転生ロリジジイ、無刀取りで無双せり!

下田 空斗🌤

第1章

第1話 剛勇、降誕

曾爺様ひいじいさまッ!」


 病室。ひとつだけ備えられたベッドに、中学制服を着た少女が目に涙を溜めて寄り添う。


 シーツの上にせるのは、枯れ木の如く痩せ細り、深い皺の刻まれた白髪の老人。腕には点滴のチューブが伸び、口元には外された人工呼吸器が転がっている。


「ふふ……そんな顔をするでない。わしはもう、充分すぎるほど生きたわい……」


 絞り出すようなしゃがれた声。ごほり、ごほりと、喉奥を削るような咳込み。


 ベッドの周囲には少女の他に、彼の息子夫婦、孫夫婦、医者と看護師、そして、武道着をまとうガタイの良い男が一人。その皆が、悲痛な面持ちを並べている。この老父の命、その炎が、今まさに燃え果てる間際だと静かに感じ取っていた。それは彼自身も例外ではなかった。


 ——齢九十九……これ以上を望むは、罰当たりというもんじゃろう……。


 心の内で呟き、わずかに口の端を上げた。


 彼は横たわったままゆっくりと首を回すと、道衣の大男へと視線を向ける。それを察し、ひ孫と代わる形で男がベッドに近付いた。


 浅い呼吸音の合間を縫いながら、消え入りそうな声を紡ぐ。


「儂の決断は、変わらん……。あの看板は、お前が継げ……。良いな……?」

「し、しかし師範……っ!」

「ふっ……いつまで儂を、師範にさせておくつもりじゃ……。お前への、最期の授け……素直に受け取らんかい……道場主」

「っ……はいっ!」


 力強い返事と共に、凄めば熊すら逃げ出しそうな顔は崩れ、ボロボロと大粒の涙が両頬を伝った。感化され、幾人かの啜り泣く声が病室を浸していく。


 それらに耳を傾けながら、老人は仰向けになり、深くひとつ息を吐く。悲喜こもごもあった長い永い旅路——その切り抜き写真たちが、真っ新な天井をスクリーンにして映し出される。


 やがて彼の瞼が、劇場に幕を下ろしていく。


「あゝ……。本当に……き、人生であった……」


 瞑目めいもくした老人は、己が口から出た月並みな言葉に小さく苦笑くしょうした。


 ——だがひとつ、心残りがあるとすれば……


 筋肉が弛緩しかんし、わずかに浮かべた表情すら消えていく。


 ——身体が満足に、動く内に、武の、真髄、を、極め……たかっ…………




 空気を裂くような電子音。


 各々が、思い思いに、老人を呼ぶ。


 診断を終えた医師が、静かに告げる。


杉海すぎうみ鍛三たんぞう様は、旅立たれました……」


 熱を失っていく遺骸に、子が、孫が、ひ孫が、弟子が、すがり付く。


 形を成さない声たちが、小さな一室に木霊こだましていた——。






   ◇ ◇ ◇






「ん、う……」


 不快感で、意識が次第に覚醒する。


 頬、腕、そして布越しに胸や脚に当たる、冷たさと硬さ。手のひらと指で探り、じわじわと鮮明になる視界で、うつ伏せな体の下にある物を認識する。


 ——石畳……。


 舗装された道路。しかしそれは幾つもの石を土に埋め、路面となるよう表面を削ったもの。現代日本の一般道とは明らかに様式が異なる。


 顔を上げる。まばらに行き交う人々と、背の低い建築物が視界に飛び込む。洋風で伝統的トラディショナルな装いに、種々様々な髪と瞳。粘土を焼いて固めたような風味の二階建て家屋に、色とりどりの三角屋根。


 両腕を支えにして上体を起こし、見回すべく頭を振った。その時——


 ——パサリ。


 柔らかな感触が肩に触れ、何かが視界の端でキラリと輝いた。


 それは、腰あたりまで長く伸びた、絹糸と見紛うほど美しい白髪——否、銀髪﹅﹅


「なんじゃ、コレ——」


 唇から紡がれた言葉を、咄嗟とっさに両の手でき止めた。


 その声は、まるで鈴の音を思わせるほど高く透き通った清らかさ。今まで慣れ親しんだ自身の声からは、遥かにかけ離れている。


 ——何が……何が起こっとる……?


 口元を覆ったまま、困惑する頭で周囲を見渡す。


 ——ここは、浄土なのか……?


 束の間浮かんだ見解は、道行く人から浴びせられる冷ややかな視線で掻き消えた。みな、腫れ物でも見るような一瞥いちべつののち、我関せず、と足早に離れていく。彼ら彼女らが仏や天使の類いだとは到底思えない態度だ。


 ゆっくりと、身体のバランスを確かめながら立ち上がる。


 視線が、過ぎ去る通行人よりも、頭ひとつ分ほど低い。


 横を向くと、四角い格子窓に反射する銀髪頭が。ぱっちり開かれた眼に長い睫毛。頬や額に泥が付いていても、なお白く透き通るきめ細かい肌。小さくもシュッとした顔立ち。


 ——もしや……!


