07.命がかかっている

 ***


 肩で息をする。


 どうにか約束の時間内に辿り着いた。壺の持ち主・寺崎さんの自宅マンション一階でインターホンを押す。


『あれ、来たの⁉︎』


 寺崎さんは意表をつかれたように素っ頓狂な声を放った。逃げるに違いないと思っていたのだろう。


『三階の一番奥よ』


 オートロックの自動ドアが開く。エレベーターに乗っている間ずっと心臓が爆発しそうだった。まるで首吊り台に向かって進んでいくような心持ちで寺崎さんの家の玄関に到着する。


 扉が開くや否や、俺は全力で頭を下げた。


「この度は本当に申し訳ありませんでした!」


 どんなに言葉を尽くしても足りないだろう。仮に俺のカードが通りすがりの子どもに破られようものなら俺は怒り狂うを通り越して気を失うかもしれない。罪悪感で足が震えるなんて初めてだ。


「悪いけど、謝られても何の足しにもならないのよね……」

「は、はい……。大切な壺だったかと思いますし、本当にどうお詫びすればいいやらで……」

「あの壺自体に愛着があるわけじゃないの。一応親の形見ではあるけど、売ろうとしていたくらいだし。問題はお金なのよ……」

「……」


 壺を元に戻せるはずもなく、責任の取り方はきっちり弁償する以外にない。普通の方法では手も足も出ない金額だ。


 ────よって俺は、禁断の手段を選んだ。


 カバンの中からアクリルケースに入ったあるカードを取り出す。


「現金じゃないのが心苦しいんですが……、売れば百万円になる品を持ってきました」


 待ち受けにもなっている俺の秘宝。「魔界の意志」である。


 生涯売りに出すつもりなんてなかったから現在の取引額は詳しく知らなかった。調べたところ販売額は二百万前後だが、買取額は百万円ちょっとが相場のようだ。残念ながら全額一括返済とはならないにしても半分はクリアできる。


 ……ああ、喪失感で気がおかしくなりそうだ。俺は魂を失うのだ。


 帰ったら泣き崩れると思う。だが、こうしなければ人の道を違える気がした。水前を深く傷つけてしまった上に二百万の負債を抱えさせるなんて考えられない。


 この件は必ず俺が、俺一人で解決する。その覚悟でここまで来たんだ。今更折れるな。


「えぇっと……確かMOLとかいうゲームだったかしら?」

「知ってるんですか⁉︎」

「同業の知り合いが関わったことがあるのよ。すごく高価なカードがあるとは聞いたわ」


 話が早い。コイツの価値を信じてもらうのが一番のハードルだと思っていたのに。一応カードゲーム史上最も高値のカードとして名前だけはそこそこ知られているからな。PSA10(※鑑定済みの最高美品)が億単位で取引されてニュースになったこともある。


「ネットの個人間取引ならもっと高値が付く可能性はありますが、高価ですし偽物も多いので成立は難しいと思います。信頼できる専門店があるので査定してもらってください。万が一値段が付かなければ現金でお返しする方法を考えます。というか足りない分があるのでそれは──」

「ま、待って金ヶ谷君」


 寺崎さんは困った顔で俺の熱弁を制止した。


「あのね、そもそも未成年のあなたから保護者の許可なく高価な物を受け取るわけにはいかないの。ごめんね、私もさっきは気が動転していたから強く迫ってしまったけど、こういうのは良くないわ」


 諭すような口調で、寺崎さんは大人らしい言葉をかけてくれた。確かに、普段も俺は未成年故にカードの売買が自由にできず歯痒い思いをしている。現金化して持ってこられなかったのはそのためだ。


「未成年が結んだ契約は保護者の意思次第で取り消せる法律になってるの。私がこれを受け取って売ってしまったあとに親御さんがノーと言ったら、私は人の物を勝手に売った犯罪者になっちゃうのよ」

「そう……なんですか……」

「大体、あの壺が本当に二百万の価値があるか金ヶ谷君にはまだわからないでしょう? こちらがそれを証明して、納得してもらった上で親御さんと弁償に関する書類を交わさないと」

「な、なるほど……」

「それに、これきっとすごく大切にしているものでしょう? 絶対に弁償しなきゃって気持ちは伝わったから、一旦落ち着いて考えましょう」

「……!」


 なんて優しい人なんだ。二百万の壺を割ったクソガキにこの対応ができるか?


