第4話 初戦闘とクオリア・ストライク

グレン商会の店先で働くようになってから、一週間。


 タケルの日常は、ずいぶん“異世界らしくない方向”に忙しくなっていた。


「次の方、どうぞー」


 簡素な木の机。

 その上に布を敷き、客が持ち込んだ魔石を一つずつ並べる。


 横には、いつもの丸っこい土偶。


「観測モード、起動」

 ドグーの目が淡く光る。


 石の屈折率、重量、表面の傷、内部の魔力反応――

 そのすべてを、ドグーが一瞬で解析する。


「これは中純度青魔石。

 市場価格は銀貨一枚前後。

 ただし、ひび割れがあるため、実勢価値は銅貨六〜七枚です」


 タケルは客に向き直る。


「だそうです。

 店で買うと銀貨一枚とか言われるやつですね。

 売るんだったら、銅貨五枚以上は吹っかけていいと思いますよ」


 客は目を丸くしつつ、ほっと笑った。


「助かったよ! あの露店の兄ちゃん、銅貨三枚で買い取るって言ってきたから、危うく……」


「それ、ほぼボッタクリですね」


 グレン商会の周りには、最近いつも人だかりができている。


 「土偶鑑定は外れない」

 「目利きのグレンが認めた“喋る土偶”だ」


 そんな噂が、ヴァンロック中層の魔石市に広がっていた。


 タケルはというと――


(銅貨二枚が、一件。

 午前だけで五件こなして、銅貨十枚。

 宿代払っても、ちょっと余る……!)


