第5話・アウリスの技師③
名前を呼ばれ、
庫内の温度が徐々に下がり、氷のように澄んだ寒気が染みる。
蒼葉はコートの前を掻き合わせ、冷気の伝う壁に沿って沈むように身を落とした。
「とか何とか言って、実質閉じ込められたな……。大丈夫か? 蒼葉」
蒼葉は声のする方へと鼻先を向け、自身の瞼を叩く――見えてないから、大丈夫。
フッと微かに微笑む気配。
衣擦れの音と、寄り添う熱。そのわずかな気配だけで、胸の奥がほどけた。
「さっきは先走って……本当、悪かった。
蒼葉は明司の肩に頭を寄せる。コートの生地が擦れて乾いた音を立てた。
「でも、お前はそうは思わなかったってことだよな? あいつらの声から、なにか感じたか?」
明司は蒼葉の特異な感覚にも根拠を見出してくれる。
機械にも心を寄せるくらいだから当然か、と。蒼葉は思わず噴き出してしまいそうになるのを堪えて、口元に手を添えた。
沈黙の中へ耳をそばだて、自分たちが立てる以外の音を探る。
蒼葉はそこまで確かめ終えて、ポケットの上からECHOに触れる。
起動する音が、空気を微かに震わせた。
『信じてくださって、ありがとうございます。ちゃんとした根拠はないですけど……でも、嫌な予感がしました。ECHOを渡してしまったら、すべてが終わってしまうような』
「たとえば、ECHOを取られて、望加も帰ってこない――とか?」
『その可能性もありますね。逆に、どうして明司さんは勝算があると思ったんですか?』
ウッ、と。息を詰まらせる音がする。実際、勝算があったところで成果を得られていないのだから、詰っているととられても仕方がない。
迂闊を反省しつつ、明司の返事を待つ。
「望加がいたところで、あいつらには技術がない。声を収録して、どうプログラムに組み込むか。知ってるのは俺だけだ」
『明司さん、だけ?』
「ああ。あいつらはECHOのリスクも把握してたからな。開発者がひとりだけなら生かすも殺すも思いのままだろ? 俺自身が、ECHOの重要機密ってわけだ」
喉の奥に重い塊が落ちるように、ゴクリと音が鳴った。逡巡の末に選ぶ言葉が、正しいかも分からない。
『そんな……明司さんは、人間なのに』
明司は、諦めとも慰めともつかない吐息を漏らした。決して明るくない、自嘲の色を帯びた音。
「ありがとよ。でもあいつらはそうは思ってない。実際、俺はあいつらに捕まる前にもいろいろとやらかしてるし、あいつらに握られてる罪状があれば実刑は免れない。世間で俺の味方をするやつはいねえんだよ。
俺はそれだけのことをしたって自覚してるし、逃げようとも思ってない。あいつらにとったら、俺は文字通り都合のいい機械なんだ」
一息に言って、明司はまた皮肉を込めて笑う。その音はまだ、生きることを諦めていない。
「だから、俺を呼び戻すような真似をしたのは望加を管理下においたからだと思ったんだ。技師としての俺が必要になったから。
それに、お前を危険に晒した時点で分かっただろ? あいつらはあんたのECHOをなんとしてでも手に入れようとしてる」
『その場合、彼らにとって不要なのはおれですね。生きててラッキーです。
あなたがおれを追ってきてくれたのは、自分を盾にしておれを守るためですか? エレベーターまで停止させて』
少しの間。喉奥で唸る息の音。
ガシガシと乱暴に髪を掻く音が続いて、最後は盛大な溜息で埋める。
「……今はあんまり、俺を善人みたいに言うな。それに、車の中でも言ったけど、あいつらにとってあんたを殺すことは最終手段だと思う」
――殺す、と。直接的な単語に背筋が冷える。
身寄りのない少年を拉致して、10年以上の年月を奪う企業だ。
どんな手段も、絶対にありえないとは言い切れない。
