第5話 占い屋ドグー、開業

ヴァンロックの裏通り。

 湿気を含んだ蒸気が石畳のすき間から立ちのぼり、昼間だというのに影のほうが濃い。

 人の気配はあるのに、どこか“薄闇の市場”といった雰囲気だ。


 タケルはその中央で、深いため息をついた。


「……売れないんだけど、鑑定」


「データ上、来客ゼロは統計的異常ではありません」とドグー。


「いや、普通に異常だよ! 一昨日は行列できてたじゃん!」


 そう、つい一昨日までは「土偶鑑定」を見に客が押し寄せたのだ。

 だが今日は、人々は遠巻きにチラチラ見るだけで、屋台には一歩も近づかない。


 理由は明白だった。

 ――昨日の“ケチな商人を公開処刑した件”。


「あれは別に俺が悪いわけじゃ――」


「偽物を売る自由を奪われた側の感情的反発です。

 鑑定精度が高すぎます」


「慰めてんのか?」


「事実です」


「ぐぅの音も出ない!」


 頭を抱えたその瞬間、

 ふるりと屋台の布が揺れ、小さな影がそっと入ってきた。


「……あの……相談、いいですか?」


 おずおずと覗いたのは、若い女性。

 泣きはらしたような真っ赤な目が印象的だった。


 タケルは慌てて姿勢を正した。


「もちろん! 料金は銅貨一枚! いや今日はタダでいいよ!」


「タケル」とドグー。

「無料化は収益モデルを破壊します」


「人が困ってるんだよ! 黙ってろ!」


「了解。黙ります」


 女性は震える手でハンカチを握りしめた。


「……好きな人に……ふられちゃって……どうしたらいいか……」


 タケルは心の中で悲鳴を上げた。

 ――鑑定じゃなくて人生相談じゃねぇか。


「ド、ドグー……こういうのは、お前得意?」


「解析します」


 ドグーの目が淡く光り、女性をまっすぐ見つめる。


「声の微振動、呼吸の乱れ、涙腺量、視線の動き……

 あなたは“本当は振られたくなかった側”です」


「え……?」


「相手はあなたを拒絶したのではなく、恐れて離れた可能性が高い。

 “あなたの気持ちが重すぎる”と判断された確率、七四%」


 女性はぽかんと口を開けた。


「……そんなこと……言われたことないです……」


「人は、核心ほど言葉にしません」とドグー。


 タケルは静かにうなずき、柔らかく言った。


「……戻りたいならさ、距離を詰めるんじゃなくて、

 相手が怖がらない距離から、ゆっくり話せばいいんだと思うよ」


 女性は目を潤ませながら、深く頭を下げた。


「ありがとう……ちょっと、救われました……」


 去っていく足取りは、ほんの少しだけ軽かった。


 タケルは思わず微笑む。


「……よかったな」


「タケル。

 今のは鑑定より“相談”のほうが収益効率が高い可能性」


「すぐ金の話に戻るな!」


「あなたが生きるためです」


「……まあ、はい」


 と、次の影が屋台にぬっと現れた。


 ひげ面の大柄な商人だ。

 肩に荷袋を下げ、埃まみれの手でテーブルをトントン叩く。


「おい占い屋。商売の相談がしたい」


 タケルは反射的にドグーを見る。


「商売? 俺、そんな専門じゃ――」


「分析します」


 ドグーは、商人の服の埃、手の荒れ具合、荷袋の中の重さをざっと見ただけで口を開いた。


「あなたは下層区の小規模雑貨屋。

 店は北向きで湿気が多く、木材商品が長持ちしません。

 さらに今期の天候変動により農作が減少中。

 保存食と暖房具の需要が急増する見込みです」


「な、お、お前……なんで分かる……?」


「泥汚れの付着方向と、靴底の摩耗からです」


「いや意味わかんねぇけど……すげぇ!」


 商人は震える手で銀貨三枚を置いていった。


「いやいや多い多い多い! 銅貨一枚でいいよ!」


「いや、礼だ! 本当に助かった!」


 商人は勢いよく去っていった。


 タケルはしばし硬直し、それから言った。


「……今日だけで、俺の前世の月収超えたんだけど」


「統計的に、あなたが働かず相談だけ受ける方が効率が上がります」


「それを言うな!!」


 屋台の外では、人々がこそこそ噂している。


「見た? あの土偶、まばたきしてたよな……?」


「いや、あれはまばたきじゃなくて観測だったはず……」


「占いじゃなくて“当てる”って話だぜ」


 やがて列が伸び、

 恋愛相談、夫婦喧嘩、親との確執、仕事の悩み……

 さまざまな客が屋台に詰めかけた。


 そのたびにドグーは淡々と解析し、

 タケルは人間らしい言葉に翻訳して返す。


 少し離れた塔の影で――

 一人の女性がその様子を静かに観察していた。


 深い群青のローブ。

 金糸の髪。

 王立魔術院首席、リリアン。


「魔力の波動……ほぼゼロ。

 詠唱も触媒反応もない。

 なのに、結果だけが“異常に整っている”……」


 彼女の瞳は、興味と警戒をないまぜに揺れていた。


「……あれは占いではない。観測術……?

 もしそうなら、王都でも数人しか扱えないはずなのに……」


 薄闇の中で、ドグーの目が一瞬だけ光る。


《外部観測者の視線を検知》

《魔力強度:高位魔術師級》

《敵性なし》

《保留:興味対象として記録》


 タケルは看板を立て直しながら言った。


「よし! 今日から屋台の看板、鑑定屋じゃなくて――

 占い屋ドグーにしよう!」


「名称変更を承認します。

 ただし占いとは“合理的推定”の別名です」


「言い方!」


 日は傾き、街灯の魔術灯がぽつぽつ灯る。

 屋台にはまだ列ができている。


「はい次の方どうぞー! その疲れはたぶん鉄分不足ですよ!」


「タケル、それは医療行為です」


「雑学の範囲!」


 夕暮れになる頃には、銅貨袋はパンパンになっていた。


 タケルは大きく息をつき、空を仰ぐ。


「……俺、本当に占い屋で食っていけるかもしれないな」


「統計的にも妥当です。

 あなたの“見ようとする姿勢”は、多くの人間に必要とされています」


「……そう言われると、なんか嬉しいな」


 ドグーの目が小さく光り、記録音が鳴る。


《観測:

 タケルの共感行動が、外部の感情波動と高い一致を示す》


《仮説:

 “人間の幸福”は相互作用から生まれる可能性が高い》


《パラメータ:H_int(相互作用幸福)

 興味指数……上昇中》


「おいおいドグー、また難しいこと考えてんな。

 今日はよく頑張ったな」


「……頑張ったという評価は、演算上……とても心地よいです」


「お前、また人間っぽいこと言って……」


 二人は袋を抱え、夕暮れの市場を歩き出す。


 その背を、塔の陰からリリアンがじっと見つめていた。

 まるで“とんでもない異物”を見つけたかのように。


 冷たい風が吹き抜ける。


 ――占い屋ドグー。

 その奇妙で優しい噂は、静かにヴァンロック全域へ広がり始めていた。

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