『「ざぁこ♡」と煽るメスガキVの本性が、ガタガタ震えるコミュ障美少女だった件。~元プロの俺だけがその素顔を知っている~』

定時退社なし

第1話 電子の海の暴君と、震えるハムスター

『――さあ、運命の最終ラウンド!スコアは12-12! この一戦ですべてが決まります!』


 鼓膜を揺らす実況の絶叫。


 5対5のタクティカルFPS

『バレット・ライン』。世界大会決勝のステージ。


 あと一歩。あと数ミリ、マウスを動かせば、

 世界一の称号が手に入る。


 敵の足音。右、ショート。二人。

 思考などない。反射神経だけが世界を支配する。


 俺は飛び出した。

 常人なら視認すら不可能な、コンマ数秒の世界。


 タン、タン。


 二発の弾丸が、吸い込まれるように敵のヘッドラインを貫く。


『Double Kill !! 抜いたぁぁぁぁ!! 

 あと一人! あと一人でRENが伝説になる!』


 会場が爆発する。いける。見えた。


 最後の敵の頭に、クロスヘア(照準)が重なる。

 俺が、勝利へのトリガーを引こうとした――その瞬間だった。


 ビリッ、と。


 俺の右手首の中で、何かが焼き切れる音がした。

 激痛。指が、動かない。クリックが、できない。


 画面の中で、俺のキャラクターは棒立ちになり――。


 ズドン。


 敵の銃声が響いた。


 俺の視界がグレーアウトし、モニターに無慈悲な文字が浮かび上がる。


『DEFEAT(敗北)』


『――あっとぉぉぉ!? REN選手、まさかの棒立ち!? 撃ち負けたぁぁぁ!! 逆転! 優勝は……!!』


 歓声が悲鳴に変わり、やがて敵チームへの称賛にかき消される。


 天井を見上げながら、俺は悟っていた。

 世界一まであと0.1秒。そのわずかな距離が、永遠に届かない場所になってしまったことを。


「……はぁ、っ……!」


 俺は荒い呼吸と共に、薄暗いバックヤードで目を覚ました。

 嫌な汗をかいている。ズキズキと幻痛(げんつう)が走る右手首を、反射的に左手で強く握りしめる。


「……また、これかよ」


 24歳、秋。

 **『無冠の帝王』**と呼ばれたプロゲーマー『REN』は、二年前に死んだ。

 ここにいるのは、怪我で引退し、夢の残骸にしがみついているだけのフリーター。

 蓮見(はすみ)練司だ。(れんじ)


「……おい、バイトくん。30番ブース、

ドリンク注文入ってるよ」


「あ、はい。すぐ行きます」


 インカム越しの店長の声で、俺は現実に引き戻された。


 俺が働いているのは、都内の会員制

 ネットカフェだ。全席にハイスペックゲーミングPCを完備し、プロ志望や配信者がこぞって利用する

「eスポーツ特化型」の店。


 なぜ、こんな場所を選んだのか。

 答えは単純で、どうしようもなく未練がましい。


 PCのファンの音と、キーボードを叩く打鍵音に囲まれていないと、息が詰まるからだ。

 戦場を追われた兵士が、火薬の匂いを求めて射撃場をうろついているようなものだ。


「……30番さん、延長ですね。承知しました」


 深夜三時。客足が途絶えたカウンター。

 俺は手持ち無沙汰をごまかすように、スマホの画面を眺めていた。


 映っているのは、今話題のVチューバーの配信アーカイブだ。


『あーもう! 今のカバー遅すぎでしょ! 目が節穴なの? 味方ガチャ運なさすぎて泣けるわー!』


 天音(あまね)ナノ。

 デビューからわずか三ヶ月で登録者50万人を突破した、今もっとも勢いのある個人勢Vチューバー。

 銀髪猫耳の可愛らしいアバターから放たれるのは、容赦のない暴言の数々。


『ほらほら、ビビってないで前に出なよ雑魚ども! 私がキャリーしてあげるから感謝しなさいよね! ざぁーこ♡』


 画面の中で彼女がトリプルキルを決める。

 その瞬間、コメント欄が爆発的に加速した。


『うおおおおお! 今日も口が悪くて最高!』

『罵倒助かる! もっと踏んで!』

『エイムえぐいし口も悪いとか神か?』

『養分にしてください!』


 訓練されたドMリスナーたちの歓喜の渦。

 ナノはそんな彼らを鼻で笑い、さらに追い打ちをかける。


『はぁ……ほんとキッショ。あんたらの人生、私のスパチャ代より価値ないんじゃない? ま、せめて私の踏み台になれることを光栄に思いなさいよね』


 完璧なヒール(悪役)ムーブだ。

 俺は冷めたコーヒーを啜りながら呟いた。


(……才能はあるんだよな)