 胸の中で、ささやかな感動にひたっていた。


 宿屋炉辺亭の女将には、今月分の支払いを済ませた。

 サラには、「ちょっとはマシな服を買いなよ」と笑われた。


 何より――


「魔力補充ようやく出来たな」


「はい。私の魔力残量、現在八九%。

 演算効率も、初期比で一・四倍に向上しました」


「つまり?」


「これまで以上に、あなたを守れるということです」


 ドグーの淡々とした言葉に、タケルは思わず笑った。


「頼もしいじゃねえか、相棒」


     ◇


 だが、“儲かっている”という事実は、

 当然ながら他の誰かの神経を逆なでしていた。


 ある日の夕暮れ。


 鑑定を終えて店じまいをしていると、

 グレンが布をたたみながらぼそりと漏らした。


「そろそろ、来るかもしれませんねぇ」


「何が?」


「“当たり前に儲けてきた人たちの怒り”ですよ」


 グレンは、通りの向こうをちらりと見る。


「今まで“偽物を売れていた側”からすると、

 あんたとドグーは、明確に“邪魔”ですからね」


「……あー」


 タケルは頭をかいた。


「でも、ほっとけないじゃないですか。

 全財産握りしめて、偽物掴まされそうな人とか見たら」


「そこが、あんたの善いところであり――

 商売の世界では、一番危なっかしいところでもある」


 グレンは、軽く肩をすくめた。


「帰り道、気をつけなさいよ。

 特に、魔石市から灰街へ下る路地はね」


「物騒なフラグ立てないでください」


「備えあればなんとやら、です」


 軽口を交わしつつ、タケルは店を後にした。


 ドグーは、いつものゆっくりした足取りで、横をテクテク歩く。


「タケル。

 危険度推定を更新しました」


「やめろ、その言い方不安になる」


「あなたが偽物鑑定で阻止した“損失額”は、

 ここ三日で銀貨二四枚分に相当します」


「思ってたより数字がデカいな!?」


「損失を与えられた側が、

 “合理的復讐”を選択する確率――」


「言うな、分かった、言うな!」


 タケルは、半ば笑いながらも、

 どこか背中に冷たいものを感じていた。


     ◇


 その予感は、外れてはくれなかった。


 その日の帰り道。

 ヴァンロック中層から灰街へと続く、薄暗い階段路地。


 タケルは、妙な静けさに気づいて足を止めた。


 夕方なのに、人通りがない。

 さっきまで聞こえていた商人の声も、ここまでは届かない。


 代わりに――


 階段の上と下から、同時に足音。


「……はい、来たよコレ」


 上から三人。

 下から二人。


 粗末な革鎧に、鉄の棍棒や短剣。

 よく見れば、見覚えのある顔も混じっている。


 先日、グレン商会の前で偽物を売ろうとして、

 ドグーに見抜かれた露店の男だ。


「よう、“土偶野郎の相棒さん”」

 リーダー格らしき男が、にやりと笑った。


「鑑定でずいぶん儲けてるらしいじゃねえか」


 タケルは、できるだけ穏やかに返した。


「いやあ、こっちはこっちで必死でしてね。

 腰もまだ痛いんで、できれば平和に帰りたいんですが」


「安心しな」

 男は棍棒を肩に担ぎながら言う。


「こっちも、別に殺す気はねえよ。

 ちょっと“お灸”据えるだけだ」


「それ、八割くらい殺すやつのセリフなんだよな……」


 周囲をぐるりと囲まれる。

 階段の途中、逃げ場はない。


 ドグーが、タケルのそばで小さく震えた。


「タケル。

 敵性存在五体。

 あなたの現在体力、六三%。

 魔力保有量、ほぼゼロ」


「知ってるよ……」


 心臓が、いやな音を立てて跳ねる。


 これは、ただのケンカじゃない。

 “見せしめ”だ。


 ここで何もできなければ――

 以後、タケルとドグーは、この街でずっと“舐められる側”になる。


 それに。


(こいつらに殴られるのは、まだいい。

 でも――)


