第3話 魔石鑑定とグレンの出会い

 ヴァンロックの朝は、やたらと騒がしい。


 蒸気を吐く導管が街路の上を走り、

 魔導車輪をきしませながら荷車が通り、

 遠くでは蒸導列車の汽笛が鳴る。


 タケルは《炉辺亭》の玄関先で、ほうきを片手にため息をついていた。


「……俺、異世界転生して三日目にして、

 “早朝掃き掃除”がルーチンになるとは思ってなかったんだけど」


「生存には安定収入が必要です」

 足元で、土偶がきっぱりと言う。


「分かってるよ、ドグー。分かってるけどさ……」


 朝の通りを眺めながら、タケルはぼんやり考えた。


 銅貨八枚の宿代。

 魔力補充には銀貨三枚。

 自分の財布は、相変わらずゼロ。


 要するに――詰みである。


「なあドグー。この世界の“金の流れ”、整理したいんだけど」


「よい観測です。

 まず、魔石は“通貨”であり“エネルギー”であり、“信用媒体”でもあります」


「詰め込むな」


「要約すると――

 魔石=この世界の“心臓”です」


 ドグーの目が淡く光る。


「魔石を持つ者が、魔道具を動かし、街を動かし、

 結果として“生き延びる”確率が上がる。

 つまり、魔石は直接的な生存率そのものです」


「なるほど。

 ――つまり、魔石がない俺たちは、

 “心臓病患者”みたいなもんってことだな?」


「比喩としては妥当です」


「褒められてる気がしないんだよなあ!」


 そのとき、宿の中からサラが顔を出した。


「タケル、午前の掃除終わったら、ちょっと街を見てきたら?

 外の空気吸ってきなよ」


「いいのか?」


「うん。働いてくれてるし。

 それに……」


 サラは少し視線をそらした。


「ここに引きこもってても、お金、増えないでしょ」


「ぐうの音も出ない正論……!」


「夕方までには戻ってきてよ。皿洗い、山ほどあるから」


「現実だ……」


 タケルはほうきを置き、上着を引っかけた。


「じゃ、ちょっと街の“心臓”を見てくるか。な、ドグー」


「了解。観測行動、開始します」


     ◇


 ヴァンロックの中央通りは、朝から人でごった返していた。


 行商人の呼び声。

 魔導ランタンの光。

 どこからか聞こえる鍛冶屋の槌音。


 その中で――ひときわ目立つ一角があった。


「……あそこだけ、明らかに光り方が違うな」


 通りの中央付近。

 簡素なテントが連なり、その下に色とりどりの石がずらりと並んでいる。


 青、赤、緑、紫。

 淡い光を帯びた石が、日の光と魔力反応でちらちら瞬いていた。


「魔石市です」

 ドグーが即答する。


「通貨とエネルギーの交換所。

 あなたの世界で言う“証券市場”と“ガソリンスタンド”の混合形態です」


「……やめろ、嫌な言葉を並べるな」


 タケルは肩を落としつつも、足を向けた。


 近づいてみると、店主たちの声が飛び交っている。


「はいよ、青魔石だよ! 家一軒ぶんの灯りは持つよ!」


「こっちは赤だ、戦士さん! その剣に嵌めれば、火花が違うよ!」


 中には、いかにも怪しい露店もあった。


「ほら見な、この虹色。王都じゃ銀貨十枚でも買えない代物さ。

 今なら……そうだね、お兄さんには銀貨三枚で――」


 タケルは思わず足を止めた。


 粗末な身なりの青年が、必死に財布を握りしめている。

 テーブルの上には、妙にギラギラした“虹色の石”。


「……あれ、本物か?」


「分析します」


 ドグーの目が、石の方を向く。

 淡い光が一瞬だけ強く瞬き――即答した。


「偽物です。

 ガラスに安価な魔素を混ぜた粗悪品。

 屈折率が本物と一致しません」


 タケルは眉をひそめた。


 青年の手元には、擦り切れた銀貨が三枚。

 きっと、ここ最近の全財産だ。


「……うわ。これ、完全に“情弱から巻き上げるやつ”だ」


 タケルは悩んだ。


 本来なら見て見ぬふりをするのが、この世界の“普通”かもしれない。

 余計な口を出せば、トラブルになる可能性は高い。


 財布ゼロ。

魔力もほぼゼロ。

 戦闘力については、言うまでもない。


(でもまあ――)