 エイムの冴えは本物だ。だが、立ち回りが独善的すぎる。

 「撃ち合い」には勝てても、「試合」には勝てない。それが彼女がランクマッチの上位帯で停滞している理由だ。


 まあ、関係ない話だ。彼女は画面の向こうのアイドルで、俺はただの観客なのだから。


 カランコロン。


 その時、入店ベルが鳴った。


「い、いらっしゃい……ませ……」


 自動ドアが開いた先に立っていたのは、季節外れの厚手のパーカーを目深に被った、小柄な人影だった。

 顔の半分以上を大きな黒マスクで覆い、フードの隙間からわずかに黒髪が覗いている。

 不審者レベルMAXだ。


「……お客様? ご利用ですか?」


 俺が声をかけると、その人物はビクリと肩を跳ねさせた。


「……ぁ……ぅ……」


 聞こえない。

 蚊の羽音よりも小さな声だ。

 彼女(背丈からして少女だろう)は、俺と目を合わせようともせず、カウンターの

隅にある料金表を指差した。その指先は、生まれたての子鹿のように小刻みに震えている。


「ハイスペック席をご希望で?」


「(コクコクッ!)」


 激しい頷き。


 会員証を受け取ろうと手を伸ばすと、彼女はお釣りを受け取る時のように手を皿の形にして、接触を極限まで回避しようとしていた。


(……すげぇコミュ障だな)


 深夜のネカフェにはワケありの客が多いが、ここまで挙動不審なのは珍しい。


 彼女は伝票を受け取ると、逃げるように一番奥の個室ブースへと駆け込んでいった。その背中には、彼女の体には大きすぎるゲーミングデバイスのバッグが揺れていた。


 それから三時間後。

 静寂に包まれていた店内に、ドンッ! という鈍い音と、すすり泣くような声が響いた。


「!?」


 音源は、さっきの少女が入った30番ブースだ。

 トラブルか? 機材破損か?


 俺はマスターキーを取り出し、声をかけてからドアを開けた。


「失礼します、どうされまし――」


 言葉が止まった。


 狭い個室の中。

 パーカーのフードを脱ぎ捨てた少女が、膝を抱えて椅子の影に縮こまっている。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔。整った顔立ちだが、今は絶望に染まっている。

 そして、デスクの上のモニターに映し出されているのは――

 FPS『バレット・ライン』の戦績画面。

 そして、デュアルモニターのデスクトップには、『天音ナノ』の配信素材フォルダが開かれたままだった。


「……は?」


 俺は思考停止した。


 画面の中には、ランクマッチ10連敗を示す真っ赤な敗北履歴(LOSE)が並んでいる。

 そして目の前の少女は、涙と鼻水で顔を汚しながら、俺を見上げて震えている。


 これ、まさか。

 さっき見ていた、あの超強気なメスガキVチューバーの中身が……この小動物なのか?


「……み、みみみ……見ないでぇ……!」

 少女は消え入りそうな声で叫び、モニターを隠そうとした。

 だが、俺の目はゲーム画面の戦況に釘付けになった。


 画面上部のスコアボード『12-12』。

 13ラウンド先取のこのゲームにおける、最終局面。


 このマッチは「サドンデス」ルールが適用されており、このラウンドを取った方が即勝利となる。


 しかし、状況は絶望的だ。

 味方4人が全滅。残るはナノ(彼女)一人。敵は5人。1対5(ワン・ブイ・ファイブ)。


 そんな極限状態で、彼女のキャラクターはリスポーン地点で棒立ちになっている。

マウスから手を離し、膝を抱えて震えている。

 戦う意思を失い、試合を投げ出したのだ。


 ――ズキリ。


 引退したはずの、俺の右手が疼いた。

 二年前のあの日、俺は戦いたくても、体が動かなくて負けた。

 だからこそ――**「戦えるのに逃げる」**ことだけは、どうしても許せなかった。


「……どけ」


「ぇ……?」


 俺は少女の肩を掴み、強引に椅子から引き剥がした。

 そして、自分がその席に滑り込む。


「な、ななに……するん……ですかぁ……」


「黙って見てろ。……あの日の続きを見せてやる」


 俺はヘッドセットを首にかけ、マウスを握った。

 まだ、手は動く。短い時間なら、耐えられる。


 スイッチが入る。世界の色が変わる。


 敵の足音が聞こえる。三人。

 全員でこちらを狩りに来ている音だ。慢心した足音。

 それが、唯一の勝機。


 俺は迷わずキャラクターを走らせた。

 逃げるのではない。狩るための位置取りだ。


 飛び出し(ピーク)。

 タン、タン。

 二発の乾いた銃声。

 先頭を走っていた敵の頭が弾ける。


 その瞬間には、俺のマウスは既に次の敵を捉えていた。

 二人目。瞬きよりも速いフリック。

 三人目。スモークの中から飛び出してきた影を、反射的に撃ち落とす。


『Triple Kill !!』


 背後で、少女が息を呑む気配がした。

 ――神の右目は、まだ死んでいない。


 残りは二人。

 俺はキーボードを叩き、単独で敵陣へ切り込む。

 読み合い。心理戦。

 今の俺には、敵の位置が透けて見えるようだ。


 四人目をナイフで処理。

 最後の一人は、スナイパー。遠距離からの狙撃を、わずかな身振り(フェイント)で躱し、一撃で眉間を撃ち抜く。


『ACE(全滅)!!』

『VICTORY』


 勝利のファンファーレが鳴り響く。


 大逆転勝利。

 俺はマウスから手を離し、大きく息を吐いた。

 ズキズキと手首が熱い。……やはり、今の俺にはこれが限界か。


「……ふぅ。ほら、勝ったぞ」


 俺が椅子を回転させて振り返ると、少女はポカンと口を開け、幽霊でも見たような顔で俺を見ていた。


「……ぁ……あ……」


 言葉が出てこないらしい。

 彼女はパクパクと口を動かした後、ハッとして自分のスマホを取り出した。

 そして猛烈な勢いでフリック入力を始める。

 その指の動きだけは、さっきのエイムのように速かった。


 突き出されたスマホの画面には、こう書かれていた。


『……待って。そのマウスの持ち方』

『その顔……二年前に引退した、REN……?』


 バレたか。

 俺は観念して、キャップを被り直した。


「……人違いだ。俺はただのバイトだよ」


 立ち去ろうとする俺の服の裾を、彼女の小さな手が掴んだ。

 振り返ると、彼女は顔を真っ赤にして、涙目で首を横に振っていた。

 離さない。絶対に離さないという、必死の形相だ。


 彼女はスマホに文字を打ち込むと、震える手でそれを俺に見せてきた。

 現実の彼女は、俺と目が合うだけで縮こまり、今にも泣き出しそうだ。

 だが、スマホの画面に表示された文字は、あまりにも雄弁で、攻撃的だった。


『逃がさない。あんた、RENでしょ? 特定したから』

『もし否定したら、あんたの居場所、ネットに晒す』

『「伝説のRENは、今トイレ掃除のバイトしてましたw」って拡散されたくないよね?』


「……お前なぁ」


 俺は呆れた。


 内容は立派な脅迫だ。


 だが、それを突きつけている本人は、ガタガタと震えながら、上目遣いで俺の顔色を窺っている。

 まるで、捨て猫が精一杯の威嚇をしているようだ。


「……で? 俺を脅してどうするつもりだ」


 俺が低い声で尋ねると、彼女は「ひぃっ」と小さく悲鳴を上げた。

 そして、涙目で次の一文を打ち込んだ。


『私のコーチになりなさい』

『今すぐ。拒否権なし。命令よ』

 画面は「命令」だが、彼女自身は両手を合わせて拝んでいる。

 矛盾がすごい。


 だが、その必死さは伝わってきた。

 彼女は本気で勝ちたいのだ。この、不器用で歪んだ方法でしか、助けを求められないほどに。


 俺はため息をついた。

 かつての熱が、胸の奥でくすぶっているのを感じた。

 あの時、掴み損ねた栄光。

 自分ではもう届かない場所に、この少女となら、あるいは――。


「……時給は弾むんだろうな、クソガキ」


 俺の言葉に、彼女の顔がパァッと輝いた。

 彼女はコクコクと何度も頷き、最後の一文を表示させた。


『(契約成立だね! これであんたは私の下僕

一号よ! 死ぬ気で私を勝たせなさい、雑魚コーチ♪)』


「……その生意気な口、いつかリアルでも利けるようにしてやるよ」


 こうして。

 ネット弁慶なメスガキVチューバーと、落ちぶれた**『無冠の帝王』**。

 深夜のネットカフェの片隅で、最高にちぐはぐな師弟関係が結ばれたのだった。

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