第2話 視えないって幸せです

「日向ちゃん、大丈夫?」

 このセリフを、まったく心配していない事がわかる口調で言えることに感心してしまうくらい、実感や心配がまったく籠もっていない言い方。

 ついさっき、私は2件目の現場について、現地確認のために玄関を開けた瞬間、猛烈な吐き気に襲われた。咄嗟にポケットに忍ばせていたコンビニのレジ袋をあけるのが間に合わなかったら、管理物件の玄関に盛大に吐瀉物をブチまけていただろう。

「まぁ日向ちゃんがゲロったってことは、やっぱいるんだね」

「い、いる……とりあえず玄関と風呂場、トイレと和室と、あとキッチン」

「え、そんなに居んの? えー、面倒くさいなぁ」

「とりあえず、間取りからすれば……キッチンがちょうど中心くらいかな。キッチンでお願い」

「はいはい。じゃ大丈夫? 入るよ?」

 レジ袋の口を固く縛り、念の為二重にして車のゴミ箱にとりあえず置いておいてから、晃太郎といっしょに家に入り込んだ。

 さっき、私がドアを開いた瞬間に視えたのは、顔の下顎から上が無くなっている女と思しきナニカ。その後ろからは、眼球が亡くなったミイラ状の老婆に、顔が3つ点いている小さい子供。

 少し奥にある和室にはとんでもなくデカい蜘蛛に能面のような顔がついたバケモノに、最後にキッチンには首のない鎧武者的な何か。

 とりあえず女っぽい何かに襲われそうになって咄嗟に逃げたけれど、多分ドアのすぐ向こうにはまだ居るはずだ。

 晃太郎がドアを開けた瞬間、家の中がパニック状態に陥るのが視えた。

 恐慌を起こして霊だかなんだか分からない異形の者どもが顔があるものは顔を引き攣らせて逃げ惑い、顔がないものは両手両足をデタラメに動かして逃げようとする。

 が、逃げられないようだった。

「どう? いる?」

「……いる……めっちゃいる」

「そっか」

 晃太郎は、いわゆる霊の類が視える人ではない。むしろ『いるんだったら視てみたい』と常日頃からぼやいているが、見たことも聞いたこともない。

 が、それはこの子が『零感』と呼ばれるからではない。むしろその正反対で、あまりにも強すぎる力を持っているために、近づいただけで霊の類を焼き払ってしまうために、視える距離まで来たら既に焼き尽くされている、という理由によるものだ。

 拝み屋をやっていた今は亡き曾祖母は、晃太郎のことを見て『パワー全開、フル回転状態の原子炉が剥き出しで歩いてくるようなもの』と語っていた。

 この子が歩いたあとは、それこそ霊的にぺんぺん草一本残らないほど完璧な焦土になってしまい、地霊や土地神などがいてもお構い無しに焼いてしまう。

 当然この子自身には守護霊なんていないし、何なら私にもいない。この子と行動をともにする内に、完全に焼き尽くされてしまったようだ。

「さてと、キッチンだったよね。ここでいい?」

「そうね……」

 私の目にどんなグロテスクで恐ろしい光景が視えているかもお構い無しに、晃太郎はどかっと床に座り込んでポテチの袋を開け、スマホでホラー動画を見始めた。

「最近さぁ、この人達の心霊写真紹介の動画が面白いんだよね」

「……間に合ってるわよ、そういうの」

「えー、俺見てみたいなぁ」

 呑気にコンソメ味のポテチをぱりぱり食べながら、スマホの音量を大きくする。

 どんなにおどろおどろしい語り口調に、不気味なBGMを重ねて恐怖を演出しようが、今この場で繰り広げられている光景に比べればディズニーの白雪姫並にほのぼのしたコンテンツだ。

 蜘蛛のバケモノは崩れ落ちて体液のようななにかをブチまけながら痙攣し、老婆は既に炭のようになっている。

 女っぽい何かと首無しの鎧武者は青白い炎のような物に包まれて、バタバタと両手足を動かしてもがき苦しんでいる。

 顔が3つある子供は、3つある口でそれぞれに呪いの言葉のようなものを叫び続けているが、すぐにその声も聞こえなくなった。

 どんなにたちの悪い事故物件だろうがいわくつき物件だろうが、この子が12時間も滞在すれば良いものも悪いものもごっそり焼き尽くされる。

 綺麗さっぱり焼き尽くされた後に禍物避けの札を張れば、物件の『清掃』は完了になる。依頼主に完了報告を出してお代を口座振込で受け取る、というのが刑部クリーニング株式会社のビジネスモデルだ。

「今どれくらい経った?」

「まだ5分ちょっと。とりあえず30分くらいいましょっか」

「はぁい」

 この日の仕事が終わったのは、陽も傾き始めた16時少し前。

 最初に玄関のドアを開けたときに催した吐き気もなく、むしろ窓から差し込む西陽に照らされて、いっそすがすがしさすら感じられるくらいには、清掃が行き届いた状態になっている。

「日向ちゃん、今日の晩飯何にする?」

「なに、オゴってくれるの? 私スシローで良いよ」

「うわ、年下の男にたかるんだ」

「私よりもらってるじゃない」

「学生なのに」

「良いじゃない。おねーさんに貢いで」

「えー、ヤだ。俺松屋で食って帰ろ」

「私キムチカルビ丼でいいよ」

「日向ちゃん、友達いないでしょ」

「いないって知ってて言ってる?」

「知ってる」

 あははは、とやたらとだらけた、緊張感なんてカケラほどもない会話をしながら、二人一緒に車のドアを締める。

「はい、じゃ会社帰るよー」

「うぃーす」

 軽自動車のエンジンは快調にかかり、埼玉県の南部にある会社のオフィス目指して走り出した。

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