第2話:資料番号02『家出人捜索願受理票(対象者:K・M)』

【閲覧上の注意】

本資料は、S区警察署生活安全課にて受理された、未成年の失踪に関する捜査記録一式である。

本件は当初、一般的な家出事案として扱われたが、後に第1話(資料番号01)で示した「区道302号線死亡事故」と発生時刻・場所が完全に一致することが判明した。

両事案の関連性については、S区警察署上層部の判断により「偶然の一致」として処理され、相互参照は禁じられている。

本ファイルは、当時の担当官であった生活安全課・牧野巡査長が、処分命令に背いて個人的に保管していたコピーである。


――――――――――――――――――――


【資料2-1:家出人捜索願受理票】


受理番号:202X-1045

受理日時:202X年10月14日 午前2時15分

受理署:S区警察署 生活安全課


1.行方不明者(対象者)

氏名:鹿島 芽衣(かしま めい)

生年月日:200X年5月12日(当時17歳)

住所:東京都S区皆神3丁目12番地 アパート「メゾン坂上」202号室

職業:都立S高校 2年生


2.届出人

氏名:鹿島 聡(父)、鹿島 由美子(母)

続柄:実父母


3.発生日時(推定)

202X年10月13日 午後10時00分頃から午後11時50分頃までの間


4.発生場所

自宅(上記住所)の自室


5.身体特徴・服装

身長158センチ、痩せ型。黒髪のロングヘア(肩下15センチ程度)。右目の下に泣きぼくろがある。

失踪時の服装は不明(部屋着と思われる)。靴は玄関に残されていたため、裸足またはサンダル等で外出した可能性が高い。


6.経緯概要

届出人(両親)は共働きであり、当日は両名とも残業のため帰宅が遅れていた。

午後10時頃、母親が対象者の携帯電話に連絡を入れた際は通話が繋がり、「もう寝る」との会話を交わしている。

しかし、午前0時10分頃に両親が帰宅した際、対象者の姿は室内になく、自室の窓が全開の状態であった。

携帯電話、財布、通学カバン等の所持品は全て部屋に残されていた。

争った形跡や外部からの侵入痕跡は認められない。


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【資料2-2:現場臨場報告書】


作成日時:202X年10月14日 午前3時30分

作成者:地域課 巡査 佐藤 浩二


1.室内状況

対象者の部屋(202号室)はアパートの2階中央に位置する。

(※注:隣の201号室は空室、203号室は第1話の事故死した副島健二の部屋ではない。副島の住所は皆神1丁目であり、ここは事故現場の真横にある別のアパートである)


室内は整頓されており、荒らされた形跡はない。

唯一の異状点は、北側の窓が網戸ごと外され、全開になっていたことである。

この窓からは、直下を走る区道302号線(見返り坂)を一望できる。


2.位置関係の特異性

窓の真下には電柱(番号:S-3092)があり、ここは数時間前に発生した「自転車死亡事故」の衝突地点そのものである。

窓枠には、裸足の足跡と思われる汚れが、内側から外側に向かって付着していた。

対象者が窓から身を乗り出した、あるいはそこから転落・脱出した可能性も視野に入れ鑑識を手配中。


3.遺留品

机の上に、学習用ノートに混じって、一冊のスケッチブックと日記帳が残されていた。

日記帳には鍵がかかっていなかった。


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【資料2-3:押収資料・対象者の日記(抜粋)】


(対象者・鹿島芽衣が使用していたB6サイズのハードカバー日記帳。内容は日常の記録というより、観察記録に近い淡々とした筆致で書かれている。S区に引っ越してきた9月からの記述が中心である)


9月1日(火)

今日からS区民。パパは「再開発で便利になる」って言ってたけど、このアパートは古いし、坂道ばっかりで疲れる。

私の部屋、窓を開けると目の前がすごい坂。ジェットコースターみたい。

隣の201号室は空き部屋らしい。不動産屋さんが「リフォーム予定」って言ってた。


9月10日(木)

この坂、よく事故が起きるみたい。

今日も原付が転んでた。でも、みんな怪我はないみたい。

不思議なのは、事故が起きる時って、きまって「音」が変だということ。

ガシャン、とかじゃなくて、ボフッ、みたいな、湿った音がする。


9月25日(金)

隣の部屋(201号室)から音がする。

壁に耳を当てると、誰かが歩いてる音が聞こえる。

空き部屋のはずなのに。

管理会社の人でも来てるのかな。でも、夜中の2時だ。

足音が、私の部屋との境目の壁を行ったり来たりしてる。

「入れて」って言ってるみたいに、壁をカリカリ引っ掻く音も聞こえる。


10月5日(月)

