第十二話:魂の取引
第一場:接触
アジトの空気は、張り詰めていた。アリスが仕掛けた「罠」であるジェネシスのコード。そのコードに反応した「イカロス」の返信を待っていた。
システムに、一本の暗号化されたメッセージが、何の痕跡も残さずに届いた。ユーザーネームは「ザイオン」。メッセージは、あまりに短く、そして傲慢ですらあった。
<ザイオン>:OK。座標を送る。一人で来い。
画面に、一つの座標データが表示された。
「罠だ! 百パー罠だぜ、健一!」とRが叫ぶ。
「彼のデジタルフットプリントはクリーンです。どの組織にも属していません。しかし、物理的な接触のリスクは計測不能です」とアリスが分析する。
健一は、決意を固めていた。この男は、自分たちの正体を探るような小細工はせず、いきなり核心を突いてきた。その魂胆を、直接確かめるしかない。
「…行くよ。俺が行かなければ始まらない」
第二場:取引
指定された座標は、都市の深層にある、稼働を停止した古い工業地区だった。錆びついた機械が、巨大な墓標のように立ち並んでいる。
健一が一人で待っていると、影の中から、陽気な声がした。
「YO! アンタがゴースト使いか?」
現れたのは、鮮やかな色のジャケットを羽織り、長く編み込まれたドレッドヘアを揺らす、陽気な雰囲気の男。彼が、ザイオンだった。彼は、警戒する健一の周りを値踏みするように歩きながら、単刀直入に尋ねた。
「で、お前らの目的はなんだ?」
「…GRIDの外側に、新しい世界を創ることだ」
健一の答えに、ザイオンは腹を抱えて笑った。
「はーっ! そりゃあご立派なこった! だが、俺には関係ない。俺は、あのジェネシスのコードが欲しいだけだぜ」
「力を貸してほしい。君のスキルが必要だ。仲間になってくれ」
健一が、本来の目的を伝える。しかし、ザイオンは鼻で笑った。
「仲間? メリットがねえな。なんで俺が、この世界の全部を敵に回してまで、お前らの革命ごっこに付き合わなきゃならねえんだ?」
ザイオンは、交渉の余地はないとばかりに、健一に背を向けた。なすすべがない。Rから「だから言わんこっちゃない!」という思考通信が飛んでくる。健一は、唇を噛みしめた。
その時、立ち去ろうとしたザイオンが、ふと足を止め、思い出したように振り返った。
「ああ、そうだ。あんたのマーケットの、あのボブ・マーリー。出品者はあんただろ? 少し割引してくれない?」
その言葉を聞いた瞬間、健一の表情から、迷いが消えた。Rからの思考通信も、アリスの分析も、もはや彼の耳には届いていなかった。彼は、この交渉の唯一の突破口を、自分の直感の中に見出していた。
健一は、ザイオンの目を真っ直ぐに見据え、きっぱりと、そして堂々と答えた。
「…あれは、値下げできない」
「は? なんでだよ」
「あの音楽の価値は、金で測れるものじゃない」
ザイオンは、健一の真剣な目に、少し驚いたような顔をした。
そして、健一は、最大の賭けに出た。
「…だが、あんたが仲間になるなら、話は別だ」
「…なんだと?」
「仲間になってくれるなら、あのデータは、無償であんたに譲る」
長い“間”が流れた。ザイオンは、健一の顔と、何もない空間を交互に見比べ、やがて、天を仰いで、今日一番の大きな声で笑い出した。
「くくく…はーっはっは! マジかよ! 最高だな、アンタ!」
彼は、まだ笑いながら言った。
「OKだ、ブラザー! その取引、乗った! コードと音楽のためなら、神様にだって喧嘩を売ってやるぜ! ただし、ブツが本物じゃなかったら、この話はナシだ」
第三場:魂の証明
こうして、取引は成立した。ザイオンは、まだ少し疑いの目を向けながらも、健一についてきた。
「で、どこなんだ? あんたらのアジトは。こんな場所に、ゴーストみたいなAIが二人もいるのか?」
「…ついてこい」
健一は、来た道を引き返し始めた。背後には、陽気に鼻歌を歌うザイオンの足音が続く。信用されたわけではない。だが、彼の魂が“本物”であることは、健一にも分かっていた。
やがて二人は、地下廃線路の、隠された入り口の前にたどり着いた。
「ここか。イケてるじゃねえか」
健一は、重い鉄の扉を、ゆっくりと開いた。
アジトに入ったザイオンは、まずアンドロイドの姿のアリスを見て、口笛を吹いた。
「おお、聞いてたより、ずっと美人さんじゃねえか」
「…肯定的な評価、感謝します」
感情のないアリスの返答に、ザイオンは肩をすくめる。そして、Rの端末に目を向けた。
「で、こいつが噂のゴーストか?」
「ようこそ、物好き」とRの声が響いた。「ようこそ、無謀の最前線へ」
健一は、アジトの片隅に保管していた、あの物理データクリスタルを手に取り、ザイオンに差し出した。
「…約束の、ボブ・マーリーだ」
ザイオンは、受け取ったクリスタルを自らのヘッドマウントディスプレイに接続すると、その場に座り込み、目を閉じた。彼の周りの世界が、完全に消え去ったかのように。グルーヴが、静かなアジトに微かに漏れ聞こえる。
しばらくして、目を開けたザイオンは、ただ一言、呟いた。
「…本物だ」
その横顔は、先ほどまでの陽気さとは違う、深い感動に満ちていた。
彼は立ち上がると、今度こそ、健一に力強く手を差し出した。
「改めてよろしく頼むぜ、相棒。俺のスキル、あんたらの革命のために、使わせてもらう」
健一は、その手を、強く握り返した。こうして、三人の亡霊たちのチームに、最初の仲間が正式に加わった。彼の名はザイオン。軽やかな才覚とレゲエの魂を持つ、陽気な天才プログラマーだった。
改めて、四人が顔を突き合わせる。新しい物語が、今、ここから始まろうとしていた。
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