第13話 Hexisチーム出発 南辺境地視察へ

 王都アウリオンの朝は、どこか張り詰めた音を含んでいた。

 城下町の雑踏が動き出す前の静けさの中、仮宿舎の一室でタケルは丸まった地図を広げ、淡い魔導ランプの灯りに照らして線を指でたどっていた。


「……本当にできんのかよ、こんな無茶。」


 こぼれた独り言に、背後で控えていたドグーが反応する。


「タケル。“ためらい”を検知しました。心拍数+12%。

 なお、睡眠時間は推奨値を大きく下回っています。」


「お前、夜中でも容赦ねぇな……。」


 振り返ると、青い光核がゆらりと揺れ、ドグーの小さな体の表面を淡い紋様が走った。

 ランプの光が反射して、まるで呼吸しているようだった。


「あなたの迷いは、正常です。撤退は……推奨しません。」


 こういう言い回しは誰が教えたんだか、とタケルは苦笑した。


「恐いに決まってんだろ。

 でもさ、誰も行かないからこそ、行くんだよ。」


 地図の中心——薄茶色で塗られた“南辺境地”は、まるで世界の端が焼け落ちたようにぽっかりと空白になっていた。

 王国の行政記録すら曖昧で、税収はゼロ、治安も不明。

 その無情報の空白が逆に、不気味な圧を発している。


「……誰も取りたがらない責任を取るってのはさ、やっぱちょっと怖いよ。」


「記録します。“ためらいを抱えたまま進む勇気”。」


「やめろ、恥ずかしいだろ。」


 けれど、少しだけ救われた気持ちだった。


      ◆


 夜明け前の淡い青の時間。

 仮宿舎の廊下には、寝静まった空気の中に、時折コツンと何かをぶつける音や、ページをめくる音が紛れ込んでいた。

 それぞれが、それぞれのやり方で明日の“出発”を迎えていた。


◆ セレスの部屋


 低い祈りの声が漏れてくる。

 聖具の並んだ机で、背の高い青年が両手を組んでいた。

 男の顔つきは凛々しいが、その眉間には深い影が落ちている。


「主よ。私は異端を監視するために向かうのか……

 それとも、彼らと共に歩むために導かれているのか。」


 祈る声は静かだが、その背中は大きく揺れ続けていた。


◆ リリアンの部屋


「っしゃー! 最終チェック!」


 床じゅうに魔導測定器やら硝子筒やらが散乱し、リリアンは髪をひとつに結び直しながら狂気じみた勢いで荷物を詰めている。


「未知の文化! 未知の論理体系! 未知の環境要因!

 あぁ〜、絶対何か面白いの転がってるわよ南辺境地……!」


 彼女が鞄を無理に閉じようとした瞬間——ビリッと紐が切れ、「あぁんっ!」という悲鳴が響いた。


◆ グレンの部屋


 机の上には行政書類の山。

 その横で、グレンは胃薬の瓶を握りしめていた。


「俺はただの事務官だぞ……どうして辺境の視察なんか……」


 しかし、深呼吸をひとつして資料をまとめる。


「いや……これをやり切れば、出世の可能性も……ある。はず。多分。」


 自分に言い聞かせるように立ち上がった。


◆ シオンの部屋


「ふふ……できた……布教用パンフ第17号……!」


 部屋いっぱいの紙束。それはすべて“ドグーの似顔絵”付きの信仰パンフ。

 しかし、どう見ても犬のようにしか見えない。


「南辺境地は未開拓……すなわち信徒ゼロ!

 ドグー教、いま船出のとき……!」


 もはや止まらない暴走である。


    ◆


 そして出発当日の朝。

 王都の城門前には、王国騎士団十名が整列していた。

 揃いの鎧が朝日に反射し、重々しい空気を放つ。


 タケルたちが姿を見せると、騎士たちの眉が一斉にひそめられた。


「……あれが噂の“粘土像”か?」


「粘土ではありません。“高度演算体”です。」


「喋ったぁ!?」


 一喝が上がり、ざわつきが走った。


「異端の神官まで連れて行くつもりか?」

「あの研究者、魔術院でも問題児って聞くぞ……」

「あの事務官……何者だ……?」


 完全に警戒対象だ。


 しかしその前に、シオンがすばやく割って入った。


「異端ではありません! 最新の信仰です!!」


「やめろバカ!」


 タケルは全力で止めるが、騎士たちはすでに目を丸くしている。


 この“思想のギャップ”こそ、Hexisが向かう現実。

 誰もわかり合っていない、それがスタートラインだ。


   ◆


 前夜の簡素な宴は、思いのほか賑やかだった。


 リリアンが酒に弱く、一杯でテーブルに突っ伏す。


「……未知の……論理……もうちょい……あと一杯……ぐ……」


「寝るなよ。まだ料理出てねぇぞ。」


 シオンは酔ってドグーに抱きつき、


「ドグー様ぁ……信仰ってねぇ……素晴らしいんですよぉ……!」


「解析不能。距離を空けてください。」


 グレンは酒杯を手にしながらタケルをじっと見た。


「……お前、怖くないのか?」


「怖いに決まってんだろ。」


「じゃあ何で笑えるんだ。」


 タケルは答えるかわりに、酒杯を少し持ち上げた。


「誰かが最初に行かなきゃ、誰も行かねぇだろ。」


 その言葉に、セレスが静かに視線を向けた。

 男の真っ直ぐな瞳に、ほんのかすかな光が宿っていた。


    ◆


 そして、朝。


 王都の空が薄桃色に染まる頃、全員が城門前に整列した。

 吐く息は白く、冷たい空気が一行を包む。


 タケルは馬車の前に立ち、仲間たちひとりひとりの顔を見る。

 この面子で、世界の“空白地帯”に乗り込むのだ。


「南辺境地の視察なんて、誰もやりたがらない仕事だ。」

 声は澄んでいた。


「でも、俺たちは行く。理由は単純だ。」


 風が吹き、王国旗の紋章が揺れる。


「“みんなが少しマシに生きられる場所”を、作れるかもしれないから。」


 リリアンは小さく微笑み、

 シオンは「アーメン!」と叫び、

 グレンは深く息を吐き、

 セレスは無言で頷き、

 ドグーは淡々と呟いた。


「記録します。出発理由:“誰もやらないからやる”。」


「そういうことだよ。」


 タケルは馬車に飛び乗った。


「行くぞ、Hexisチーム! 世界の隅っこを見に行く!」


 車輪が軋み、ゆっくりと前に進み出す。

 王都アウリオンの城壁が遠ざかり、見えなくなる。


 誰も見たことのない、忘れられた土地へ——。

 小さなチームの、大いなる旅路が始まった。

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