第7話 ポストフロップという名の迷宮

ソウマが旅立ってからの日々、アカツキはひたすら実戦と、その後の自習、つまりポーカーの学習を繰り返していた。彼の戦いの場は、煌びやかな光に満ちたアミューズメントカジノだ。


彼はソウマから叩き込まれた**「参加するハンドは全てレイズ」**という、極めて厳格なプリフロップ戦略を忠実に守っていた。その結果、彼のプレイスタイルは劇的に改善した。


以前のように、曖昧なハンドで参加し、無為にチップを削られるようなことはなくなった。プリフロップの段階でのミスの数は劇的に減少し、チップスタックは安定し始めていた。


しかし、安堵したのも束の間、アカツキの前に新たな、そして巨大な壁が立ちはだかった。


それは、フロップ(最初の三枚の共通札)が開いた後の、複雑怪奇な戦いだった。


***


その日、アカツキは**BTN(ボタン)**という、最も有利なポジションにいた。


彼のハンドは K♠︎ J♠︎。


キングとジャックのスーテッド(マークが同じ)という、プリフロップでは非常に強力な部類に入るハンドだ。彼は迷わず2.5BBでレイズ。全員がフォールドした後、**BB(ビッグブラインド)**のプレイヤーがコールして、一対一の勝負になった。


ディーラーが三枚の共通札、フロップを開く。


フロップ(場札):9♥︎7♦︎3♣︎


ボードには、アカツキのハンドに直接つながるカードはない。ペアも、ストレートドローも、フラッシュドローもない。彼に残されているのは、キングのハイカードという程度の役の強さだけだった。


(ここで、CB(コンティニュエーションベット、継続ベット)を打つべきか、それともチェックして相手の出方を伺うべきか……)


アカツキの思考は、まるで網の目のように複雑に絡み合った。


「強い役がないから、ここは大人しくチェックして、無料で次のターンカードを見せてもらうべきか?」


「いや、俺がプリフロップでレイズして主導権を握ったんだ。ここで弱気な姿勢を見せたら、相手に**『このフロップは刺さっていない』**と読まれてしまう。主導権を守るために、ブラフ気味でもベットすべきか?」


葛藤の末、アカツキは決断した。ポットの半分程度に相当するチップを前に押し出した。


「ベット」


BBのプレイヤーは、一瞬ハンドを考えた素振りを見せた後、すぐにカードを伏せた。フォールドだ。ポットはアカツキのものになった。


(正解だったのか……?相手のハンドが弱すぎただけかもしれない)アカツキは、勝利の喜びに浸るよりも、むしろ判断の正しさが分からず、釈然としない気持ちが残った。


***


今度は、アカツキはUTG(アンダー・ザ・ガン)という、一番最初にアクションをする不利なポジションで、Q♦︎ Q♣︎という最強クラスのポケットペアを手にしていた。


もちろんレイズ。再びBBがコール。


フロップ(場札):A♠︎K♠︎J♥︎


このボードがめくられた瞬間、アカツキの表情は凍り付いた。


エース、キング、ジャック。そして、スペードのフラッシュドロー。強い役が沢山できるボードで、QQの価値は暴落した。


(ここは怖い!エースやキングを持っている相手には負けている。ここはたとえ強い役があってもチェックだ!)


アカツキがチェックすると、相手は待ってましたとばかりに、ターン(四枚目の共通札)で大きなアクションを仕掛けてきた。ポットの3分の2ほどの、威圧感のあるベットだ。


(くそっ!こんなに強い役が完成しやすいボードで、相手のこの大きなベットサイズは、本物の強さの現れなのか、それとも俺のチェックを見てのブラフなのか!?)


アカツキは混乱した。自分のクイーンのペアは愛着がある。簡単に降りたくはない。しかし、ポットオッズを計算したところで、相手がブラフをしている正確な確率が分からなければ、コールというリスクを負うことはできない。


結局アカツキは、断腸の思いでクイーンのペアをフォールドした。最強クラスのペアを守りきれなかったという事実が、彼の心を重くした。


***


トーナメントが終わり、いつもの喫茶店。


アカツキは、テーブルに置かれたナプキンに、先ほどのフロップのボードを無数に書き連ねていた。


「プリフロップはソウマさんの教えで何となくわかったけど……フロップが開いた後がまるでわからない……」


彼は頭を抱える。


「CB(コンティニュエーションベット)を打つべきなのは、一体どんな時なんだ?強い役がないハイカードでも打たなければならないのか?」


「逆に、自分がコールする側に回った時、相手の大きなベットサイズは、それがブラフなのか、それとも本物の役なのかを、どうやって見分ければいいんだ?」


アカツキの目の前には、「ポストフロップ」という名の、まだ解読の糸口すら見つけられていない新たな数学の扉があった。彼は無力感を覚えながら、この一週間でポーカーというゲームの奥深さと、答えを教えてくれるソウマという師の偉大さを改めて痛感していた。


(ソウマさん、早く帰ってきてください!この**『ポストフロップ』の謎**を解く鍵を、教えてください!)

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