第18話 お風呂、いただきます

「おっしゃ着いたぁ」

 サイドブレーキを引いてからエンジンを切る。

 幸い雪が積もっていなかったこともあり、タイヤにチェーンを巻くこともなく群馬県の中部にある温泉宿にたどり着くことが出来た。

 一応スタッドレスにタイヤを入れ替えてあるし、トランクにはチェーンも置いてある。ただ、私は雪道を運転したことは無い。できるだけ雪や氷で覆われた道の運転なんてものは避けたいところだ。

「おつかれ、日向ちゃん」

「いやぁ、久々にこんだけ運転したわぁ……よし、じゃあチェックインしよ」

「ん」

 晃太郎に荷物を任せて、私は一人先に旅館に入り手続きを済ませる。

 宿泊者名簿らしき者に名前を書き込む。刑部日向子と、刑部晃太郎。年齢は特に書く必要はなさそうだ。

 私がのろのろと書いていると、荷物を両手に持った晃太郎が私のすぐ後ろに立った。

「御夫婦ですか?」

「はいそうです」

 すぐ後ろで晃太郎が何かいう前に、私が即答する。

「かしこまりました。お部屋へご案内しますね」

 割と新しい建物ではあるけれど、全体的に和風の雰囲気で、個人的には大好物だ。

 今日の夕食も明日の朝食も部屋食で、なんと部屋付き露天風呂まで付いている。これだけの贅沢なんて始めてのことかも知れない。

「お若いご主人ですね」

「ふひぃ」

 思わず変な声が出てしまった。

 いかん、コミュ障の本性が出てしまう。

 ちら、と晃太郎に目配せをすると、それだけでこちらの『いいから話し合わせて』という意図が伝わったのか、呆れたような顔で頷いた。

「いやぁ、うちは姉さん女房で、僕のほうが歳下なんです」

「まぁ、そうなんですね? 良いですねぇ、歳下の男性って。最近女性が年上の御夫婦って増えてるみたいですね」

「そうなんですか?」

「はい。ほら、昔は『姉女房は金の草鞋をはいて探せ』って言われてたそうですよ。年上の奥さんだと余裕もあるし度胸もあるしで、男性にとっても楽みたいですよ?」

「あはは、そうかもしれないですね」

 よし、良いぞ。流石私の処女を奪った男。いい具合にゴマかしてくれた。

「さ、どうぞこちらのお部屋です。今はですねぇ、ちょっと紅葉は過ぎちゃって雪も無いから、ちょうど景色は寂しい時期なんですけど、でもお風呂は自慢の美人のユですから、是非楽しんで下さい」

 やたら愛想のいい店員さんは、何度も『どうぞごゆっくり』と繰り返してニコニコしながら出ていった。

 部屋は和室で、設備が新しい割に間取りというかしつらえは割と伝統的な和室で、窓際には椅子と小さなテーブルが置かれている。

 思わず孤独のグルメみたいに『こういうので良いんだよ、こういうので』と呟いてしまいそうだ。

「よっし! じゃあ晃太郎、お風呂行くよお風呂!」

「え、早速?」

「温泉に来たなら、温泉に行くんだよ!」

「うわ、進次郎構文」

 早速部屋に備えていた浴衣を掴んで、私は部屋に備え付けの露天風呂へ向かった。

「え、そっち行くの? 大浴場じゃなくて?」

「え? 大浴場とかあるの?」

「あるみたいだよ、1階に」

「うわぁ、マジか。んじゃ先に大浴場行くかなぁ。部屋風呂は次の楽しみにするか」

「だね。じゃ、どうせ俺が先に上がるから鍵は俺が持ってくよ」

「いや、鍵二つあるじゃん。私も1個持ってく」

 まるで本当の夫婦みたいにスムーズに取り決めをして、2人並んで大浴場へと向かっていく。

 残念ながら大浴場は混浴じゃない。まぁ致し方ない。そこは妥協しようじゃないか。

 大浴場という割にはちょっと狭いと感じる風呂場は意外に混んでいる……ように見えたが、どうやら先客で入っているのは生きている人じゃなさそうだ。

「……ま、そういうこともあるよね」

 私にとっては慣れた光景だ。

 小学生くらいの頃から、人ならざるものを見続けた私にとっては、こういう光景なんて毎日のように目にするものだ。

 憑かれたところで別に構わない。晃太郎のそばに戻れば、一瞬で『なかったこと』に出来る。

 ただ、女湯にいる幽霊はたいていおっさんだ。生前の未練か何か知らんが、おっさんがひしめき合っている風呂に裸で入るのは、流石にちょっと嫌だ。

「……萎えた。部屋戻るかぁ」

 そそくさと浴衣に着替えて大浴場の脱衣所を後にする。

 一人の部屋に戻って、縁側っぽい場所の椅子に腰掛ける。

 窓の外は確かに紅葉も終わっていて、実に殺風景だ。ただ、夜は提灯でのライトアップがあったりするらしい。

 久々にこんなふうに、何も考えずにのんびりと寛ぐ時間を持てた。ある意味あのチャラい陽キャタトゥーユーチューバーに感謝したほうが良いのかも知れない。

「あれ? 日向ちゃん早いじゃん、どしたの?」

「あ、晃太郎? もう上がったの?」

「いやぁ、結構のんびり入ってたんだけど」

 時計を見たら、いつの間にか30分くらいたっていた。随分とぼんやりしていたようだ。

 よほど疲れてるんだろう。無意識のうちにため息が口から漏れる。

「ねぇ晃太郎」

「ん? 何?」

「結婚して」

「ん、いいよ」

 何も考えずに口から出た言葉に自分で驚いたが、晃太郎の返事にはもっと驚いた。

「え? 何で?」

「いや、何でって……『結婚して』って言ってきたの日向ちゃんでしょ」

「そうなんだけどさ、ホントに私でいいの?」

「え、今更」

 あははは、と笑いながら晃太郎は私の真向かいに腰掛ける。

「そりゃ意識するさ。俺だってあんだけ日頃から日向ちゃんとヤってりゃ」

「……そっか……」

「まぁ、その話もゆっくりしようよ。どうせ風呂入れてないんでしょ? 部屋風呂行こうよ」

「そうすっか。晃太郎がいりゃ変なの寄ってこないしね」

 よっこいしょ、とオバサンじみた事を言いながら立ち上がり、部屋風呂の脱衣所へ向かう。

 考えてみれば、この子と風呂に入るのなんて随分久しぶりだ。

「晃太郎、髪洗ったげよっか?」

「洗ってきたよ」

 実に遠慮も気兼ねもない会話。あぁ、こういうのが良いのかも知れない。

 恥じらうこともなく服を脱いで、塀で目隠しされた露天風呂へと2人で出ていった。

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