宝像〈那暈〉

尚も、友

第1話 那暈起動

 「宝像〈那暈なうん〉。跪く人の姿をかたどった、全高数メートルの石像。


 外観における大きな特徴は二つ。胸部に日輪を彫られていること。肩から胡坐あぐらまで垂れる布をかぶされていること。


 急進的な経済成長に伴い、権利関係が整理されないまま宅地に埋もれ、現在はある繁華街の路地裏に鎮座する。」




 白昼堂々と歩道の人の流れから外れるのは抵抗があったから、少し遅れた時間に私は訪れた。調べまとめ上げた情報を、忘れぬよう念じながら。




 「〈那暈〉のまとう布にまつわる逸話は複数残されている。


 この布は幾度となく着火が試みられ、うち数回は。布を燃やされた〈那暈〉は途端に人間のように動きだし、徒手空拳にて着火した者との一対一に臨むという。


 しかし、何度も燃えたというのに、その後交換されるはずの布が受注・生産・運送された記録が一切確認されていない。


 燃えなかった事例のなかにも興味深いものがある。ある町民が周辺から油を盗んでかき集め、ありったけを布に浴びせて放火したが、結局〈那暈〉の布にはわずかなコゲすら残らず、炎は辺りの家屋にだけ引火し、その者は敢えなく打ち首となったという。」




 更に歩き回って捜す必要もなく、ネットでの情報通りの位置にあった。ズボンのポケットに、確かに点火装置が入っていることを確認する。




 「着火に成功した者、しなかった者がそれぞれ備える特徴がある。


 成功者は主に武士や武道家、修験者などだったとされる。逆に、成功しなかった者のほとんどはそれらの属性を持たない。


 『主に』『ほとんど』としている通り、例外もある。ここでは地位や役職ではなく、それに付随する個人の内面に隔たりがあると考えられる。」




 〈那暈〉が垂れる布から数歩引いた地点に立ち、懐で点火装置を作動させる。消す。作動させる、消す。




 「その隔たりとはおそらく——」




 着火口を布にあてがい、点火装置に対して同じ操作をする。作動。




 「——戦闘への重い観念。)







 「炎が布を立ち上って……」、という表現はできない。布のフチがポッと赤熱したと思えば、瞬きすら間に合わず石製の体表が露わになる。


 状況を確認するため見上げた私の目線を追い抜くほど早く、跪いていた〈那暈〉が立ち上がる。


 日輪の意匠が、電気ストーブのようにだんだんと光と熱を放つようになる。


 光は、街灯の立たない闇夜の路地裏を照らすには十分。熱は、顔から触覚と潤いがじわじわ奪われていくのを感じる。




 「——あっ。」


 急いで飛び退いた。幸い、人々の流れる大きめの道には出なかったらしい。


 起こしてしまった。そもそも、布には着火するかどうかの二択だったのだ。それで、ほとんど「できる」という確信を伴って着火しに来たのだから、成功して次に何をするか決めていればよかった。


 「……せ——まい。むぅ……。」


 路地の両脇は中層ビルが挟んでいる。伸びをしようとした〈那暈〉だが、腕がビルの窓を割ってしまうすんでのところで止めた。理性はあるように見受けられる。


 しかしながら、声色こそ思っていた通りだが、口調については思っていたより愛嬌があるのではないか。


 「……なんン————だぁ、お前起こしたのか。」


 辺りに身をぶつけぬよう、全身を狭めてのしりのしり寄って来るのだが、このとき熱源である胸部の彫刻も当然近づく。これが相変わらずウザったいのなんの。


 「そうだ。私と闘え。」


 しかし、何だろうか。イメージしていたような、「火を付けられたならば直ちに叩き潰しにかかる」という挙動をしないから少し拍子抜けだ。


 「や、ここはァ——狭い。場所を移したいんだが。」


 「構わないが——。」




 急に涼しげな風が、身の回りを吹き抜ける。ビル風だろうかと思ったが、そうならばここまでやけに爽やかな感覚はしないはず——。


 「——はっ?」


 「ここならどうだ。見晴らしも——ィいいし、なによりオレが楽だ。」


 〈那暈〉が片手を肩にやり、その肩を回す。ここはさっきの路地を直上に跳び上がって着地した、中層ビルの屋上。

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