〝悪〟には彼らのほうが近しい。
天萌 愛猫
第1話 無垢
俺に振られた役割は単なる思い込みで、間違いだったのかもしれない。
そう予感しながら、俺は冬の道を連れられ歩いていた。
◆
『悪役でありたい』。
クソッたれなこの世界へせめて一矢でも報いるため、己が掲げている目標。
良いひとであることは時に――いやあらゆる場合において、自身の精神をすり減らす。
なにもかもが信じられなくなっていた少年期、映画館で目にしたクリミナルたちはとても輝いていて。
そして、俺の描く理想をいとも簡単に方向づけてしまった。
たとえ高校で中二病やら陰キャやら好き勝手言われようとも、この信念は決してブレない。
芯を揺るがせないことこそ、確固たる悪行をなす器になるための第一歩なのだから。
退屈な授業が終わり、帰りに寄り道をする。
寂れ果て、壁に下品な言葉がラクガキされたゲームセンター。
校則で禁止されていることだって、平然と破ってしまう。
やはり俺には天性の素質があるのだろう、こんな些細なことではもう心なんて動かなくなってしまった。
古い筐体が並ぶ店内。
品揃えにも特に変化はない。
クレーンゲームの前でひとりの子供が四苦八苦していた。
ちょっとグロテスクな爪と血がデザインされた、いかしたクマのぬいぐるみ。
こういったアヴァンギャルドなプライズを取り扱っているのも、まあひとつの推しポイントではある。
「取れないのか」
話しかけると、大仰に肩を震わせこちらを向く。
うんうん、いい反応だ。
ビビられるくらいでなければ、誰もが慄く役柄なんて務まらない。
「あっ、あとひゃくえんしかないの。どうしてもとりたいのに……」
「貸せ」
子供の手から銀色に輝く硬貨を奪い取り、ぼうぜんとする彼の前で慎重にアームを操作する。
「わっ、わぁ!」
首をひっつかまれたのちに取り出し口へ頭頂部からダイブしたクマを、おそるおそる抱き上げる。
「すごーい、お兄ちゃん! いまの、どうやったの?」
「ほう」
礼を述べるや否や、手法について質問してくるとは。
この子供もどうやら、俺とは別の方面で素質があるようだった。
散財だけはするなよ。
……しかし。
やはりほめられるというのは気分が良いもので、なんだかんだ単純な口がつらつらと回り始める。
得意なことや好きなものについて得々としゃべるから、やれオタクだの気持ち悪いだの陰口を叩かれるんだろうに。
「仕方ないな。そこまで頼まれたら教えてやるしかないじゃないか」
「時間ならあるよ」
「こっこいつ、長丁場を覚悟してやがる……?」
「うん」
不意を突かれてヘンな声を出してしまったがまあいい。
「ふん。せいぜいありがたく拝聴することだ」
空になった筐体内を指差し、そう前置く。
うなずいて見つめ返してくるきらきらした瞳。
ふと違和感を覚え、じっとそれを注視する。
単純な黒……とは、どこか言い難いような複雑な色彩。
(なんだろう。見慣れないというか、なんというか)
まあいい。
自分の承った役目を果たさぬことには始まらないだろう。
「お前は重心を見てバランスよくつかむことを繰り返し行っていた。これをバランスキャッチ――BCというんだが」
ふんふんとうなずく頭のうえで、やわらかそうな茶髪が揺れている。
日本人にしてはかなり薄い色だった。
ひょっとしたら、移住してきたばかりの外国の子かもしれない。
「ば、ばら……BC、だめなの?」
「いや、ダメではない。捨て百は知っているか?」
首を横に振る。
「最初にこのぬいぐるみがほしいなと思ったとき、どうした?」
「とりあえずやってみようって、やってみた」
「ああ……」
なかなかの無鉄砲少年らしかった。
「覚えておくといい。捨て百と言うのは、目の前のものが本当にとれそうかどうかを総合的に判断する手段だ」
ついてこい。
短く告げ、少し離れた場所にあった台に移動する。
最近の流行を気にしてか、ごく最近置かれるようになったエナジードリンク。
「さっきのとはちょっとちがうね。この箱を落としたらゲットってことなの?」
「そのとおりだ」
財布を出し、百円玉を投入。
さっき当人がやっていたように、重心を見極めて持ち上げる。
だが、アームが弱いのかろくに動きもせず。
そのままの位置にぼとりと戻ったのを見届け、ふたたび説明を再開しようとする。
「それでだな――」
ここでふと気づく。
少年、と呼びかけるのはちょっとこう……あまり好ましくないかもしれない。
かと言って名前を聞くというのも不審者めいているし、うーん。
あごをつまんで考え込んでいると、ぽんとちいさな手を打つ音。
「あっ。そっか、おたがいに名前知らないから」
察しがいい子供だ、若干引いてしまうぞ。
「名乗ったほうがいいよね? そしたら話しやすいし、知り合いになれるよ」
「し、知り合い……?」
「うん。知らないひとに話しかけられたらにげなさいって、先生に言われてるから」
「なら最初にそうしろよ」
「えーっ。困ってたもん」
臨機応変でもあるのか。
立ってるものは親でも使いそうだなこいつ。
「ぼく、真竹鼓太郎。真実のしんに竹、太鼓の太郎。おもしろいでしょ」
「おもしろいのか」
「うん。ぼく音ゲーもそこそこ好きだから。マイバチとかグローブもいつか買いたいんだ」
「やるなあ」
「えっへへ」
お兄ちゃんのおなまえは?