 タケルは、ため息混じりに一歩前へ出た。


「すみません、それ」


 自分でも驚くくらい普通の声が出た。


「その石、多分、偽物ですよ」


     ◇


 一瞬で、露店の空気が凍りついた。


 店主の中年男が、ぎろりとにらむ。


「あァ? 何だ兄ちゃん」


 青年は驚いた顔でタケルを見た。

 石を掴む手が、わずかに震えている。


「ど、どういうことですか……? 本物じゃないんですか……?」


「お、おう、落ち着けって」

 タケルは、できるだけ穏やかに言った。


「俺の連れがさ、ちょっとモノを見る目が良くてな。

 なあ、ドグー」


「はい。観測結果を提示します」


 ドグーがテクテクと前に出る。

 そのゆっくりした歩みが、妙に緊張感をかき立てた。


「屈折率、比重、魔力反応――すべて、標準虹魔石と一致しません。

 成分的には“ガラス+微量魔素+着色剤”。

 価格は、銀貨三枚ではなく、銅貨一枚以下が妥当です」


「おい土偶、何勝手なこと――!」


「データは正確です」

 ドグーは店主の怒声をさらりと流した。


「加えて、この石の内部に“気泡”があります。

 本物の虹魔石には、通常、気泡は含まれません」


 タケルは、青年の方に向き直る。


「……ってわけで、

 それに銀貨三枚出すのは、やめといた方がいいと思う」


 青年の顔から血の気が引いた。


「そ、そうなんですか……?」


「テメェ、よそ者が口を挟んでくるんじゃねえ!」


 店主がテーブルを叩いた。

 周囲の客が、少しずつ距離を取る。


「この石は王都から仕入れてるちゃんとした品だ!

 何が気泡だ、何がガラスだ、テメェ魔導士でもねえくせに!」


「魔導士ではありませんが、観測結果は――」


「黙ってろ土偶!!」


 タケルは、ひとつ深呼吸をした。


 こういうとき、日本のサラリーマン時代の癖が出る。


(正面からケンカすると負ける。

 でも、黙ってても誰かが損をする)


 だったら――言い方を変えればいい。


「じゃあ、こうしません?」

 タケルは、わざと軽い口調で言った。


「俺が“賭け”するんで。

 本物なら――この場で、土下座して謝ります。

 偽物だったら、その人から銀貨は取らない。どうです?」


 周りがざわつく。


 店主は鼻で笑った。


「へっ、そんなもん、こっちが損するだけじゃねえか」


「だったら、こうしましょう」

 別の声が、すっと割り込んだ。


 低く、よく通る男の声。


 タケルが振り向くと、

 埃っぽいコートを羽織った男が立っていた。


 黒髪を後ろで束ね、無精ひげ。

 片目には、金属枠の単眼鏡が光っている。


「銀貨三枚分の“賭け”――

 俺が、肩代わりしますよ」


     ◇


 男は、店主の前まで歩いていくと、

 さっと銀貨を三枚、指の間で弾いてみせた。


「この子からは一枚も取るな」

 男は青年を親指で指しながら言った。


「もし本物なら――この三枚は、あんたの取り分だ。

 偽物なら……まあ、この街じゃ二度と魔石は売れないと思っておいてください」


 店主の顔が引きつる。


「お、お前、グレン……!」


 周囲のざわめきが変わった。


「グレンって、あの行商人の?」


「魔石の目利きなら、この辺じゃ一番って噂の……」


 タケルは小声でドグーに囁く。


「……有名人?」


「評価:この地域において、信頼度の高い商人です」

 ドグーも小声で返した。


「不正取引を嫌い、ただし儲けるときは容赦ないタイプ。

 あなたの世界の言葉でいうと、“商売上手なリアリスト”です」


「ディスってるのか褒めてるのか分からん……」


 グレンと呼ばれた男は、静かにテーブルの石を手に取った。


 片目の単眼鏡が、淡く光る。


「……ふむ」


 ほんの数秒、石を傾けて眺める。

 光の屈折、表面の歪み、内部の影――それを見て、すぐに結論を出した。


「ガラスですね。

 しかも質の悪い。

 魔素の含有量も低い」


 店主が青ざめる。


「な、何を根拠に――!」


「そうですねぇ」


 グレンは、ちらりとタケルとドグーを見る。


「そこの土偶さんも言ってましたが、気泡。

 それから、重さ。

 俺の経験では、この大きさの虹魔石なら、もう少し“手に食い込む”重さがある」


 彼はゆっくりと石をテーブルに戻した。


「ついでに言うと――

 あんた、去年も同じ手口で摘発されてますよね?」


 店主の肩がびくりと跳ねた。


 ざわっ、と周囲がどよめく。


「証拠、持ってきましょうか?