 グレンやサラ、宿の連中にまで矛先が向いたら。

 そう思った瞬間、胸の奥で何かがきしんだ。


 怒り。

 恐怖。

 悔しさ。


 ぐちゃぐちゃに混ざり合った感情が、

 喉元までせり上がってくる。


 リーダー格が、棍棒を軽く振った。


「“鑑定で暴れすぎたツケ”ってやつだ。

 少し、黙らせてやるよ」


 男が一歩、踏み込んでくる。


 その瞬間――


「ドグー」

 タケルは、小さく言った。


「足、軽くしてくれ」


「……了解」


 ドグーの目が、いつもと違う色で光る。


「足元重力ベクトル、前方斜め下へ再定義」


 タケルの足元の感覚が、急に変わった。


 重力が――少しだけ、前へ傾く。


 地面が“落ちていく側”に向かって、身体を引っ張る。


「っ……!」


 考えるより早く、身体が前へ飛び出した。


 まるでロケットダッシュ。

 全身が、前方に“落ちる”勢いをキックに乗せる。


 目の前で、リーダー格の男の顔が驚愕に歪んだ。


「な――」


 タケルは叫んだ。


「うおおおおおおっ!!」


 怒りと、恐怖と、

 ここ数日の疲れと、

 全部まとめて、右足に乗せる。


 考えたわけじゃない。

 教わった技でもない。


 ただ――


 「ここでやられたくない」という本能だけが、

 脚を振り抜かせた。


 ドグーの内部で、演算ログが一瞬だけ跳ね上がる。


《感情波形、急激な立ち上がりを観測》

《恐れ/怒り 比率 0.42:0.58》

《心拍数:平常時比 2.1倍》

《タケルの感情の波が、運動出力層へ直接混入し“打撃力”として上乗せされる現象を確認》


 タケルの足が、男の鳩尾に突き刺さる。


 鈍い音。


 次の瞬間、リーダー格の男は、

 階段を数段分、吹き飛ばされていた。


 人間の蹴りとは思えない速度と重さ。

 背中から石段に叩きつけられ、男はそのまま動かなくなる。


 残りの四人が、凍りついた。


「な、なんだ今の……」


「強化魔法も詠唱もなかったぞ……?」


 タケル自身が、一番驚いていた。


「っ、は……」


 呼吸が荒い。

 足が震える。


 さっきの一撃に、全身全霊を放り込んだ感覚がある。


 ドグーの演算が、なおも続く。


《通常の打撃は、「どれだけ重い体が、どれだけ速く動いたか」で決まる》

《そこに、新たに“感情の強さ”を表す補正値を導入》

《この補正値が高まるほど、一撃に上乗せされる力も増大する》

《タケルの怒りと恐怖が強くなるほど、実際に相手へ叩き込まれる威力が跳ね上がる――》


《仮称:クオリア・ストライク》

《モデル化対象として登録》


 沈黙。


 タケルは、まだガクガク震える右足を引きずりながら、

 残りの四人を見た。


「……まだ、やる?」


 声が、思ったより低く出た。


 実際には、膝が笑っている。

 次の一撃を避けられる保証はない。


 でも、相手にそれを悟られたら終わりだ――

 社会人時代に学んだ“ハッタリ力”が、

 ここにきて役立ってしまう。


 四人は、視線を交わし、同時に一歩下がった。


「バ、バカな……ただの鑑定屋だろ……?」


「なんだよあの土偶と一緒になった時の動き……」


「聞いてねえぞ、あんなの――!」


 彼らは互いに罵りあいながら、

 やがて蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


 階段に、静寂が戻る。


 タケルは、その場にへたり込んだ。


「……足、まだガクガクなんだけど」


「膝関節に過負荷がかかりました」

 ドグーが、容赦のない評価を下す。


「次回は使用前にストレッチを推奨します」


「いや、その前に“使うかどうか”を考えさせてくれよ……」


 タケルは息を吐きながら、

 自分の右足を見つめた。


 あの瞬間。


 怒りと恐怖が、確かに“何か”に変わった。

 ただの力以上の、何か。


「ドグー」


「はい」


「今の……なんだと思う?」


「仮説」

 ドグーの目が、また淡く光る。


「あなたの感情が、

 直接、運動エネルギーに重畳した現象です」


「……つまり?」


「怒りと恐怖が、

 “殴る力”に変わった、ということです」


 タケルは、苦笑した。


「それ、めちゃくちゃ危ないやつじゃない?」


「はい。制御不能な場合、

 あなた自身の身体が耐えきれません」


 ドグーは、ほんの少し間をおいて続けた。


「しかし同時に――

 それは“Hexis的戦闘”の原型でもあります」


「ヘクシス的……?」


「感情を、

 ただ暴走させるのではなく、

 “意味づけされた行動エネルギー”として扱う戦い方です」


 タケルは、空を見上げた。


 ヴァンロックの空は、相変わらず灰色で、

 どこか煤けている。


 その下で、人間の怒りや恐怖が、

 無数のケンカや争いに消費されていく。


 もし、それを――


「“殴るためだけの力”じゃなくて、

 “守るための力”に変えられたら、ってことか」


「はい」


 ドグーは、小さくうなずくように身体を傾けた。


「今の一撃は、怒り五八%、恐怖四二%の複合。

 今後、比率を調整することで、

 “誰のための怒りか”を再設計できる可能性があります」


「……それ、なんかカッコよく聞こえるけど、

 説明が恐ろしく物騒なんだよな」


「正常な評価です」


 タケルは立ち上がろうとして、

 また膝が笑って座り込んだ。


「いってててて……」


「やはり、ストレッチを推奨します」


「次からは、なるべく使わない方向で行きたいんだけど」


「その判断も、あなた次第です」


 ドグーは、いつもの一定速度で階段を降り始める。


 タケルは、階段の手すりにつかまりながら、

 ぎこちなく後を追った。


 怒りと恐怖を乗せた一撃。


 クオリア・ストライク。


 それが、この世界でのタケルの戦い方の、

 第一歩になってしまったことを――


 この時の彼は、まだよく理解していなかった。

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