 ハッとして、手を股ぐらと胸元へ押し当てる。


 麻袋のようなボロ服。その布下、腿と腿の間、彼の生前にはあったはずのモノが、無い。痩せた胸骨の上には、ささやかだが、しかし確かに膨らみが、有る。


「お、お、女子おなごに……なっとる……」


 ガラスを撫でるかの如き声音で、老父だった幼女は、ポツリと呟いた。


 震える両手の平を、顔の近くへと寄せる。どこからどう見てもわらしの手。細く短い、色白な五指。


 ぐっ、ぱ、ぐっ、ぱ、と数たび動かす。


 ——む?


 続けて、手首、肘、肩。さらに膝、足首を回す。


 ——おお、おおっ!? 関節が滑らかじゃ!!


 銀髪幼女の口元が綻び、確かめるようにその場で飛び跳ねる。


 ——うむうむ。筋力はさほど無いが、節々の痛みは一切無い。素晴らしい! 若い身体、最高じゃ!


 小さな四肢で、さまざまな屈伸運動。その様子を、辺りの一般人たちはいぶかしむ表情で眺めている。


「ふむ。ここが何処どこで、我が身に何が起こったのかは皆目見当も付かん——」


 りを確認するように、右へ左へ頭を傾ける。


「じゃが、これはまさしく、わしの無念を晴らすに絶好の機会よのぅ!」


 言い終わりに合わせ、ひとつ鋭く正拳突き。握り拳がくうを切る音を聞き、少女はほくそ笑んだ。


 と、その時。


「きゃあああああっ!」


 遠くから響く、甲高い悲鳴。


 幼女は長髪を振り、声のした方角へと顔を向ける。家屋の向こう側。この通りから伸びる、脇道の先。


 周囲の人々は、一瞬だけそちらへと反応したが、すぐさま俯き足を早めた。


 その様を見て、元老人は鼻息をひとつ鳴らす。


「やれやれ、無関心な者らじゃのぅ。どれ、この儂が義理人情とは何たるかを見せてやるとするかの」


 そう独りちて、石畳を蹴り駆け始めた。




   ◇ ◇ ◇




「や、やめてください!」


 日の差さない路地裏。地に倒れ尻を着いた女性が、怯えつつも拒絶する。


「へっへっへっ! 俺様に楯突こうってかァ!? よっぽどこの刃の錆になりてぇようだなァ!!」


 下卑た笑みを浮かべる巨漢が、刀身の大きく反り返ったサーベル——その剣の背で右肩を叩きながらにじり寄る。


 女は深緑のビロード色をしたおさげ髪を揺らしながら後退あとずさるも、背負子しょいこが壁へとぶつかり、ついに逃げ場を失う。


「あ、あなたのような荒くれ者に渡すかねなんて無いわよ……!」


 恐怖に震えてもなお、丸眼鏡の奥にある双眸そうぼうは大男を睨みつける。


「そうかい、そうかい。そんじゃ……テメェがくたばった後に貰ってくとするぜェ!!」


 剣を握る太い腕が、高く高く持ち上がった。


 死を覚悟し、ギュッと目をつむる。


 間。


 待てど、彼女の身体に痛みは走らなかった。


 代わりに聞こえてきたのは——


「な、なんだァ!? この小娘はァ!!?」


 男の驚愕に満ちた声だった。


 恐る恐る瞼を開いた彼女の眼前に、信じられない光景が広がっていた。


 サラリと風になびく、長い銀髪。服とも呼べぬボロ切れから伸びる、白磁はくじのような手足。子供としか思えない背丈の少女が、双方の間に割って入っていた。


 そして何より異様だったのは、体格で遥かに勝る大男が振り下ろした曲刀——その刃を、華奢きゃしゃな両手で挟み込み、ピタリと封じていたこと。


「う、うそ……」


 さっきまで命の危機にひんしていた彼女すら、その妙技に驚嘆の言葉を漏らす。


 それもそのはず。この世界で、かような技を扱える者など、現代にも、過去にも、存在しなかった。


 しかし、かの老人が生きた世界の、極東の島国に住まう者ならば、多くの者が知り得る絶技——。


   真

    剣

     白

      刃

       取

        り


「テ、テメェ! 何者だァッ!?」


 脂汗あぶらあせにじませた巨漢が、声を荒げる。押しても振っても、その刀身はピクリともしない。


 幼く可憐な声の幼女は、答える。


わしか? 儂は……そうじゃのぅ——」


 涼しげな顔が、妖しく微笑んだ。


「武の真髄を、極める者じゃ」


 

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