第4話 呪怨の家もキレイにします

 会社名がでかでかとペイントされた軽自動車のエンジンを切り、サイドブレーキを引いてから、フロントガラス越しに『現場』のアパートを見上げる。

 あぁ、ついたばっかりなのにもう帰りたい。気が重い。やる気が出ない。

 これほどまでにモチベーションが上がらないのは、先日の菊花賞で惨敗したことだけが原因というワケじゃないだろう。

「二日酔いでしょ」

 助手席の晃太郎が的はずれなことを言うけれど、まぁ当たらずとも遠からずではある。やけ酒と称して晃太郎が買ってきたビールを全部開けて、その上コンビニで酎ハイまで買って飲んでいたのだから。

「晃太郎も飲めば良かったのに」

「酒は二十歳からって決めてるからね。俺コーラでいい」

「お子ちゃまなんだから」

「未成年だからね。んで? 今日の現場はここ?」

「そ。ここ。木造2階建て、6部屋のアパートでリフォーム予定なんだけど……凄いわよ、ここ」

 殺人事件が一階の中央、102号室で発生したのがもう十年以上前のこと。

 家族4人が惨殺されて、犯人はすぐに逮捕されたものの、犯人は拘置所で変死。

 両隣の101号室に住んでいた若い夫婦は、2人揃って風呂で溺死という不自然極まる死に方で命を落とし、103号室に引っ越してきたばかりの中年のサラリーマンは健康そのものであったはずが脳梗塞で急死。

 2階の3部屋についても、いずれも十人が建物内で変死するという筋金入の事故物件だ。

「リアル呪怨だ。心霊系のユーチューバーとか来ないのかな」

「来たらしいけど、死んだらしいよ。全員」

「うわぁ凄ぇ」

 何故か感心したかのように嬉しそうな顔で晃太郎は古ぼけたアパートを見上げる。

「ねぇ、日向ちゃん何か視えてる」

「視えてる……私ムリ、ここから出られない」

「え? じゃあここに一人でいる? それで大丈夫?」

 くそう、わかってやってるなコイツ。

 今の状況で私が1人で置いていかれたりしたら、確実に憑かれる。なにせ私には今や守護霊も背後霊も何もいない、この子に焼き尽くされてしまったのだから、いわば丸腰どころか全裸に等しい状態だ。

「晃太郎」

「ん? 何?」

「責任取りなさいよね」

 私をこんな霊的無防備な状態にしたのは、間違いなくこの子だ。そうだ、責任はとってもらわなければ。

 とりあえず今日のこの仕事を何とかする必要がある。気が進まないことこの上ないが、とりあえず一緒に中に入るしかないだろう。

「とりあえず1人で中の確認とかムリだから、一緒に来て」

「えー、行かないの?」

「ムリ。ほんとムリ。今日はもうガチでムリ。何? 謝る? 脱ぐ? 1人で行くか脱げっていうなら脱ぐくらい、ここヒドいのよ?」

「いや脱がんで良いし。じゃあとりあえず、行きますかぁ」

 どこまでも緊張感のない口調で、コンビニ袋を抱えて助手席から降りていった。私も念の為に写ルンですを持って晃太郎が近づく前の物件の外観写真を何枚か撮っておく。

 事の始まりとなった202号室の鍵を開け、埃っぽい室内にそろりと足を踏み入れる。

「うわぁ凄ぇホコリ。ちょっと窓開けるね。空気入れ替えなきゃダメだわこりゃ」

 まるで普通の家に入るかのようにずかずかと部屋を進んで窓を大きく開ける。

 秋の少し冷たい空気が、室内に澱のように溜まった淀んだ空気を押し流していく。

「じゃ、ここがちょうど真ん中あたり? ひとまずここで良いかな」

「そうね。じゃあ今回は範囲も広いし、とりあえず1時間」

「ん、了解」

 晃太郎は薄汚れた畳の上に新聞紙を敷いて、どかっとあぐらをかいて座り込む。。

 私も念の為に持ってきたレジャーシートを広げてその上にキャンプようの折りたたみ椅子を置いて腰掛けた。

 2人揃ってスマホを取り出して、私は電子書籍を、晃太郎はいつも通り多分ホラー系ユーチューバーのチャンネルでも見ているのだろう。イヤホンをつけてじっとスマホの画面に視線を向けている。

「普通さ? こういう心スポどころかガチな事故物件で、そういう心霊系ユーチューバーの動画とか見るかなぁ?」

「ん? 面白いよ? ほらこれとか、あからさまに作りもんだしさ。もうちょい丁寧に作れよって思うけど、なんか一周周ってこういうのが逆に面白くて」

「周ってないでしょ」

 今この状況で『一周周って』なんて平和な事を言えるのはこの子くらいだ。

 何しろ今この部屋の中だけでも、4人の人間がどろどろに溶け合って合体したようなバケモノが、晃太郎から逃げようとしてのたうち回っている。

 その上、全身が高温の炎で炙られているようなものえ、グロいことこの上ない光景が繰り広げられている。

 こんな光景を見させ続ける生活が何ヶ月も続いたのだから、私のグロ体制は法医学者レベルにはなっているはずだ。

 食欲というものがごっそり失われるような光景の中で、実に楽しそうに心霊動画を見ながらポテトチップスを食べ続ける若い男の姿は、見ていてあまりスッキリ出来るものではない。

「ん? なに? 日向ちゃんも食べる?」

「要らない。私ポテチはうすしおって決めてるから」

「ふぅん、コンソメ美味いのに」

 コンソメだろうがうすしおだろうが、今のような状況では何も喉を通らない。

 少なくとも、私の目に写っているバケモノが灰になるのをまたないと、何も口には入らない。

「はぁ……こんなとこで1時間かぁ……」

「ほらほら日向ちゃん見てみて、これとかあからさまに作りもんでしょ」

 実に楽しげに晃太郎がスマホの画面をこちらに向ける。

 B級映画のシーンのように、明らかに合成と分かる心霊動画と思しきものが映し出されていた。

「……こんな感じのだったら、まだ可愛げがあったのに」

 私はそう呟いて、断末魔の悲鳴を上げる『何か』の姿からそっと視線をそらした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る