 ヘルメシアの取引記録、俺、コピー持ってますよ」


「……っ、チッ!」


 店主は舌打ちすると、石を乱暴に袋に詰めた。


「やってられっか! 今日は引き揚げだ!」


 そう吐き捨て、足早に去っていく。


 青年は、その背中を呆然と見送っていた。


「た、助かりました……!」


 青年がタケルとグレンに頭を下げる。


「俺、どうしても魔石が必要で……姉さんが病気で、回復ポーション買うには――」


「こういうときに“焦る心”を食い物にするのが、

 今のこの街の“悪徳市場”ってわけですねぇ」


 グレンは苦笑しながら肩をすくめた。


「坊主、ポーションなら、もう少し安くてマシなのを紹介してやる。

 ただし、分割払いだ」


「ほ、本当ですか!」


「その代わり、約束しろ。

 “楽に儲かる話”を持ちかけてくる奴とは、二度と口をきかないこと」


 青年は、力強くうなずいた。


「はい!」


 青年が去っていき、場が少し落ち着いたところで――

 グレンはタケルたちに向き直った。


「さて」


 片目のレンズが、興味深そうにきらりと光る。


「あんたら、面白いことをしますねぇ。

 何の得にもならないのに、揉め事に突っ込んでいく」


「……後悔はしてます」


「でも止まらなかった」

 グレンが口の端を上げる。


「それが、一番厄介で、一番面白い」


     ◇


「自己紹介が遅れました。

 グレン・バセット。魔石と回復薬と、そのその他諸々の行商人です」


「タケルです。で、こいつがドグー」


「……喋る土偶、ねぇ」


 グレンは、まじまじとドグーを見た。


「魔力検知レンズ越しに見ても、妙な光り方をしている。

 普通の魔道具じゃあないな。

 あんた――」


 グレンは、タケルの方を見た。


「タダ者じゃないでしょう?」


「いや、ただの元社畜ですけど……」


「社畜?」


「気にしないでください」


 グレンは笑った。


「まあいい。

 あんたら、今、金に困っている」


 タケルは反射的に身構えた。


「な、なんで分かる」


「服。靴。歩き方。

 さっきの“賭け”の時の声の震え方。

 金に余裕がある人間は、あんな声の出し方はしない」


「こえーなこの人……」


「褒め言葉として受け取っておきます」


 グレンは顎に手を当てた。


「提案があります。

 ――鑑定の仕事、やってみません?」


「鑑定……?」


「魔石の真贋判定。

 俺の店で、客の持ち込む石を視て“本物かどうか”を告げる役目」


 タケルは思わずドグーを見る。


「ドグー、できる?」


「可能です。

 私の観測精度は、人間標準鑑定士の一二・六倍です」


「なんでその中途半端な数字出してくるんだよ」


「サンプル数に起因します」


「知らんがな!」


 グレンが微笑む。


「報酬は、一件につき銅貨二枚。

 偽物を避けられた客からの“感謝分”は、別途チップとして期待できます」


「銅貨二枚……!」


 タケルは、瞬時に計算した。


(宿代三日で銅八枚。

 一日五件こなせれば、日当銅十枚。

 宿代払っても、余りが出る……!)


「ただし」

 グレンが指を一本立てる。


「条件がひとつ」


「……なんですか?」


「前払い、要求してもいいですかね」


 タケルはきょとんとした。


「前払いって、そっちが俺に払うんじゃなくて?」


「逆です」


 グレンは肩をすくめた。


「俺の店の看板に、あんたを座らせるってことは、

 俺の“信用”を半分預けるってことです。

 信用を担保するには、何かしら“肌身の痛み”が必要になる」


「……」


「簡単に言うと――

 最初に小さなリスクを共有してもらいたい」


 タケルは少しだけ黙り込んだ。


 目の前の男は、詐欺師ではない。

 さっきの対応で、それは分かる。


 けれど、行商人。

 現実主義。

 ただし根は優しい。


 ――つまり、損はしない範囲で、ちゃんと助けてくれるタイプ。


(ここで断ったら、たぶん“安全”なんだろうな)

