第3話 片付けられない女です
呼び鈴の音で目を覚ました私は、着替えもせず髪もボサボサのまま、何なら上下ともに高校生の時のジャージに眼鏡という、コンビニに出かける事も憚られる格好で玄関のドアの鍵を開ける。
二十代女子の嗜みとして、一応ドアチェーンだけはかけた状態で、少しだけドアを開ける。
「おはよ、日向ちゃん」
ドアの向こうに立っていたのは、私よりも10才歳下のオトコノコである晃太郎。
「間に合ってます」
そういってドアを閉めようとしたが、彼がひょいと持ち上げたビニール袋の中身に目が釘付けになる。
「ホントに? これ要らないんだ?」
「ちょ、ちょっと待って開ける!」
一度ドアを締め、急いでチェーンを外してから再び勢いよくドアを開ける。
「ビール持ってるなら早く言ってよぉ。何? どしたのこんな早い時間に」
「早いってもう余裕で昼過ぎてるよ? 今日することなかったしさ、日向ちゃんどうせヒマだろうし」
「どうせは余計よ。まぁヒマだけど」
当然のように『お邪魔します』も言わずに、私が一人で暮らす部屋に上がり込んできた晃太郎は、そこが自分の定位置であるかのようにソファの上に荷物をぽいと放り投げる。
「きったね。片付けなよ」
「これでも片付けたの」
「ほら、掃除機が埃被ってる」
「クイックルワイパーならかけてるから」
「髪の毛落ちてた」
「いいわよ、あげる」
苦笑しながら『いらね』とだけ呟いて、よりによって私の髪をゴミ箱に入れてから、ソファの上に腰掛ける。
「そんなことより、どうしたの? 大学は?」
「今日日曜だよ? 学校もバイトも無し」
「そっかぁ……ってちょっと待って! 昼過ぎ? 何時?」
「15時半ちょい前。もうそろそろなんじゃないの?」
私は慌ててテレビをつける。時刻は15時20分を少し過ぎた辺り。
テレビの画面にはお馬さんがたくさん写っていた。
「今第何レース?」
「さぁ? でもメインのってまだじゃないかな」
「よぉし、間に合った。ありがと晃太郎、お礼におねーさまがチューしてあげよっか」
「アラサーのチューはちょっとなぁ」
「何よ、ご褒美じゃなくて罰ゲームとか言わないわよね? 子供の頃、あんだけ何度も『ひなこおねえちゃんのこと、およめさんにしてあげる』って言ったくせに、純真な女を弄んだわね?」
晃太郎はわざとらしく視線をテレビに移してコーラの蓋を開ける。
仕事がない日、普通のアラサーOLならショッピングだデートだと忙しいのだろう。ただ、私は筋金入のド陰キャ喪女だ。基本的に外には出たくないし、家の中で過ごせるものなら家の中で過ごしたい。
何なら日がな一日、撮りためたアニメを見たり通販や即売会イベントでかった男性同士の熱い友情を描いた薄い本を見ながら、爛れたまま休日を過ごしたい。
パーティだのBBQだのクラブだのといった場所には陽キャ同士で行けば良い。とりあえず私は年末の大規模イベント参戦以外、特に決まった予定はない。
「純真な女の家ってさ、こういう薄い本がそこらへんに落ちたりしてないと思う。知らんけど」
「ちょっ」
ここ数日で一番筋肉を酷使したと言える速度で、晃太郎が拾い上げた薄い本をひったくる。今激しく推している背腹身先生の新作を雑に扱ってしまったことは、あとで懺悔でもしておこう。
「ホント、こういうキッツいの好きだよね、日向ちゃん」
「だーから勝手に触らない!」
再び、今度は既刊で3冊ずつ買ったセットの内1冊をひったくった。油断もすきもあったものじゃない。
「まぁ、こういうの読んでる内は日向ちゃんにカレシとか出来なさそうだよね」
「そういうことはね、陽キャ同士でやりゃいいのよ。あんた私と違って中学生の頃から陽キャなのに、彼女も1人もいないよね?」
「え? いたよ? 中学ん時と高校ん時」
「え、ウソ」
「居たって。中学んときは塾の先生で、高校んときは古文の先生と、あとなんかよくお小遣いくれる同じマンションのおねえさん」
「犯罪じゃん……ねぇダメだからね? 知らないお姉さんとかついてったらダメよ? ホントもう、なんでそういう変な人と付き合うかなぁ」
初耳だ。この子に彼女がいたなんて知らなかった。それも年上ばっかり。
おまけにママ活みたいなことでもしてたんだろうか、お小遣いくれるマンションのお姉さんなんて、事案の臭いしかしない。
「まぁ不思議とさ、俺と付き合った人って俺と別れたあと凄ぇ不幸な目にあってどっかいっちゃうんだよなぁ。俺って疫病神か何か?」
「当たらずとも遠からずなのが怖いのよねぇ」
かしゅ、と晃太郎が買ってきたビールの缶を開ける。
安売りの発泡酒じゃなくて、ちゃんとしたラガービールを買ってくる辺り、この子は分かってる。年上の女をオトすツボというものを抑えてるような気がする。
「さぁて、始まるわよぉ。菊花賞」
「何かデカいレースなんでしょ」
「そうそう。今回のは手堅いのよ。馬連と単勝にそこそこ突っ込んだから」
液晶テレビの画面の中で、十数頭の馬がゲートに入る。
がこん、という音の直後凄まじい勢いで馬たちが飛び出した。そう、この『お馬さんのかけっこ』を応援するのも推し活と同じだ。馬券という形で推して、無事に推しが勝てばリターンがもらえる。
アイドルに貢ぐよりも遥かに現実的で堅実な趣味と言える。
「そこだ! いけ、外から! そう! 刺せ! 突っ込め! 何やってんのもっとバチバチやんなさいよ! いけ! いけぇ!」
「あーもう、日向ちゃんうるさい」
数秒後、私はスマホの画面を眺めながら、今回のレースでも貢いだ推しが勝てなかった事を確認する。同時に、今月の同人誌予算が全部消えていった事も確認済みだ。
「日向ちゃんてさ、絶対もてないでしょ」
「うっさいわね……でもまだまだ、次の天皇賞だってあるんだから!」
開けたばかり、まだキンキンに冷えたままのビールをやけ酒のように喉に流し込む。
「晃太郎」
「なに?」
「おねえちゃんを慰めて」
「ヤだ」
実に軽いやり取り。
実際私はこの子と寝た事がある。
ド陰キャコミュ障喪女とは言え、一応身体だけは女のそれだ。一応女としての機能はあるし、自分で言うのも何だが着痩せするほうではあると思う。
ただ、付き合ってはいない。お互いに割り切った、ストレス発散の運動を一緒にやる間柄、という認識だ。
「どうせヒマなんでしょ? ねぇ」
「部屋片付けて、ちゃんと床が視えるようになったら考える」
「えー? もう、なんでそういう面倒くさい事言うかなぁ、お母さんじゃあるまいし」
口ではグチグチとイイながらも床に落ちた同人誌や大人のおもちゃを拾って適当に段ボールに放り込む。
結局この日、晃太郎は私の家に泊まることになった。
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