第7話 庶民の為の魔法 ― 聖女とドグーの初対面

冬のヴァンロックは、息をするだけで肺が痛むほど冷たい。

 市場の屋台布は凍って板のようになり、通りを歩く人々の息は白く尾を引く。

 寒さに強いはずの魔族の子どもですら、母のローブに顔を埋めて震えていた。


「……さみぃ……いや、これもう寒いとかの次元じゃねぇ……」


 タケルは両手をこすりながら、屋台に布を掛けていた。

 ドグーはその横で、いつも通りの淡い光を放っている。


「タケル。本日の最低気温、零下三度。

 人体の寒冷ストレス指数、七二%。」

 ドグーは相変わらずの淡々とした声で告げる。


「知ってるよ……体感で……」


 タケルは吐いた息を見つめながら、不意に口を開いた。


「なあドグー……

 ヒートシンクって分かるか? こう、熱を逃がす金属板みたいなやつ。」


「理解しています。」


「じゃあさ……

 あれを、魔力で簡単に作れる生活魔法にできないか?

 火の管理とか、熱の逃し方とか、そういうのを簡単にできる術。」


 ドグーは即答した。


「可能です。

 熱伝導率の制御を、一般人でも扱える“下位魔法”に落とし込めます。」


「よし、それ! それが欲しいんだよ!」


「ただし――」


「ん?」


「あなた自身でも扱えるレベルにする必要があります。」


「そこも重要!!

 俺でも使えるくらい簡単じゃないと、一般人には無理だ!」


「了解。

 熱相転位の一部を切り出し、

 《ぬくもりの式》

 《風よけ》

 この二つを生活魔法として設計しました。」


「おお、もうできたの!?」


「はい。あなたが求めたためです。」


「俺そんなに明確に求めてた!?!?」


 タケルが頭を抱えたその時――

 雪を踏む音が、静かに近づいてきた。


 白いローブ。銀の杖。長い睫毛。

 頬を刺す寒風の中で、その少女は凛として立っていた。


 タケルは思わず息を呑む。


(……この子……どこかで……)


 何度も感じた“視線の気配”。

 路地の影、神殿の窓、塔の上――

 ずっと、自分たちを観察していた存在。


 その本人が、今、目の前に現れた。


「……はじめまして。

 私は神官、シオンと申します。」


「はじめまして……?」

 タケルは戸惑うが、シオンの視線はまっすぐドグーへ向いていた。


「遠くから……ずっと貴方を観ていました。

 しかし、初めて近くに来ました。」


 ドグーが淡々と言う。


「認識しています。あなたの観測行動。

 危険性は無いと判断していました。」


「いや言って!? そういうの俺にも言って!?!?」


 シオンは深く頭を下げた。


「……どうか教えてください。

 寒さを防ぐ術を。

 人々を救いたいのです。」


「救いたい!?」タケルが叫ぶ。


(やばい、絶対なんか宗教的に誤解されるやつだ……!)


 だがシオンの声は震えていた。


「人々は冬に弱っています。

 幼い子どもは、泣きながら指を握りしめて眠ります。

 暖炉の火だけでは救えません。

 どうか……ぬくもりを与える術を……」


 その言葉は、純粋で、まっすぐで、偽りがなかった。


 ドグーは頷いた。


「教える準備は完了しています。

 あなたの適性値――八六%。

 十分に習得可能です。」


 シオンの瞳が光を帯びた。


「……お願いします。」


 ドグーが手を挙げる。


    ◆ 


「では、生活魔法ぬくもりの式から。

 まず、両手を胸の前に軽く合わせます。」


 シオンは静かに膝をつき、両手をそっと合わせた。


 その姿は、まるで祈り。


(いや、お願いだから宗教っぽくするな!

 ただの生活魔法なんだよこれ!!)

 タケルは心の中で叫ぶ。


「次に、魔力を胸部中心へ集め、前へ押し出すように。」


「こ、こうですか……?」


「正しいです。

 では呪文――

 “ぬくもり、一つ”」


「ぬくもり……一つ……」


 ぱ、と光が灯った。


 冷たい空気が、ほんのり温まる。

 ローブの袖がふわりと揺れた。


「……暖かい……

 本当に……暖かい……!」


 シオンの声が震えた。


 その表情は、涙が出るほど嬉しそうだった。


「……これなら……寒さに泣く子を、ひとりでも救えます……」


 タケルは気づけば息をのんでいた。


(……やべぇ……シオンが使うと、

 “生活魔法”が完全に“奇跡”の絵面になる……)


――視線。


(……ん? 誰か見てる?)


 タケルが振り返る前に、

 路地の影から、鋭い金の瞳がわずかに光った。


 腰まで届く金髪のドワーフ族。

 リリアンだった。


(……なんだあの魔法……?

 式を刻んでいない……魔導陣もない……どういう理屈……?)


 息を潜め、ただ興味と警戒で観察していた。


 だがまだ続きがあった。


    ◆ 


「次に、《風よけ》を教えます。」


 シオンが顔を上げる。


「風を……止める魔法……?」


「厳密には、対流を抑制し、

 冷気の侵入を半減させる生活魔法です。」


「……お願いします。」


「手のひらを窓の方へ向け、“風よ、ここに留まれ”と唱えます。」


 シオンは手を伸ばし、

 震える声で言った。


「……風よ……ここに、留まれ……」


 空気が柔らかく揺れた。

 冷たい突風が、まるで壁に当たったように弱まる。


「……すごい……!

 これなら……暖炉の火が逃げません……!」

「……これで、凍えて泣く子どもを救えます……」


「成功です。」

 ドグーが静かに告げた。


「あなたは生活魔法ぬくもりの式《風よけ》

 両方を習得しました。」


 シオンは深く深く頭を下げた。


「……この術で……私は人々を救います。

 土偶様、青年殿……

 心より、感謝いたします。」


 その横顔は、

 まるで本当の“聖女”のようだった。


 タケルは頭を抱えて言う。


「いや……本当に宗教にしないでね!?

 たぶんしないと思うけど!!

 お願いだから静かに使って!!」


 ドグーが淡々と分析する。


「タケル。

 シオンの利他性は一〇〇%。

 布教目的はゼロ。

 争い発生確率、一%未満です。」


「……なら、まあ……いいか……」


 雪が舞う朝、

 シオンの生み出した小さな温もりは、

 確かに街の冬を変える始まりになった。


――これが、

生活魔法が正式に“世界へ広まる第一歩”だった。

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