第16話 急なお客様は困ります
いつも通り来客もなく、暇で暇で死にそうになるオフィスの電話がなったのは、出社してから一通りスマホゲームのデイリーを完遂した10時頃のこと。
「お電話ありがとうございます、刑部クリーニングでございます」
電話に出てみると、相手は何も喋らない。
ただハァハァと荒い息を繰り返すばかりだ。なんだ、最近めったになかったけどヤらしいタイプのいたずら電話か。
良いだろう、付き合ってやろうじゃないか。こちとらヒマで死にそうなんだ。
「もしもし? どちら様ですかぁ?」
相変わらずハァハァと荒い息。どれだけ興奮してるんだこいつ。昨夜スパ銭から帰ったあとの私じゃあるまいし。
「お、お前だな……」
「はい?」
「お前がやったんだな! お前が!」
「あの、どちら様です? どちらかと間違えてませんか?」
「お前のせいだ! お前の! 全部お前の!」
なんだかワンパターン過ぎて飽きてきた。せっかく『お姉さん今どんなパンツ履いてるの?』とか聞いてきたら『履いてません』と答えてやろうと想定問答集まで考えていたというのに。
「あーはいはいそうです。ケネディ暗殺したの私ですけど? ついでにリンカーンもヤっちゃいましたけど、それが何か?」
「ふざけんなお前! 絶対許さないからな! お前のせいで全部メチャクチャなんだよ!」
「いやぁ、そんな褒められてもですねぇ」
待てよ。
こいつは固定電話にかけてきた。ということはこの住所も知っているということか。
いかん、ちょっとおちょくりすぎたかもしれない。
「今から行くからな、覚悟しとけよ」
一方的に言い切って電話は切れた。
これはいけない。電話の向こうの声はあきらかに成人男性。こちらはか弱い無力な女が独りだ。
とりあえずカプサイシンスプレーとバールくらいは用意しているけど、ちょっと下手を打ったかも知れない。相手がどこからここを目指してくるかもわからないけれど、あまりのんびりしていられる状況じゃないことだけは確かだ。
スマホを取り出して電話アプリを起動する。普段は電話をするなと言われているけれど、今は非常事態だ。致し方ない。
通話履歴から宛先をタップして、ほんの3コールで電話に出てくれたことにとりあえずホッとする。
「もしもし? どしたの日向ちゃん? ビールなら買ってかないよ?
「助けて晃太郎、今いきなり電話が来て、『全部お前のせいだ、赦さない、今からそっちに行く』って電話が会社に来た」
一瞬、息を呑む音。ただ、晃太郎の決断は早かった。
「日向ちゃん、とりあえず鍵全部閉めて。それから社長とオバちゃんには今から俺が電話するから、日向ちゃんは警察に通報。今から電話して俺もそっち行くから。俺か警察がそっち行くまで絶対外に出ない。オッケー?」
「オッケー……ね、晃太郎、正直言うとヤバい、超怖い……」
「大丈夫、すぐ行くから。最短で行って大体30分。良い? そんだけ待てば最低限俺がそっち行くから」
「お願い、早く来て」
「了解、じゃまた電話する」
通話が終わって静かになると、途端に恐怖が体の芯から湧き上がってくる。
私は成人男性の強さを一応は知ってる。
電車で痴漢に遭ったことはあるし、セクハラされた経験くらいはある。
とにかく怖い。自分の腕力ではどうあがいても敵わない相手から、好き放題身体をベタベタ触られるのも怖いし、敵意を向けられるだけでも正直足がすくむ。
普段目にする幽霊だの何だのも怖いけれど、アイツラは直接殴ってきたり身体を触ってきたりはしない。でも、生きてる人間はわけが違う。
深呼吸をしてから、ひとまずドアと窓をすべて施錠する。警察にも通報したけれど、アイツらやっぱりクソの役にも立ちゃしない。
何が『まだ何もされてないんですよね』だ。殴られて犯されるまで待てということだろう。ならこっちは問答無用で全力で抗ってやる。ホムセンで買ったバールのようなものを握りしめてドアから離れた場所でうずくまっていることにした。
晃太郎から電話が来たのはわずか5分後。お母さんとお祖父ちゃんにも連絡は取れたとのこと。2人とも会社にすぐにむかうと言っていたそうだ。
二人は今ちょうど東京都内に買い出しに出かけていて、会社に戻ってくるまで1時間はかかる。晃太郎がオフィスに来るまでの30分くらいが勝負だ。
不意に、本当に突然オフィスの入口がどんどんと叩かれる。
明らかに来客のそれではないであろう乱暴なノックだ。
くそう、怖い。身体が硬直する。手が震えて呼吸が早くなる。涙が勝手に溢れてきて鼻が詰まる。
ダメだ、泣いてなんかやるものか。怖いから何だ、お前の思い通りになんかなってやらない。
「いるんだろ! 開けろ!」
電話で聞いた声だ。本当に来やがった。
ドアを叩く音がどんどん強くなる。何でこんなことに。私が何をしたっていうんだ。
「クソが! さっさと開けろオラぁ! お前らのせいでなぁ、メチャクチャになってんだよ! おら開けろ!」
「ひっ……」
思わず変な声が出た。自分の口からこんなかわいい声が出るのかとちょっと驚いたけれど、身体は恐怖で縮こまってしまう。バールを握りしめる手は力の入れすぎのせいか冷たくなってきた。
「あ? 何だお前?」
不意にドアの向こうから聞こえる男の声のトーンが変わる。
しばらく無音になったかと思うと、ごと、という重くて硬いものが落ちるような音に続いてゴソゴソと何かを探るような音。
「日向ちゃん、生きてる?」
聞き慣れた声に、思わず立ち上がってドアに駆け寄った。
鍵とドアを開けると、そこには大柄なタトゥーが入った男が気絶しているのを結束バンドで拘束した晃太郎の姿。頬が腫れているのは殴られでもしたのだろうか。
「こ、こうたろ……」
涙が溢れて止まらない。
流石がにこういう時くらい、抱きついて声をあげて泣いたって良いだろう。
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