところ勇者でもなければ、勇者一行の一員でもない。最深層まで潜るどころか、一階の踏破すら不可能なはずだ。
「大体だな? その花嫁に行く途中でさらわれたお前がだ。いったいどういう経緯でダンジョンの最奥であるこのコントロールルームに来て、私の封印を解いたというのだ。道理が合わないだろう?」
「知らないわ。このパズルを解いたらここに連れてこられたのよ」
ミリスティアとかいう娘は、背後を振り向いて、床から何かをぞんざいに拾い上げて俺に見せてくる。
サッとそれを奪い取って、手の中にあるそれをみて俺は目を疑った。
「なっ、これはダンジョン・マスターキー!? どこでこれを手に入れた!?」
「牢屋に落ちてたわよ?」
「なんでこのダンジョン最大の宝物が床に落ちているんだ」
「知らないわよ。それに、ダンジョンだなんて知らなかったもの。私は、なんか落ちてるなーと思って、それで拾ってみたらパズルみたいだったから解いただけ」
ま、まあ、手に入れた経緯はいい。
これはあくまでも通行パス。稀にだが手に入る財宝として配置していた。だからまあ、落ちているのはいい。忘れよう。
だが真の権能である、ダンジョン操作には組み上げるだけでなく中の魔力回路を導通させねばならない。その操作は極めて繊細で、嵌めるたびに刻一刻と変わる傾きを制御しながらピースをはめ込み、時には外さなくてはならない。
もしも導通に成功していれば、このマスターキーの裏面に目の紋章が──
「紋章が、光っているだと……!?」
「光っているからどうしたの?」
「──お前、これをどうやって解いたのだ!?」
「お前じゃなくて、私はミリスティアだって言ってるでしょ」
これは解くのに千年掛かると言われる三次元魔力回路だぞ!? 内部のピン全てを正しい位置に傾けて合わせ──ん? べたべたしているな……
「な、なんだこの、べたべたは」
「何って、ああ。それ? 小麦の粥と脂を混ぜた糊の残りじゃない?」
「────は?」
「そのパズル、なんか小さなピンが出たり入ったりするでしょ? 邪魔くさいから、一個一個確かめながら糊を付けて組み上げたの」
ね? 簡単でしょう? という顔で宣った人間、ミリスティア。
俺はその顔を見ながらぽかんと口を開けるしかなかった。
「でも、なんか薄汚かったし、そのうち臭くなりそうだから埋めたの。ほら、埋めたら隙間から虫とかが入って糊だけ食べていくでしょ? そしたら、忘れたころに光りだしてね。掘り出してみたらこうなったの」
俺は宝物として作りだしたはずのマスターキーを両手で包んで、あいつから遠ざけながら叫ぶ。どうしよう、なんだか涙が滲んできた。
「これは黒水晶でできた宝玉だぞ!! この奈落の最奥にやってくる宿敵にだなぁ!? 敬意を表して作った宝物であるぞ!?」
「そんな大事ならこの部屋にしまっておけばいいじゃない」
「もう莫迦ァ!! 鍵を中に閉じ込んでおく莫迦がどこにいるというのだ!!」
「鍵を外に置いておくのもバカでしょう?」
「ええいうるさぁい!! こんな素晴らしい宝玉に、粥と脂の糊を塗ったぁ!? 埋めて、虫にたからせたぁ!? 人間だろお前!? 人の心とかないのか!?」
「失礼ね。使えるものは何でも使うってだけよ」
愛おしのマスターキーを持つ手が震えてきた。
屈辱だッ! 俺の新しい主人はどうやら悪魔のようだッ!!
何こいつ怒ってるの? という顔にさらに腹が立ってくる。そもそもこいつのような女なら盗賊くらい手玉にとれただろう!
「このパズルが解けるんなら、牢屋の鍵くらいさっさと解いて出ていけばよかっただろうが! いったいどれくらいの間マスターキーをいじくりまわしてたんだお前! 暇だったのかバァカ!!」
「バカバカうるさいわねぇ……。 えっと、食事が6回だから……長くて6日かそこら? あ、でも生け捕りにして何かに使う人間かしら? じゃあ食事は朝晩で二回は入れるわね。じゃあ、3日?」
「──そんなバカな」
3日だと……? このパズルを解くのにたった、3日……? こいつ、化け物か何かか。もう呆れて言葉も出ない……いや、それ以上に……。
「というか、なぜ数え方が閉じ込める側なのだ……?」
「合理的に数えただけでしょ!? 人聞きが悪いこと言わないでよ!?」
なんだかもうやってられない気分になってきた俺は、封印されていた宝箱の上に腰を下ろした。
疲れた。
誰か俺をもう一回封印してくれないだろうか。
「はぁ……ああ、なんだ。いくらで売れる? だったか? つまり財宝が欲しいんだろう? じゃあ金銀宝石でも出してやろう。それを持ってどこへなりとも行け」
「へえ! やればできるじゃない。 じゃあどれくらい出せる?」
ヒョイっと宝箱から降りて、手のひらをかざして念じる。
想像するは、開封時の歓声。
金銀煌き、宝石輝く財宝の光。
我が力を見せてやろう、人間よ!
そして財の輝きの前に膝を折るがいい!
確かな手ごたえがあり宝箱に中身が満ちたことを感じ取った俺は、俺より少し背が高いミリスティアを見上げて、口の端を上げて見せる。
「開けてみろ」
「いやよ。支配されてるんだからあんた開けなさいよ」
「クソが」
ごちゃごちゃうるさいので、足でコツンと宝箱を小突いてやる。
すると、ガパン! と宝箱は開いて金色銀色の光が舞い散るように輝いた。
その内の絢爛豪華たるや! 宝を求める人間なら目の色を輝かせて持ち帰って遊んで暮らすことを求めるだろう。
さあ、これを持ってとっとと帰──
「なんだ。これだけ? うーん。ま、拾ったにしては悪くないけど。少ないわね。まだ出せるの?」
そう宣った人間の女、ミリスティアを見上げる。
「お前──お前の欲望は底なしか? これ以上出して、いったい何を買うつもりなんだお前は?」
「私が買うのは、妹の人生よ。こんな端金じゃ到底足りないわ」
バサァッ! という音を立ててドレスの裾をまくり上げた奴は、宝箱の蓋にかかと落としをして閉める。
そして、奴は世界に向かって宣言するように堂々と口を開いた。
「私に必要なのは、いくらかの金じゃないの。私に必要なのはね──」
ガンッ! という音を立てて宝箱に片足を掛けた奴は言葉を続ける。
「財を成したという事実。我が最愛の妹の自由な人生のために、政略結婚も気に入らない妹婿も、何もかもを薙ぎ払えるだけの──無尽蔵の莫大な財が必要なの」
そう言って彼女は爛々と目を輝かせる。
そして新たなダンジョンマスターはこう宣った。
「でもまだ出せるというのなら──もしかしたらできるかもね? 無尽蔵で莫大な財を生み出す”仕組み”を作ることが……。あなたの力、使わせてもらうわよ? おちびさん?」
かつて世界を焼いた恐怖の大迷宮は、今度は戦争ではない別の熱狂をこの地にもたらそうとしていた。
この、ミリスティア=フィッセルブルクの企てによって。
____________つづく
これは愛に生きるお姉ちゃんに振り回される元恐怖のダンジョンの物語
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