 さっきはものすごい剣幕で怒鳴られたから勝手に恐い人だと思ってしまっていた。だが違うんだ。どんな聖人でもブチギレさせてしまうような失態を俺がしでかしただけなのだ。これだけ良い人だと余計に胸が痛いな。


「……と、ここまでが大人として本来言うべき言葉ね……!」

「⁉︎」


 突如、寺崎さんの雰囲気が一変した。瞳孔が開き、脂汗もダラダラと流れ始める。え? 何だ一体?


「じ、実は私、明日の十五時までにどうしても二百万必要なの……! い、い、命がかかってるのよ……っ」

「命が……⁉︎」


 寺崎さんは俺の両肩をガシッと掴んだ。力の加減ができるような精神状態ではないらしく、爪が容赦なく食い込む。顔と顔を近づけ、鬼気迫る表情で俺に懇願する。


「借金しようにも二百万ポンと即日で借りるのは無理だったし、あの壺に頼るしかなかったのよ……っ。ねぇ! 本当に親御さんとは連絡取れないの⁉︎ 今すぐお金を用意してもらえない⁉︎」


 事情は知らないがとにかく本当にヤバい状況だってことがヒシヒシと伝わってくる。しかし俺には応えられないのだ。


「う、ウチは父子家庭なんですが、親父が船に乗る仕事をしているもので……。月末まで連絡も取れないんです」


 親父は現在電波のない遠洋を漂っている。俺は水前と違って親の介入も止むなし、というか当然だとは思っているのだが、今は物理的に話ができない。


「そんな……っ!」


 寺崎さんは真っ青な顔で硬直してしまった。何なら今すぐ天に召されてしまいそうな雰囲気すら感じる。クソ、俺のせいで大迷惑をおかけしているのに、俺には何もできない……!


 ただし。


 ────少なくとも、百万の価値があるものは今ここに存在している。


「……あ、あああのね、金ヶ谷くん」

「は、はい?」

「こここれ、ぜ、絶対ダメなんだけどね?」

「はい……」

「さ、さっきも言ったように、は、は、犯罪なんだけどね?」

「はい……っ」


 寺崎さんは髪を引っ掴んで苦悶の表情を浮かべながら、絞り出すような声で尋ねる。


「このカード、売ってもいい……⁉︎」


 そう、なるよな……!


 元々俺は覚悟してここに来た。迷惑をかけたのはこちらだ。俺が渋る理由はない。大体この流れで親父が寺崎さんを警察に突き出すはずもない。


「使ってください! 壺を割ってしまったこちらが悪いので、寺崎さんはそんなに気に病まないでください!」

「あ、ありがとうっ……!」


 俺は迷わず「魔界の意志」を手渡した。少しでも責任を取りたい。というか、これじゃ到底足りない。


「俺、残りは働いて返すつもりで来たんですが、明日までとなると……」


 このままでは寺崎さんをあの世に追いやってしまう。どんな事情なのか知らないがこれだけ血相を変えているとなると東京湾に沈められる感じの話なのかもしれない。もし俺のせいそんなことになったら──


「え? 残りは水前さんがもう置いていったわよ?」


 ──はい?


「さっき彼女も来たのよ。『結局私が払うことになったから』って。あの子も残りは自分で返すって言ってたわよ?」

「ま、待ってください! そんな話してませんよ⁉︎」

「そうみたいね……。君も来たからびっくりしたのよ」


 インターホンを鳴らしたときの意外そうな反応はそっちの意味だったのか。どういうことだ? 親に相談できるような状況ではないようだし、一体どうやって……。


「……っ! ま、まさか……」


 雷が落ちたような衝撃が全身を駆け巡った。


「あいつは……人形を置いていったんですか……⁉︎」


 水前は、を持っている。


「そうなの……! 私初犯じゃないのよぉ……!」

「そんな……!」


 なんってことだ。ミィを差し出したのか⁉︎ あいつはこの一件に一切の責任などないのに……!


「あいつは何分くらい前にここに⁉︎」

「五分くらいよ。まだ近くにいるかも……」

「す、すいません! アイツに急ぎの話があるので今日は失礼してもいいですか⁉︎」

「え、ええ。私も急いで明日に備えないとだから、後日また連絡するわ」


 俺は寺崎さんに別れを告げ、一目散に駆けた。

 ……冗談じゃない。水前、お前は気にするなと言っただろ。

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