10.選択
生きとし生ける者の魂はすべて心臓に宿る。
半分が違う生き物の体でも、臓器さえうまく動けば庵姫を蘇生できる算段はあった。
人間の心臓よりも妖の心臓はずっと強い。
人間の体の方の心臓は止まってしまうかもしれないが、庵姫さえ戻ってくるならもうなんでもいいと、白蛇先生は吹っ切れたように思っていた。
途中だった治療を再開する。すべての臓器を、すべての血管を、合わないところは妖力を通して無理やり結合させて、元あった通りに作りなおす。
白蛇先生だからこそできる無茶な蘇生術だ。
白蛇先生の頬を汗が伝う。
拭う間も無く、彼は庵姫のために全霊をかけて治療を行った。
* * *
「……で、いざ目覚めてみれば、なぜか生き返ったのは人間の方だった、と」
「ああ。我欲のために……庵姫を蘇生するという目的のために、君を巻き込んでしまった」
すまない、と白蛇先生は深く頭を下げた。重く沈んだ雰囲気があたりを包む。
真っ二つにされた体を縫い合わせて蘇生した。顔も背格好も同じ妖の姫様と。そしてイオリは庵姫の力を宿した状態で生き返ったと、そういうことだろう。
普通なら、はいそうですかと納得できる話ではない。
それでも先生の言っていることは本当だ。イオリの存在と、身をもって体験したこの世界の出来事がすべて証拠になる。
繰り返す夢遊病のような症状は、一つの体に二つの魂が同居しているから起こっていたのだ。
イオリを見た人が皆、その姿を庵姫だと思って疑わなかったのにも納得がいく。イオリが目覚めた日の、白蛇先生の悲しそうな瞳のことも。
言葉を失うイオリを前に、白蛇先生は続けた。
「今、この郷は危機に瀕している。ちょうど前国王様が王位を追われた頃から、妖狩りの襲撃が増えてきているんだ。このままでは人間と妖の対立は深まるばかり、いつ戦争が起きてもおかしくない。僕一人ではそれを止められない」
白蛇先生は、この妖の世界の現状を手短に話す。
人間との共存を主張していた前王が国を追われ、今は反人派の妖が政権を握っているそうだ。彼らに捕らえられれば妖狩りは公開処刑され、見せしめに酷い目に遭わせられる。それを見て次世代の反人派がますます増えていく、負の連鎖に陥っているらしい。
人と妖が平和に暮らしていく未来を祈る共存派には、ひどい逆風が吹いているのだ。
そんな中で、白蛇先生と庵姫は境界警備の役目をしながら、妖狩りの処刑に反対し、共存派の最後の砦として戦っていたという。
なぜ自分が生き残ってしまったのか。
イオリは不毛だと分かっていてもそう考えざるを得なかった。
傷が治ったからと初めて買い出しに行った日、人混みの中で出会ったろくろ首が目に涙を浮かべる勢いで伝えたことを思い出す。
傷だらけになっても、庵姫が希望だと。覚えておいてと彼女は言った。
きっと庵姫はわがままで傍若無人で生きた蛙によだれを垂らすようなやつだが、この郷を平和にするための力を持っている。愛されて、人を惹きつける何かに溢れている。
人里で誰にも期待されずに過ごして、唯一の目標も失くしたばかりのイオリより何倍も。
イオリは腰に提げていた刀を外し、柄を白蛇先生の方に向けて机の上に置いた。
何かを察して目を見張る白蛇先生に向かって、イオリは言い放つ。
「私が残ったのが手違いなら、今ここで心臓を潰していただいてかまいません。それで庵姫が助かるのなら」
「イオリさん、君は――」
咎めようとしたのか、一瞬白蛇先生の声が大きくなる。
彼は悲痛な面持ちで言葉を探していたが、やがてゆっくりと一つ、瞬きをした。心の中を整理するような間のあとに、白蛇先生は首を振る。
「駄目だ」
「人の体を勝手に使っておいて、今更綺麗事を言うのですか。私はこれ以上生きても何もすることなんてない」
「そういう問題じゃない。感情の話ではなくて――危険性が高すぎるんだ。どうして目覚めたのが妖より弱い人間であるはずの君だったのか、庵姫は本当にまだ生存に耐えうる力を残しているのか。庵姫とそっくりの顔かたちをした君は何者なのか……わからないことが多すぎる。今判断するのは危険だ」
淡々と事実だけを述べる白蛇先生の調子は医者そのものだった。
危険性がなければイオリを殺していた、ということだろうか。意地悪くそれを尋ねてやろうか、迷っている間に白蛇先生が先に動いた。
白蛇先生は、先ほどイオリが差し出した刀の柄を、再度イオリの方に戻す。
そしてまた、深く深く頭を下げた。
「今わかることは、君だけが庵姫の声を聞けて、君だけが庵姫の力を扱えるということだけ。だから――イオリさん、恥を偲んでお願いだ。君の中の庵姫とともに、この妖の世界で生きてくれないか。私たちには、未来を担う統治者が絶対に必要なんだ」
勝手に合体させておいて、身勝手な願いだ。白蛇先生はそれをわかってか、真摯な声音でそう言って、頭を上げない。
部屋に、再び沈黙が降りる。
なんと答えればよいのか、イオリにはわからなかった。
襲われている白蛇先生を見たときには、助けなければならないと思った。窮地において見ないふりをすることができなかったからだ。
才能がないとはいえ人より多少戦える身として、役に立ちたいと思ったのは確かだ。
でもそれは、庵姫の席を奪ってまで、自分がしなければならないことなのか。
イオリにはわからなかった。
イオリは白蛇先生の顔を見つめる。
縋るような表情。眉は下がり、目は細められ、美形が台無しの情けない顔だ。
先生が本気で、真摯に庵姫やこの郷を救おうとした結果だということはよくわかる。
それでも――イオリには、白蛇先生が何か自分とは違う他の生き物のように思えて仕方がなかった。
「考え、させて、ください」
絞り出せた声はそれだけ。
机の上の刀を引っ掴んで、イオリは逃げるように医務室を後にした。
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