どろん天狗

@Natsutera0321

プロローグ

その日、天狗の本山「霧降ヶ嶽きりふがだけ」は、いつもと違う気配に満ちていた。


山を覆う霧は厚く、風はひとときも止むことなく鳴り響いている。

それは、"大妖たちが集うときにだけ起きる山の反応"だった。


山頂の広場には、ずらりと長老格の天狗たちが並び、その向かいには、狐、河童、鬼、付喪神など――各地の妖怪を束ねる長たちが席についている。


中央に座するのは、影のように揺れる存在。

妖怪の総大将、ぬらり皇と呼ばれるぬらりひょんだ。


ぬらり皇は会議の始まりを告げるように静かに話し始めた。


「諸君。遠方よりよく集まってくれた」


淡い声が広場全体に満ち、ざわめきが消えていく。


「――異界の揺らぎが強まっておる。

 このままでは地脈が裂け、人間界もただでは済まぬ」


狐の長が目を細めた。


「となると……

 “視察の使い”を向こうへ送る必要があるわけだな」


大天狗が腕を組んでうなずく。

ぬらり皇は続けて視察に必要な条件を強調した。


ぬらり皇は、ゆっくりと言葉を継いだ。


「うむ。まず、力のある者を向かわせてはならん。

 異界を余計に刺激するだけだ」


「求められるのは、慎重さと、気配を隠す術よ」


「そして──適応力だ。向こうの者と同じ姿になり、言葉を読み、環境に溶け込める者でなければならぬ」


狐の長がふっと笑う。


「……化けの術に長けた者、ということか」


付喪神の長もこの会議の意味を理解したのか狐と同様に笑った。


「だから、わざわざ霧降ヶ嶽の山での会議か」


天狗長たちが顔を見合わせる。


「天狗の中で化けの術といえば……」


「一人、心当たりがあるな」


「だが……あやつを“異世界視察”に?」


ざわめきが広がる。


ぬらり皇は、あたかも最初から決めていたように言った。


羽折はおりを呼べ」


場の空気がぴたりと止まった。


「……小天狗の子が向かうのか? あの、少し気弱そうな子ではないか」


「やはり…そうか」と言いたげな狐の長は静かに眉を寄せ、その声音には心底の不安が滲んでいる。


その隣で、河童の長が腕を組み、ぽつりと呟いた。


「いやぁ、今日はいないはずだぞ。下へ降りて、人間の町で遊んでるって話を耳にしたばかりだ」


途端に、天狗たちの間でざわめきが走る。


「この日に、下山を?」

「まさか……!」


重々しい声がそれらを断ち切った。

鬼の長が低く息を吐き、あきれたように首を振る。


「呼ばれていなかったのだろう。責めることではあるまい」


会議の場に、重苦しい沈黙が落ちた。

ぬらり皇は茶をすすり、静かに言い放つ。


「構わぬ。あやつが必要なのじゃ。すぐに探して連れてまいれ」


天狗の一団が慌てて立ち上がる。


「羽折を探せ! 山を下りた形跡は?」


「町の方へ飛んでいったと聞いたぞ!」


「よりによって今日……!」


 一方その頃。

当の本人・羽折は――人間の町の縁日で、焼きトウモロコシを頬張っていた。


「いやぁ〜、人間の祭りって最高だなぁ。

 あ、次は金魚すくい……変化解けないようにしないと……」


人間の青年に化け、すっかり満喫している。


その背後に、バサァッと大きな羽音が響いた。


「羽折!! 大至急戻れ!!」


「ひぇっ!? なんで!? 僕何かした!?」


「した! ……いや、してはいないが! 来い! 大至急!」


「説明して!? ねぇ!! なんで僕!!?」


こうして、異世界視察任務に指名されたことも知らずに祭りを楽しんでいた小天狗・羽折は、強制的に連れ戻されることになる。

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