(でも、その代わり――何も変わらない)


 タケルは、自分の手のひらを見下ろした。


 マメだらけになった手。

 宿屋の雑用で、少しだけ“働く感覚”を取り戻した手。


「前払いって、いくらです?」


「銅貨五枚」


「高っ」


「俺の視点からすると破格ですよ。

 あんたから巻き上げようと思うなら、その十倍は請求してます」


 タケルは思わず笑ってしまった。


「正直だなあ、あんた」


「商売人ですから」


 タケルは、胸の奥で何かがふっと軽くなるのを感じた。


 恐怖。

 不安。

 焦り。


 その全部を飲み込んだうえで――それでも、前へ出るしかない時がある。


「……銅貨五枚。今は持ってません」


「知ってます」


「でも、三日待ってもらえますか」


 グレンの片眉が上がる。


「三日?」


「三日間、宿屋の雑用で働いて、

 銅貨五枚を貯めます。

 それを前払いにします」


 グレンは、しばらくタケルを眺めていた。


 やがて――薄く笑う。


「世界は、善人にはちょっとだけ高く、

 悪人にはすごく高くできてる」


「……?」


「請求する側の話ですがねぇ」


 グレンは肩をすくめた。


「三日、待ちましょう。

 その代わり――」


「その代わり?」


「その三日の間で“逃げない”っていうリスクは、

 あんたの方で引き受けてください」


 タケルは、はっきりとうなずいた。


「ああ。

 逃げませんよ」


「では契約成立。

 三日後、《グレン商会》の店先で会いましょう」


 グレンは軽く指先を振り、通りの向こうへ歩き出した。


     ◇


 人波が途切れたところで、タケルは大きく息を吐いた。


「……はあああああ。

 なんか、一気に話が進んだ気がする」


「観測結果」

 ドグーが小さく告げる。


「タケルは、“合理的には不利な契約”を選択しました」


「やっぱそうなんだ……」


「しかし、あなたの“ためらい時間 Δt”は、

 以前より短く、かつ安定しています」


「なにそれこわい」


「評価:

 『リスクを計算したうえで、なお飛び込む』

 ――それは、長期的には生存確率を上げる傾向があります」


 ドグーの目が、再び淡く光った。


《ログ記録開始》


《状況:

 金欠・魔力欠乏・信用ゼロ状態で、

 タケルは“前払い契約”に自ら飛び込む》


《評価:

 タケル=“合理的絶望”下においても、

 微小な希望に賭ける行動を選択する傾向》


《補足:

 この行動は、一見非合理だが――

 『信頼』という不可視資産を生成する起点となる》


「……何、ぶつぶつ言ってんだよ」


「あなたが“信頼”という変数を生成し始めた、と記録していました」


「そんな大層なもんじゃないけどなあ」


 タケルは、空を見上げた。


 灰色の雲。

 煤けた煙。

 その向こうに、まだ見ぬ未来がうっすらと透けている気がした。


「三日で銅貨五枚、か……」


「可能です。

 宿屋雑用バイトの賃金は、一日銅貨二〜三枚。

 あなたの作業効率なら、上限値に近い報酬が期待できます」


「そこだけ妙に褒めるのやめろ」


「これは正確な評価です」


 タケルは笑った。


「じゃあ――働くか。

 ロキソニンも魔力もないけどさ」


「了解。

 “生きるための計画”、第ニ段階へ移行します」


 二人は、再び《炉辺亭》へ向かって歩き出した。


 遅い土偶と。

 ためらいながらも一歩を踏み出す人間と。


 その出会いを、少し離れた場所から見ていた男がひとり。


 グレン・バセットは、誰にも聞こえない声で呟いた。


「――さて。

 面白い投資先が、ひとつ増えましたかね」


 彼の片目のレンズに映るのは、

 まだ“取るに足らない”宿屋の雑用男と、ちぐはぐな土偶。


 しかし、その足元には、

 確かに新しい“信用線”が引かれ始めていた。


 それが、のちにHexisという都市の、

 最初の【勘定科目】になることを――

 この時の彼らは、まだ知らない。

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