尋ねられ、ちょっと言葉を練る。
子供にはかなり伝わりにくい書きだろう。
「俺は夏芹詠。春、夏、秋、冬のナツに、野菜のセリ、俳句を詠むのほうのヨミだ。漢字はわからんだろうから、今言ったふうに検索したら出てくると思う」
「セリって何」
「そこからか」
俺も植物に詳しいわけではないのだ、こういうときに純粋ないきものは困る。
しかたなくスマートフォンを取り出し、検索で出てきた画像を見せる。
「へーっ。ぼく、見たことないかもこれ」
「まあな。なかなか出回らないらしいし」
ゆゆーマートでもたぶん売ってないよ!
何気なく出たのであろう店名が気になって質問する。
「む。鼓太郎、お前このあたりに住んでるのか?」
「うん! 夕会町の、啓井のバス停の横のとこ!」
「うわ出た警戒心ゼロどころかマイナスの住所開示……」
「なに?」
「お前それ絶対ほかの大人に話すんじゃねえぞ!」
「なんでぇ? だめなの?」
「ダメに決まっているだろう、このアホンダラ。個人情報の極みも極みだ」
小首をかしげる顔が本気で不可解そうだ。
インターネットとかに触れさせないほうがいい、いやむしろあらゆる悪意から遠ざけておくべきかもしれないほどの不用心。
(純粋無垢ってこいつのためにあった四字熟語だったのか……。広辞苑に載せとけよ最初から)
頭が痛くなってきて、額を押さえながら天を仰ぐ。
意図せずして中二病的なポーズになってしまっていたが、もうそんなことはどうでもよかった。
ため息を吐き出しつつ向き直ると、おどおどとしてぺこりと大げさに腰を折り曲げる。
「なにか悪いことした、ぼく? ごっ、ごめんなさい」
「めっちゃとりあえず臭がする謝り方だな。もういい、こういうときに自分の非を認めるのもマイナスポイントだ。つけ込まれるぞ、たとえうわべだけでも。気をつけろ」
「へー。よくわかんないね、お兄ちゃんって」
お前にだけは言われたくないわ。
誰のせいでこんなアタフタさせられてると思ってんだ馬鹿ガキ。
あと申し訳なさそうな体勢を即座に解除するな、変わり身早すぎてびっくりしたぞ。
「あーもう……なんなんだお前」
「ふつうの小学生だよ。ちょっとあけっぴろげすぎるねってよく言われるだけの」
「だろうな」
「あははっ」
もう少し強く注意できなかったのか、それを言ったやつ。
まあ、ほかの人間からもそう評価されているらしいことには少し安心だ。
「あ、そっか。そもそも先生に逃げろって言われてるにもかかわらず、普通に俺と会話してるし名前も教えてるしな。俺だって怒るの遅すぎって感じだよな……ハハハ」
「うん。だって、これもさゆくんの教えだもん」
「は?」
さゆくん。
唐突に出てきた固有名詞に、数秒思考がストップした。
「……誰だ? それ。兄貴でもいるのか?」
「ううん、ちがうよ。近いっちゃ近いけど」
ともだちなの。
ちっちゃいときから、ずっと。
ほんのわずかに赤らむほっぺた。
そこにはとても澄んだ感情が宿っているように見え、言葉を探すのにちょっとばかり時間がかかってしまった。
「そこがこたろうくんのいいとこだから、これからもいろんなひととなかよくするんだよって言ってくれたの。えへへ」
「ふーん。いいじゃねえか、長所を認めてくれるやつは重宝するぜ」
「ちょうほう?」
「たいせつにしろってことだよ」
友だちいるならよかった、これからもなかよくしとけよ。
まわりに人がいてくれるってのは、……大事だぞ。
至極ありふれて当たり障りのないセリフを置き土産にし、背を向ける。
そろそろお暇しなければ、買い出しに間に合わなくなってしまう。
もうじき惣菜に半額シールが貼られる頃合いだ。
「あ、待って」
去ろうとしたところを、うしろから呼び止められた。
「さゆくん、あいさつしたいって」
「は?」
特に何も思わず振り返り、――後悔した。
そこにはいつのまにか、ヒトならざるものが立っていたから。
■
「こんにちは」
異形がにこりと笑い、軽く腕を振る。
「ひっ……!?」
蝋じみた肌。
その一見ヒトに近い双眸は、明らかに理の外に位置する逆転した色。
羽織った長く赤いコートが、どこかこっけいに映るくらい季節感を先取りしている。
「さゆくん、お話きいてた?」
「うん。聴いてたよ」
セリくん、でいいかな?
ボクのことも、なにとぞよろしくなのです――。
弧を描いた口内で、ギザギザしたするどい歯列が光る。
「こっ、これがお前の友だち……なのか」
「そうだよぉ! カッコいいでしょ?」
「いや、コイツどう見ても、その」
化物。
そう言いかけた口に、すんでのところでチャックをする。
俺に据えられた三白眼が、それだけで落命しそうなほど強い光を放ったから。
「……!」
立ち竦む俺に少し目を細め、顔を横に。
「こたろう。このヒト、いいひとだね」
「……は?」
次の更新予定
2025年12月10日 19:07
〝悪〟には彼らのほうが近しい。 天萌 愛猫 @AibyouOcat2828
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