わかったことがある。

窓から外を見てると、たまに「黒い人」が歩いてる。

人じゃないかもしれない。影みたいなもの。

それが坂を登ってくると、数分後に必ず誰かが転ぶ。

自転車だったり、バイクだったり、ランニングしてる人だったり。

私はそれを「集金人」って呼ぶことにした。

集金人が通ると、みんな何かを支払わされる。少しの怪我とか、持ち物が壊れるとか。


10月10日(土)

今日、集金人と目が合った気がする。

2階の私の部屋を見上げてた。

顔がないのに、視線だけを感じた。

そのあと、隣の201号室のドアがバタンと開閉する音がした。

集金人は、隣に入っていったんだ。

隣は空き部屋じゃない。あいつの待機場所だ。


10月12日(月)

怖い。

隣の壁から声がする。

「次はもっと大きいのが欲しい」って言ってる。

大きいって何?

パパとママに言っても「勉強のしすぎだ」って信じてくれない。

私は狂ってない。

証明するために、これからは見たものを全部スケッチすることにする。


10月13日(火) ※失踪当日の記述

22:30

ママと電話した。早く帰ってきてほしい。

隣がうるさい。壁を叩く音が激しくなってる。ドンドンじゃなくて、ベチャッ、ベチャッていう、濡れた雑巾を叩きつけるような音。


23:15

外が騒がしい気がする。いや、静かすぎるのか。

虫の声が消えた。

「集金人」がまた来たのかもしれない。

スケッチブックを開く。描かなきゃ。


23:35

見えた。

坂の上から、すごいスピードで自転車が来る。

背中に大きなバッグを背負ったお兄さん。

後ろに、誰か乗ってる。

ううん、乗ってるんじゃない。

黒いのが、お兄さんの頭に噛みついてる。目隠ししてるんだ。

あれは「集金人」だ。隣の部屋から出てきたやつだ。


23:40

自転車がこっちに来る。

お兄さん、叫んでる。

ブレーキが効かないみたい。

止めてあげなきゃ。

窓を開けて叫べば聞こえるかな。

「後ろを見て!」って。


あ。

目が合った。

お兄さんじゃない。背中の黒いのと。

笑ってる。


(記述はここで途切れている。最後の一行は、筆圧が異常に強く、紙が破れるほど乱れている)


「こっちにくる」


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【資料2-4:証拠品・スケッチブックの解析】


対象者が遺したスケッチブックには、鉛筆によるデッサンが計15枚描かれていた。

前半は窓から見える風景や、道行く人々を描いた一般的なものであるが、後半の5枚は極めて特異な内容を含んでいる。


スケッチNo.12:

夜の坂道を描いたもの。電柱の影が長く伸びているが、その影が人の手の形をして、歩行者の足首を掴もうとしている様子が描かれている。


スケッチNo.14:

隣室(201号室)のベランダを描いたものと思われる。

窓ガラスの内側に、無数の「手形」がびっしりと付着している。

手形のサイズは大小様々で、子供のようなものから、指が6本ある異形のものまで混在している。


スケッチNo.15(最後のページ):

殴り書きのようなタッチで描かれた一枚。

構図は、2階の窓から真下を見下ろした視点。

画面中央には、電柱に激突して大破した自転車と、地面に倒れた人物(第1話の副島健二と思われる)が描かれている。

しかし、このスケッチには現実の現場写真とは決定的に異なる点が一つある。


倒れた副島の遺体から、黒い煙のようなものが立ち上り、それが紐状になって、スケッチを描いている「視点(つまり対象者の部屋)」に向かって伸びてきている。

そして、紙面の右端には、スケッチブックを持つ対象者自身の手が描かれているのだが、その手首を「黒い手」が強く掴んでいる。


※鑑識課・筆跡鑑定係の所見:

このNo.15の絵は、事故発生時刻(23時42分)よりも前に描かれた可能性は低い。しかし、対象者が失踪したのは事故直後である。

極めて短時間に、暗闇の中で描かれたにしては、倒れた自転車の部品の散らばり方などが、後の現場検証写真と不気味なほど一致している。

彼女は事故の瞬間を「予知」して描いたのか、あるいは「見てから」描いたのか。


――――――――――――――――――――


【資料2-5:関係者聴取報告書】


聴取日時:202X年10月15日

対象者:鹿島 由美子(対象者の母)

聴取担当:生活安全課 巡査長 牧野 誠


牧野:娘さんの様子で、最近変わったことはありましたか?


母:ええ……S区に引っ越してきてから、あの子、情緒不安定でした。

「壁から音がする」とか「窓の外に変な人がいる」とか。

私は環境が変わったストレスだと思って、あまり取り合わなかったんです。

でも、いなくなってから気づきました。あの子の部屋、妙にカビ臭いんです。


牧野:カビ臭い、ですか?


母:はい。湿気なんてないはずなのに。

それと、あの子、いなくなる前の日に変なことを言っていました。

「もし私がいなくなったら、201号室を探さないでね」って。


牧野:探してほしい、ではなく、探さないで、ですか?


母:そうなんです。「探したら、お母さんも連れて行かれちゃうから」って。

刑事さん、隣の部屋は空室なんですよね?

あの日、警察の方が家に来てくれた時、一応隣の部屋も確認してもらいましたよね?


牧野:ええ。大家さんに鍵を開けてもらって確認しました。もぬけの殻でしたよ。埃が積もっていて、人の出入りした形跡はありませんでした。


母:そうですか……。でも、私、見たんです。

警察の方が帰ったあと、朝方になってから、もう一度ベランダに出て隣を見たんです。

隣の部屋の窓ガラスに、内側から文字が書いてあったんです。

結露した窓に指で書いたみたいな文字で。


牧野:なんと書いてあったんですか?


母:「みつけた」

そう書いてありました。

……あの子の字でした。

あの子、まだあの中にいるんじゃないですか? 壁の裏とか、床下とかに。


――――――――――――――――――――


【資料2-6:生活安全課・牧野巡査長の捜査メモ】


(このメモは、正式な報告書には添付されず、牧野の手帳に記されていたものである)


鹿島芽衣の失踪と、直下の自転車事故。

時系列を整理すると、こうなる。


23:35頃 鹿島芽衣、窓から事故直前の自転車を目撃(日記記述)。

23:42頃 自転車事故発生(第1話参照)。

同時刻 近隣住民が「アパートの2階から見下ろす人影」を目撃(第1話・田所証言)。

この際、目撃者は「窓が開いていた」「髪の長い女」と言っている。これは鹿島芽衣の特徴と一致する。


しかし、不可解な点がある。

田所氏は「いつの間にか窓は閉まり、電気も消えていた」と証言した。

だが、鹿島家の両親が帰宅した時(0時10分)、部屋の窓は「網戸ごと外されて全開」だった。


つまり、

① 鹿島芽衣は事故を目撃した。

② その後、一度窓を閉めた(田所証言)。

③ その後、再び窓を開け放ち(あるいは網戸を突き破り)、姿を消した。


彼女はどこへ消えたのか。

靴は玄関にある。飛び降りた形跡もない(落下すれば怪我をする高さだし、下は事故処理で警官だらけだったはずだ)。


唯一の逃げ道は「玄関から出て、廊下を通る」ことだ。

そして、その廊下のすぐ隣には、彼女が恐れていた「201号室」がある。


大家の許可を得て、再度201号室を単独で調べてみた。

公式発表通り、室内は空っぽだ。

だが、押し入れの天袋。あそこだけ、妙に綺麗だった。埃がない。

そして、天袋の奥のベニヤ板に、小さな穴が開いていた。

直径5ミリ程度の穴だ。

そこから、隣の202号室(鹿島芽衣の部屋)が覗けるようになっていた。


逆だ。

彼女が隣を気にしていたんじゃない。

隣から、ずっと彼女が観察されていたんだ。


そして、この201号室の賃貸契約記録。

管理会社に無理を言って見せてもらった。

契約者名義は「S区役所 都市整備課・特別分室」。

入居者欄は「空白」。

用途は「観測所」となっていた。


観測所?

何を観測するために、女子高生の部屋の隣を借り上げていたんだ?

それに、事故死した副島(第1話被害者)も、死ぬ直前に「ついてくるな」と叫んでいた。

副島が運んでいたのは「誰」で、鹿島芽衣が見てしまったのは「何」だったのか。


俺は、事故現場で拾われたICレコーダー(副島のもの)の音声と、鹿島芽衣の部屋に残された動画ファイル(彼女が隠し撮りしていた隣室の音)を照合してみた。


一致した。

副島の自転車の後ろで聞こえていた「クスクス」という笑い声と、

鹿島芽衣が壁越しに録音した「笑い声」の声紋が。


「集金人」は、実在する。

そしてそれは、S区という行政組織によって「飼われている」可能性がある。


――――――――――――――――――――


【第2話 終了】

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