『おれの価値だって、わからないです。おれのECHOを手に入れたアウリスは、ECHOに残ったおれの生体データを使っておれに成り代わるかもしれないですしね』
「んなこと、できるわけねえだろ」
間髪を置かずに聞こえる否定。予想外の返答パターンに、ECHOが青を瞬かせる。
『技術的な話ですか?』
「違えよ。ECHOは、人に寄り添う機械だ。使用者あってのECHOなんだ。
有栖がECHOを使ってあんたの音楽を再現しようとしたってできるわけがない。あんたの音楽は、あんただから生み出せるもんなんだよ」
明司の声には、技師としての確信と矜持が滲んでいた。
ECHOは数度瞬いて、やがて落ち着きスゥと光を潜める。そしてまた、鼓動のように淡い光を灯す。
『うれしいです。ありがとうございます』
「そこは誇っとけよ。望加にも言われただろ?」
『……よくわかりますね、その通りです』
フフッ、と。笑みの形に息をこぼす。
明司と望加は、血のつながり以上に魂の形が似ているのだ。寄り添っているだけで、心が安らぐ。
「ってわけで、あんたを排除するのは最終手段だってことは確定だ」
『明司さんもECHOを扱える唯一の技師という価値があるから、殺せないですよね?』
「そうとも言えないぜ? あいつらが欲しがってんのはシンギュラーボイスと完全調和したECHO――レゾナンス・ゼロだ。それがあれば、望加の声からまた新しくECHOを作る必要はない」
蒼葉はポケットの上からECHOに触れる。望加と出会い、手渡された時からずっと、自身のもうひとつの感覚として使用してきた機械。
世間に流通したものと変わらない姿をしているはずなのに、このECHOだけが特別なのだという。
「あとひとつ、可能性としては――あいつらは、あんたも手に入れようとしてるかも知れない」
『おれ、も……?』
「レゾナンス・ゼロは、俺がどれだけの時間をかけて実験を繰り返しても、完成させることができなかった。必要な要素が足りないと考えるのも頷ける。
現にお前のそれがレゾナンス・ゼロであることは間違いないしな」
『とんでもない奇跡の話をされていると思うのですが……実感がないです。おれにとってECHOは本当に、もうひとつの感覚なだけだから』
「ああ……だよな。俺らの事情に巻き込んで悪い」
『いいえ。おれは、ECHOに出会わせてくれた望加に感謝してます。もちろん、ECHOを生み出した明司さんにも』
「……ああ。多くの人が、そう言えるもんになるはずだったんだけどな」
ハァ、と。長い息の音。
明司の中に燃え残る技術への執念。その奥に、かつて彼に火を灯した「師匠」の面影が色濃く揺れる。
『おれのECHOは、たったひとつの希望なんですね』
「ああ……だな」
明司の吐く息に、柔らかい笑いが滲んだ。蒼葉はECHOの丸い側面に指を掛け、握りしめる。
『おれと望加だから、奇跡を起こせたんでしょうか。そう思うと余計に、手放せなくなる』
「ああ、わかる……けど、望加が帰ってくれば、それでいいだろう?」
頷きかけた声を、ECHOを通じて止めた。
噛み合わない歯車の音が、胸の奥をざわつかせる。
アウリスの狙い。唯一のレゾナンス・ゼロ。その生成方法において鍵となる3人――望加と明司。そして、蒼葉。
彼らが執着する望加の声。
明司を泳がせ、蒼葉とともにこの場に誘い込んだ理由。
3つが揃えば、彼らの目的は完成するはずだ――
そう考えるほどに、胸の奥でひっそりと何かが軋んだ。
蒼葉はECHOから手を離して、明司の袖をそっと引く。
明司の視線が上向く気配を待ち、ECHOに言葉を託した。
『望加は……本当にここにいるんでしょうか?』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます