EygrenGrau

@Kenzo47

第1話



肺が焼けるように痛む。


自分がどこにいるのか分からない。

分かっているのは――たとえ一秒でも立ち止まれば、**死ぬ**ということだけだった。

足音が乾いた土の地面に響き、不規則な反響が遠くの咆哮…いや、複数の声と混ざり合う。


後ろを見たくない。

見てはいけない。


死ぬ。

死ぬ。

死ぬ。

死ぬ。

死ぬ。

死ぬ――。


ニシは恐怖に駆られながら走り続け、そう繰り返し思っていた。


「な…なんで……? 何が起きてるんだ……?」


少しでも触れられたら……

おれは……はっ、はっ……ぜぇ、ぜぇ……

死ぬ!!!**


カット。


### **第1章 知らない人を信用するな**


「だからさ、ほんとに話してただけなのに、あの男が急にこっちを睨み始めたんだって!」

ハルが怒鳴るように言う。まるでカフェにいる全員に知らせたいかのように。


西は彼らの前に座り、精一杯の笑顔を作ろうとした。心の中では、声を低くしてほしい⋯あるい は、地面に飲み込まれてほしいと願っていた。



「本当に、なんてバカなの」と彼の隣にいた女の子がつぶやいた。


いつものカフェのソファに、いつものメンバーが集まっていた。

二人の女子は大笑いし、ポニーテールの子は笑いすぎて飲み物をこぼしそうになっている。


うるさい。とにかくうるさすぎる。

それでも――これが自分の“グループ”だから。

ニシは場の空気から浮かないよう、ただそこに座っていた。


「それで、あんたたちどうしたの?」

少女の一人がハルに身を乗り出す。まるで壮大な武勇伝でも聞くつもりで――いつもの馬鹿話だというのに。


「他に何ができるってんだよ?」

ハルは胸を張り、どや顔で言った。

「こう、オレの“怖い顔”を見せてさ、『俺たちの話し方が気に入らねぇなら、とっとと失せろよ』って言ってやったんだよ」


みんなが一斉に笑い出した。


「そうだよな、ニシ。ははは」

ハルが言うと、ニシもつられて笑顔を作った。

無理やり「楽しそう」に見せかけた、引きつった笑みだった。


――もし俺があの男だったら、お前のその口を閉じさせるために殴ってるわ。

ニシは心の中でつぶやく。

――まあ、あの時の話でもしてやるか。


「俺も似たようなことあったんだよ」

ニシは思い出しながら口を開いた。

「列に並んでたら──」


「すみませーん! もう一つください!」

ハルの隣のポニーテールの女子が、勢いよく手を上げて叫び、ニシの言葉を遮った。


「ご注文は以上でよろしいですか?」

店員が問いかける。


「それだけで」

ハルが答えた。


「私は大丈夫」

ハルの隣に座っていたもう一人の女子が言った。

まるで店員への興味を隠すつもりもないような口ぶりだった。

無理もない――金髪で、大きな青い瞳をしたその店員は、主人公よりもずっと魅力的に見えた。


「で、俺が言ってたんだけど――」

ニシは話を続けようとした。だが、その声は仲間たちのあからさまな無関心の中にあっけなく溶けていった。


誰も自分を見ていないと気づいた瞬間、言葉は喉の奥でしぼみ、そのまま消えていく。

結局ニシは口を閉ざし、ただ彼らが自分を置いて盛り上がり続けるのを静かに眺めるだけだった。


「このあと、どうする?」

ハルがポニーテールの女の子にそっとささやいた。


こんなに平然と話してるくせに、俺のことは無視して……

ニシは心の中で思った。


今夜ずっと、ずっと仲間外れにされてる。

もう隠そうとすらしていない。


もしかして俺は……

**透明人間なのか?


俺はまるで、その **「透明」** という言葉の“影”みたいな存在だ。

その言葉に光が当たるたび、俺はただ薄く反射するだけ。


テーブルのざわめきが、だんだん遠くへ消えていくように感じた……。

だがニシは肩を落とさなかった。

まるで、たった一語で自分を定義されることに、必死で抗っているかのように。


「じゃあ、私も行く!」

二人の話していた“この後の予定”に、まるで当然のように割り込むように彼女が言った。

その計画には、彼女の名前がまったく出ていなかったのに。


「ちょっと! 私に内緒で予定立てるなんて、どういうつもりよ、あんたたち!」

腕を組み、可愛らしく頬をふくらませながら抗議する


「ごめん、ごめんって」

ハルは笑いながら答えた。

「怒るなよ。」


「ねぇ、あんたの友だちって、なんかすごく無口じゃない?

なんで、もっとマシな人連れてこなかったの?」

ハルの隣の女子が大声で言い放った。


「ほんとだよ。なんでこいつ連れてきたの、ハル?」

ポニーテールの女子が身を乗り出し、片手で頬を隠しながら、ニシに聞こえないような方向に口を向けてささやくように言った。


「こいつ、別に友だちじゃないし……

それに、モテそうにも見えないだろ? ははっ」

ハルがバカにしたように笑った。


「俺の名前は西条イチロウ……」

彼は心の中でつぶやきながら、彼らの会話を聞いていた。


「同じクラスだった。ただ明るくて社交的な奴“っぽく”振る舞っていただけで……

実際のところ、俺は一度もちゃんと輪に入れたことなんてなかった。」


「俺に全部聞こえてるって知ったら……クソ野郎どもめ」

ニシは心の中で毒づいた。


だがその思考は、周りのひそひそ声によってあっさりと遮られた。


「笑わないでよ」

女の子の一人が小声で言い、ニシと視線を交わした。


「たぶんさ、人と話すのが苦手な“ちょっと変な子”なんじゃない?

ただ必死に輪に入ろうとしてるだけで……」

彼女はニシを見つめながら、同情したように言い放った。


「かわいそうに……」


それを聞いた瞬間、イチロウは奥歯をぎりっと噛みしめた。

怒りに震えるように目が光り――


その直後、視界がすべて闇に沈んだ。


ただ一つだけ、はっきり浮かび上がる言葉。


***「怒」

――_anger_, _to get angry_。


――_いったい俺は、なんでここになんか来たんだ?_

イチロウは、ほとんど哀れむようなため息をつきながら思った。


――_お前らなんかと関わらなきゃいけないなんて……ほんと、無駄な重荷だよな。_

鼻梁をつまみ、苛立ちを押し殺しながら続ける。


――_こんなバカどもに愛想を振りまく必要があるなんて……「本気で俺と自分たちが同じだと思ってるのか?」冗談じゃない。_


わずかに頭を垂れながら、そう心の中で吐き捨てた。


イチロウはゆっくりと顔を上げた。

込み上げる怒りを必死で押さえ込みながら、静かな――だがどこか傲慢さを帯びた表情で周囲を見渡す。


その余裕ぶった表情とは裏腹に、こめかみに浮かんだ太い血管が、彼の感情を雄弁に物語っていた。

まるで、さっきの言葉などまったく気にしていないと言わんばかりに。


結局、その「デート」は俺が何度も何度も「落ち着け」と自分に言い聞かせながら過ぎていった。

予想通り、ハルは女の子たちと一緒に帰ってしまい、俺はただ腕を上げて遠くから見送っただけだった。


手を下ろした瞬間、胸の奥に怒りが溜まっていくのを感じた。

拳を強く握りしめ、内側で煮えたぎる苛立ちを隠すことができなかった。

その時、俺の表情は完全に変わっていた。


拳を握ったまま数歩歩き、顔に不快さを出さないように努めた。

「チッ…だから何だよ」――背筋を伸ばし、苛立った顔で呟く。

「アイツらなんて俺の相手にもならねぇ」


胸に空いた穴を隠すように、傲慢な笑みを無理やり作った。

「価値なんてない」――何度も繰り返す。

「ハル? あの女たち? くだらねぇ…」


ふと携帯を見た。画面にはジャックの写真が映っていた。

俺の大好きなアクションキャラ――荒々しく、野生的で、誰にも誇りを踏ませない男。


「ジャックならどうする…?」と呟く。

――子供の頃から、ずっと彼みたいになりたかった。


頭の中で声が聞こえた気がした。

「頭を上げろ、バカ。誰にも怯むな。」


その言葉に、俺は拳をさらに強く握りしめた。

今度は怒りではなく、自分を奮い立たせるために。

自信を見せれば――たとえ自分にだけでも――

いずれ周りも信じるかもしれない。いや、俺自身だって。

少なくとも…ジャックならそうするだろう。


家へ向かって歩いているうちに、気づけば交差点の真ん中に立っていた。


一歩踏み出す。

靴底がアスファルトに触れる直前――

「波動」のような音が響いた。


そして、足を下ろした瞬間――世界が止まった。


街は消え、すべてが――例外なく――漆黒に染まった。

足元の感覚もなくなり、俺は闇の空間に浮かんでいた。


「な、何が起きた…? ここは宇宙なのか…?」

西(ニシ)は困惑しながら周囲を見回した。


「ほう、ほう…やはりお前が、俺の魔力に共鳴した者か…」

知らない声が響いた。


目の前に小さな光が灯り、男のシルエットが浮かび上がる。

黒一色の**袖なし武道着(ノースリーブの道着)**をまとい、全身が影のように覆われている。

鍛え上げられた筋肉、首には大きな真珠の首飾り。

目と口だけが見え、斜めに構えた姿勢から、不気味な笑みを浮かべていた。


「誰だお前はっ!!」

イチロウは叫び、明らかに動揺していた。


「さて…俺は――“売人(ベンダー)”だ。」

未知の男は答えた。


その声は彼自身からではなく、あらゆる方向から響いているように感じられた。

「売人…? なんだその答えは…」

ニシは心の中でつぶやいた。


「そうだ。」男は主人公の前に立ち位置を変えながら答えた。


「いったい何が起きてるんだ…俺は死んだのか? それとも幻覚を見てるのか?」

ニシは両手に息を吹きかけ、まだ呼吸していることを確かめた。


「俺に何を望むんだ?」

ニシは強がって問いかけた。


「おいおい、落ち着け。そんなに慌てるな。」

男は威圧的な声で言い放ち、強烈なオーラを放った。


ニシは目を見開いた。――これが“オーラ”なのか?

生涯で一度も見たことがない力。そんなものはお気に入りのアクションシリーズでしか存在しないと思っていた。


「なあ、坊主。俺と一緒に来ないか?

異世界へ渡り、魔法を使い、あらゆる戦いを経験できる。これ以上の人生はないだろう。」

男は続けた。


「ここにいるのは、お前が選ばれたからだ。

俺の魔力は、強く戦いを望む者だけを導く。」



ニシは衝撃の表情を浮かべたままだった。

生涯ずっと憧れていた力――今、目の前にその象徴が現れている。

頭の中にはただ一つの明確な思いがあった。

「俺も…この力が欲しい。」


ニシの笑みは大きく広がった。

「やろう。」自信を込めて答えた。


反応する間もなく――

世界が反転し、主人公の体は吹き飛ばされた。


売人(ベンダー)の姿は歪み、なおも笑みを浮かべていた。


音が響く。波動、破裂、断裂。


まばたきをした。


そして目を開けると、俺は地面に倒れていた。

人々は周囲を通り過ぎていくが、誰一人として俺に目を向けない。

その瞬間、ほんの一瞬だけ――すべてが幻だったのかと思った。


「……これは、何だ?」近くで声が聞こえた。


俺はゆっくりと体を起こした。まだ頭が痛む。

周囲を見渡すと、若い少年たちが何人もいた。

まだ座り込んでいる者、額を押さえてめまいに耐えている者――皆同じように混乱していた。


(なぜこんなに人がいるんだ……?)

(俺は別の世界に送られたはずじゃなかったのか?)


「つまり君たちも、この世界の“英雄”になるために送られてきたんだろ?」

黒髪の少年が、混乱を隠すように笑みを浮かべながら言った。


「立てるか?」彼は手を差し伸べてきた。

「俺たちも、到着した時はめまいがひどかったんだ。」


「いったい何が起きてるんだ……?」

俺はその手を借りながら問いかけた。


――あの存在は、他にも人がいるなんて一言も言わなかった。


(ニシ……? 存在……? 何を言ってるんだ?)

心の中でつぶやく。


「なぜ何も教えてくれなかったんだ?」

黒髪の少年はそう呟いた。



その時、足音が響いた。

重く、巨大な何かが近づいてくるような音――だが姿は見えない。


周囲を見渡す。窓も、扉もない。

ただ広い石の部屋、四方を閉ざされた石の箱のような空間だった。


「ここは…どこなんだ…?」

俺は小さくつぶやいた。


足音が止まった。


突然、動かないはずの壁が真っ二つに裂け、巨大な扉のように開いた。

石が左右に滑り、乾いた轟音を響かせる。


その隙間に現れたのは――見覚えのある声の持ち主。

長いマント、傾いた帽子。

闇の中で話していた、あの声の男。


――売人(ベンダー)。


「連れて行け。」

冷たい声が響いた。


反応する間もなく、武装した兵士たちが部屋に雪崩れ込んできた。

何人かは近くの少年たちに飛びかかり、

他の者は迷いなく隊列を組んで前進してきた。


「なっ――!? おい! 離せ!」

誰かが叫んだ。


俺はまだ回復していなかった。わずかに後ずさりした瞬間、二人の兵士に両腕を掴まれた。


その時、真実が腹に直撃するように落ちてきた。


――騙された。

そして、もう手遅れだった。


ニシはまだ床に倒れたまま立ち上がろうとしたが、乾いた一撃が視界を黒く染めた。

気を失い、他の者たちと一緒に引きずられていった。


意識を取り戻した時、俺は長く狭い廊下に倒れていた。

その先には一枚の扉があり、首にはきつく締められた首輪――鎖で他の少年たちと繋がれていた。


「質問せずに立て。」

前にいた少年が、こちらを見もせずに囁いた。


ニシは唾を飲み込んだ。


「鎖を外されるぞ…」

扉に一番近い少年が、緊張で震える声を漏らした。


他の者たちは列を作り、うつむいたまま荒い息をついていた。

ニシがようやく立ち上がり、理由を問いかけようとした瞬間――視線が兵士たちと交わった。


廊下の両側には長い列を成す兵士たち。

完璧に整列し、片手を剣の柄に置いたまま。

誰も話さない。誰も動かない。

ただ、待っているだけだった。


(逃げたいなら…隙を見つけるしかない。)

ニシは歯を食いしばった。

(今は従っておく方がいい…)


やがて兵士たちは一人ずつ鎖を外し始めた。

金属が床に落ちる音が響き、その瞬間、全員の胸に小さな希望と安堵が広がった。

まるで新鮮な空気が吹き込んだかのように。


鎖がすべて外された時――

廊下の奥に、売人(ベンダー)が姿を現した。


奇妙な装飾の施された巨大な扉の前に立ち、冷たく、計算された、満足げな笑みを浮かべていた。


「ようこそ、“英雄”たち。」

偽りの丁寧さで売人(ベンダー)は告げた。


その言葉に、廊下の両側に並ぶ兵士たちから笑い声が爆発した。

中には鎧を叩きながら、あからさまに嘲笑する者もいた。


売人が片手を上げると、背後の巨大な扉がゆっくりと開き始めた。

熱い空気が流れ込み、遠くからの叫び声と金属の匂いが混ざり、ニシの血を凍らせた。


「――ようこそ、エイグレンの地下闘技場へ。」


売人は数歩前に進み、集団の正面に立った。

兵士たちの笑いは止んだが、その口元の笑みは消えなかった。


「さて、君たちは何が起きているのか疑問に思っているだろう。」

売人は帽子を整えながら、苛立たせるほど落ち着いた声で続けた。

「そして混乱しているはずだ…よく考えてみろ。君たち一人ひとり、俺を違う姿で覚えているんじゃないか?」


少年たちはざわめき始めた。


「えっ……?」

「俺には優しい老人の姿で現れた…」

「私は女神を見た…」

「俺は輝く騎士だった…」


ニシは背筋に寒気を覚えた。

(全員、まったく違う姿を見ている……嫌な予感がする。)


売人(ベンダー)が指を鳴らした。


「その通りだ。俺はお前たち一人ひとりを騙した。

望むものを見せただけだ。信じさせるための“完璧な姿”をな。

それが俺の仕事だ。だから俺は“売人”と呼ばれる。」

鋭い歯を見せて笑う。

「知らないのか? “見返りもなく何かを差し出す見知らぬ者を信用するな”って言葉を。」


彼は舞台の司会者のように、恐ろしいゲームのルールを説明するかのように歩き回った。


「そうだ、俺はお前たちを魔法の存在する世界に連れてきた。

それについては嘘をついていない。」


一瞬、何人かの瞳が輝いた。


だが売人は立ち止まり、冷酷な視線を突き刺した。


「だが――俺は一度も“お前たちがそれを使える”とは言っていない。」


沈黙が重くのしかかり、胸を押し潰すようだった。


「じゃあ……」少年の一人が口ごもった。

「俺たち……騙されたのか?」


「もちろんだ。」売人(ベンダー)は当然のように答えた。

「それが俺の仕事だ。英雄にするために連れてきたんじゃない。

この場所には“娯楽”が必要だったからだ。」


ニシの胃は沈み込むように重くなった。


「よく聞け。」売人は続けた。

「“システム”は単純だ。今日の試練を生き延びれば、俺が直々に解放してやる。

自分の足でここを出られる。それは保証しよう。」

まるで特別割引を提示するかのように身をかがめた。


「だが、生き残れなければ……ただ死ぬだけだ。説明はいらない。」


「じゃあ、もし参加を拒否したら!?」

少年の一人が叫んだ。


売人は目を細め、笑みを浮かべた。


「何もする必要はない。ただ立ち尽くして殺されればいい。

その方が早い。」


彼は背筋を伸ばし、巨大な扉を指差した。


「お前たちは十人。相手は五人の本物の剣闘士。

力を合わせれば


仲間たちは凍りついたように動けなかった。


ニシは唾を飲み込み、震える手を感じていた。


誰かが抗議する前に、質問する前に、叫ぶ前に――

売人(ベンダー)の体は煙のように風にさらわれ、透き通っていった。


「幸運を祈る、“英雄”たち。」

声だけが残り、やがて完全に消えた。


光が廊下を満たした瞬間、全員が混乱に陥った。

後ずさりする者、叫ぶ者、ただ立ち尽くす者。

だが兵士たちは一切の猶予を与えず、全員を出口へと押し出した。


そして――扉を越えた瞬間、視界が拳のように俺を打ち据えた。


闘技場は巨大だった。

円形のコロシアムが何層にも重なり、観客で埋め尽くされたバルコニーが取り囲んでいる。

中央には家ほども大きな岩の塊が突き出ていた。

そして観客席から、数千の声が爆発し、轟音となって押し寄せた。


叫び声。拍手。嘲笑。賭け声。


突然、闘技場全体に声が響き渡った。


「――今夜の娯楽へようこそ!!」

残酷な熱狂を込めてアナウンスが続く。

「ここにいるのが我らの“英雄”たちだ! その顔を見ろ……最初に死ぬのは誰か、早く賭けろ!」



笑いの波が闘技場を覆った。


声は続いた。

「ルールを忘れるな! 死ぬ順番を賭けろ――最初から最後まで!

そしてボーナスだ! 豚を捕まえた者には特別な賞が与えられる!」


「……豚?」誰かが震えながらつぶやいた。


「競馬みたいなものだ!」

一人の少年が絶望的に叫んだ。

「俺たちに賭けてるんだ! 俺たちが馬なんだ!」


(いや……これは闘牛に近いな。)

主人公は心の中でそう思った。


別の少年が涙を流しながら叫んだ。

「生き残りたいなら戦うしかない! 俺たちは十人、相手は五人だ!

まだチャンスはある! 二対一で挑めば勝てる!」


さらに別の少年が顔を歪め、闘技場の反対側の扉を指差した。

「剣闘士はあそこから出てくる! 出てきた瞬間に攻撃すれば奇襲できる!

それしか方法はない!」


不安げなざわめきが広がった。

必死にうなずく者もいれば、震える者もいた。



その時、司会者の声が再び響いた。


「――準備はいいかァァ!!」


十人の少年たちは正面の扉を見つめた。

耐えられないほどの沈黙が広がる。


「――いけェェェ!!」


剣闘士の扉が、金属の轟音とともに開き始めた。


そして――全員が走り出した。

中央へ向かう者。

左右へ散る者。

まだ半開きの扉へ突進し、攻撃を試みる者。


誰も本当の計画を持っていない。

誰も自分が何をしているのか分かっていなかった。


「豚を放せ!!」

司会者が叫んだ。


その瞬間、闘技場に小さな生き物が放たれた。

子豚のような姿――素早く走り、混乱の中へと消えていった。


そして、虐殺は始まろうとしていた。


叫び声がすぐに響き渡る。


「うわああああ!!」

少年たちは方向もなく


二人の少年が剣闘士の扉に最初にたどり着いた。

俺は少し後ろにいて、ただぼやけた動きしか見えなかった――あまりにも速すぎて目で追えない。


そして、一瞬の出来事が起きた。


一人の少年が斜めに切り裂かれ、肩から腰まで体が二つに割れた。

あまりにも容易く斬られたため、時間が止まったように感じられた。


隣にいた少年は瞬きをし、困惑した。

突然、自分の背中を目の前に見て――そのまま後ろへ倒れていった。

飛んでいたのは彼の**頭**だった。

あまりにも速く斬られたせいで、自分の体が首のないまま数歩走り続け、やがて崩れ落ちた。

その瞬間、時間は再び動き出した。


悲鳴が耐えられないほど響き渡る。

全員が恐怖に駆られ、後退した。


暗闇の扉から現れたのは――巨大な怪物。

全身を覆う鎧は、まるでヤドカリの殻のように硬く重く、奇妙な紋様が刻まれていた。

上半身は異様に大きく、不釣り合いで――中に人間がいるとは思えなかった。


兜は鎧と一体化しており、顔は見えない。

ただ、緑色の不気味な光を放つ二つの目だけが輝いていた。


「――そして今夜の最初の悪夢だ!」

司会者が吠えた。

「恐るべき生きる魔鎧、バスタ!!」


言葉が終わるや否や、さらにいくつもの影が背後から飛び出した。

バスタは扉の前に山のように動かず立ち尽くし、

その後ろから解き放たれた捕食者のように影が滑り出てきた。


俺は走った。

喉が焼け、肺が燃えるほど速く走った。


(無理だ……! 不可能だ!)

胃が沈み込むように重くなりながら思った。

(あんな化け物に立ち向かえるはずがない!)


突然、背後から素早い足音が響いた。

一つの影が前傾姿勢で進み、地面すれすれを滑るように迫ってくる。

手には奇妙な物体――短い杖のようなものを握っていた。

顔を覆う暗いマントをまとい、だがその足元――

ブーツは奇妙な黄色の輝きを放ち、まるで魔力を帯びた金属でできているかのようだった。


その影は全員を視界に収める位置で立ち止まった。

勢いのまま数メートルも滑り、まるで雪の上を走るようだった。


そして――素早く杖を後ろに引き、前へと振り出すと、

その杖は弓へと変化した。



「気をつけろ、弓兵が来るぞ!」

司会者が興奮した声で叫んだ。


閃光。

そしてすぐに――**複数の矢が空へと放たれた。**


俺は反射的に振り返った。


一瞬、安堵した。

いくつもの矢が地面に落ちても爆発しなかったからだ。

それらは針のように細く、矢ほどの大きさを持ち、黄色いエネルギーで輝いていた。

だが、その安堵はすぐに消えた。


そのうちの一本が、後ろにいた少年の左半身をかすめた。

ただのかすり傷――そう思った瞬間、彼の胴体の半分に、完璧な円形の巨大な穴が開いた。


音は乾いた木が裂けるような轟音だった。

まるで大砲の弾に撃ち抜かれたかのように。

彼の叫びは即座に途切れた。


その後に訪れた沈黙は、叫び声よりも恐ろしかった。


俺は走った。

全員を置き去りにするほど速く。

脚は勝手に動き、俺自身より先に逃げようとしていた。


左右を見渡した瞬間、すべてがゆっくりになった。

夢のように……いや、悪夢のように。


観客席には数千もの人々がいた。

笑う者、声援を送る者、指を差して嘲る者――まるでここがサーカスであるかのように。

俺たちが人間ではないかのように。

俺たちの死が娯楽であるかのように。


「俺はもう死んだ……。

殺される……。

こんなこと、何の意味もないのに。」


喉から壊れた笑いが漏れた。

「ハ……ハハ……俺は死ぬんだ。ようやく分かった。もう後戻りはできない。」


突然、目の奥に涙の熱さを感じた。


(なぜ今になって泣きたいんだ……?

この恐怖はどこから来る?

俺はずっとこんなに惨めだったのか? これが本当の俺なのか?

今まで見せていた傲慢さはどこへ行ったんだ……?)


一歩ごとに、頭の中の声が砕けていった。


(俺の死は……誰かの娯楽になるのか……?)


「――ふざけるなァ!!」

自分でも知らなかった怒りが爆発し、俺は吠えた。


足を止めた。

このまま愚かに走り続ければ、ただ背中を晒すだけだ。

格好の的になる。


(こんな終わり方はできない。生き残らなければならない。)


恐怖はあまりにも速く俺を侵した。

(こんな俺が、どうやって今まで生きてきたんだ……?)


記憶が脳裏を支配した。

子供の頃、俺は違っていた。

何も恐れず、いつも強くなりたいと願っていた。


ニシは学校でのドッジボールの試合を思い出す。


皆に嫌われていた俺は、チャンスがあれば全員が一斉に俺を狙った。

だがその時、俺は自分を英雄だと感じていた。

今と同じだ――全員が俺に向かってくる。



ボールが飛んでいた記憶が蘇る……。

次々とそれを避け、立ち続ける俺。

苛立つ彼らを横目に、俺はまだ倒れなかった。


(同じようにやってやる。)


脚が反応した。

俺は走った。

世界が再びゆっくりと動き出し、まるで俺にチャンスを与えているかのようだった。


背後の仲間たちは、もうすぐ狙われるところだった。

だが俺は思い出した――。


「調子に乗るな、バカ!」

あの試合で、少年が俺に叫んだ。


ボールが顔めがけて飛んできた。


そして現在――バスタの伸縮する銛が俺に向かって飛んできた。

軌道、角度、速度――すべてが俺にはゆっくりに見えた。


俺の体は自然に後ろへと動き、銛をかわす。

そのまま腕の下を滑り抜け、前へ走り続けた。


ニシは銛をかわしながら前へ進んだ。

バスタが再び攻撃を仕掛けてきたが、俺はさらに強く走った。


(……まだやれる。)


倒せないかもしれない。

だが少なくとも――**遊んでやる**ことはできる。


俺はフードをかぶった弓兵との距離を詰めた。

その男は俺の速度に驚き、後退しながら短剣を抜いた。


だが俺は別のボールを思い出した。

背後から投げられた、あの一球を。


振り返らず、本能だけを信じて素早く身をひねった。

剣が頬をかすめて通り過ぎる。


あの日のコートと同じ感覚――

皆が驚き、どうして避けられたのか理解できなかった。


だが、距離を取られれば弓兵に撃たれる――それは分かっていた。


前方に巨大な岩の塊が見えた。

(俺の唯一の救いだ。)

だが、あまりにも遠い。


(もう時間がない……。

弓を使われたら、俺は終わりだ。)


「……え?」

俺は息を切らしながら一瞬立ち止まった。

「なぜ撃たない……?」


弓兵は何もしなかった。

ただ、侮辱するような落ち着いた笑みを浮かべ、弓を構えた。

――俺ではなく、前方へ。


俺は岩の塊へ向かって走った。


考える暇はない。

必死に岩をよじ登ろうとした。


だがその時――俺は売人(ベンダー)の言葉を思い出した。



(「お前たちは――五人の剣闘士と戦うことになる。」)


五人……?

すでにバスタを見た。弓兵もいた。

では、残りはどこにいる?


背筋を冷たい稲妻が走った。


ほとんど頂上にたどり着いた時、下に人影が見えた。

美しい少女――銀の鎧に金の装飾をまとい、両刃の直剣を手にしていた。


(ただの少女……? 残りの二人はどこに……?)


理解する前に、彼女は人間の弾丸のように爆発的に前へ飛び出した。

桃色のオーラに包まれ、俺に向かって一直線。逃げ場はない。


空中で彼女を見た瞬間、下からバスタの銛が飛んできた。

だが彼女は一瞥すらしなかった。


そのオーラから――まるで自らの力から生まれるように、**もう一人の少女**が姿を現した。

髪を結い上げた彼女は、まったく同じ姿。


その分身は純粋な力の一撃で銛を斬り砕いた。



司会者が高らかに吠えた。


「――見間違いじゃない! キメラ三姉妹!

同じ生命の力で結ばれた三人の姉妹だ!」


三人。

残りの三人はそこにいた。


彼女は岩の上に着地し、その衝撃で岩全体が震えた。


俺の足が滑り、崖の縁に落ちかけた。

その時――手の下で小さく震えるものが動いた。


子豚だった。


ゲームの最初に響いた声を思い出す。


(「豚を捕まえた者にはボーナスが与えられる!」)


俺は両手でそれを掴んだ。

ちょうどその瞬間、少女が岩に着地する衝撃音が響いた。


振り返った。

彼女がそこにいた。

バスタがそのすぐ後ろに立ち、

弓兵は反対側から俺たちを挟んでいた。


なぜ攻撃してこない……?


「――それを渡せ。早く。」

少女は冷たい声で命じながら近づいてきた。


彼らは俺を殺すことよりも、豚に興味を示していた。


だから俺は動いた。


考えるより先に、豚を少女の頭上へと投げ上げた。


「チッ!」

弓兵が舌打ちし、即座に矢を放った。

狙いは俺ではなく、彼女――豚を奪おうとしていた。


その瞬間、左側にもう一人の少女が現れた。

短剣を振るい、矢を次々と斬り払った。


俺は崖の縁に立っていた。


バスタが腕を伸ばす。

その銛は槍のように伸縮し、突き出された。


最後の瞬間、俺は全力で後ろへ跳んだ。

完璧ではなかったが――それで十分だった。


銛は心臓を貫かなかった。

肩の近くに突き刺さり、肉を裂いた。

衝撃で俺の体は後方へ吹き飛ばされた。

息が途切れ、岩の裏の虚空へと落ちていく。


最後に見えた光景は――

少女が空中で子豚を掴み、勝利のように天へ掲げる姿だった。


司会者が歓喜に満ちて叫んだ。


「――これにてゲーム終了!! 勝者が決まった!!」


そして、俺の周囲は闇に包まれた。


観客席では、群衆の狂乱の咆哮の中、売人(ベンダー)がまるで祭りの主催者のように拍手していた。


しかしその顔は真剣だった。

(これは俺の予定とは違う……。

本来なら、あの三人がボーナスを巡って戦うはずだった。

まさか豚をこんなに早く見つけるとは思わなかった。

……だが、これも悪くはない。)


観客たちは笑い、喜び、口々に叫んだ。

「素晴らしい!」――そんな声があちこちから響いた。


群衆は合唱し、叫び、剣闘士たちの勝利を祝った。

彼らにとって、すべては完璧な娯楽だった。


その喧騒の中、一人の衛兵が走り寄ってきた。

彼は身をかがめ、売人の耳元に囁いた。


「……旦那様。

生き残った者が――一人います。」


売人(ベンダー)の拍手が止まった。

ほんの一瞬。

そして、ゆっくりと笑みがその顔に浮かんだ。


「……ほう?」

捕食者が面白い獲物を見つけた時のように、彼の目が光った。

「本当か……?」


観客はまだ気づかずに歓声を上げ続けていた。

だが、その知らせは空気に漂い続けた。


――誰かが、落下から生き延びていた。


その事実と、拍手の余韻、そして売人の邪悪な笑みの中で……


**第1章は幕を閉じた。**

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