04.僧正――勿忘草

 商店街の隅に、小さな占いの館があった。


 彼の占いはろくに当たらないと評判で、滅多に客が来ない。

 だが、ごくまれに客が入ると、その客は必ず、晴れ晴れとした表情で出てくる。


 僧正ビショップは、そんな占いの館を営んでいる老人だ。


「それでね……。もう毎晩、悪夢を見るんです。夢の中の私は何か罪を犯していて、誰かに責められるの……。お前は魔女だ、火あぶりにして殺してしまうぞ、って……」

 客の老婆はゆっくりと語る。


「失礼ですが、その夢の内容に心当たりは? 貴方自身は罪を犯していなくとも、例えば、理不尽に責められたような記憶はありますかな?」

 僧正ビショップは優しく尋ねた。


「どうかしら……。そういえば、すごく小さな頃……、花瓶が割れて、お母さんに怒られたのをときどき思い出します。私じゃなくて弟がやったのに、言い出せなくて……。でも悪夢とは、さすがに関係ないですよね? もうずっと昔のことですもの」


「いえ、そうとも限りませんぞ。脳みそというのは不思議なもので、最近のことを思い出せなくなると、かえって昔の記憶が鮮明になったりするのです。拙僧せっそうも貴方と同じくらいの歳ですからな。よく分かります」


 僧正ビショップの言葉を受けて、老婆は納得したように頷く。

「そうですか……。でもそれじゃあ、今さらどうしようもないんですか? 忘れられないものは、仕方ないわよね……」


「忘れたい、ですかな?」


「え?」

 老婆は少し困惑した様子を見せる。

「ええ、まあ……。良い記憶でもないですし、できれば忘れてしまいたいですけど……、でもそんなこと、無理よねぇ……」


「――ぼうきゃくせよ。


 僧正ビショップはいきなり低い声で言い、指をパチンと鳴らした。


 老婆はきょとんとした表情を浮かべたが、すぐにまた喋り始める。

「えっと、どこまでお話ししたかしら……。ごめんなさいね、占い師さん。私ったら最近、すっかり忘れっぽくなっちゃって……」


「いえいえ。どうぞ、ご自分のペースで話してくだされば結構です。ところで、夢の内容に心当たりはありますかな? 例えば、誰かから理不尽に責められたようなご経験は?」


「どうかしら……。特に思い当たることはないですけど……」


 異能『勿忘草ミオソティス』。

 他者の記憶を消すことができる能力である。


「ありませんか。では、そうですね。こちらを差し上げましょう」

 と僧正ビショップは白いじゅのネックレスを取り出す。

「幸運のお守りです。寝室に置いておくだけで効果がありますからな。これで、今夜は悪夢を見ないでしょう。拙僧せっそうが保証します」


 自信満々に言われて、老婆はなんとなく心強く感じたようだった。

「でも、頂いてしまっていいんでしょうか……? 私、あまりお金は……」


「構いませんぞ。こちらは無料でお渡ししておるのです。まだ、こんなにある」

 引き出しの中に入った数多くのネックレスを見せる僧正ビショップ


「ありがとうございます……。どうしてかしら? なんだか、肩の荷が下りたような気分です……。今夜は、安心して眠れる気がします」


 老婆は丁寧に頭を下げてから、占いの館を出ていった。


 入れ違いに、二人の男が入ってくる。


「おや。申し訳ないですが、今日はもう店じまいですぞ」

 僧正ビショップは引き出しを閉じながら、二人に告げた。


吾輩わがはいだ、生臭坊なまぐさぼう。もしかして、目が悪くなったのではないか?」


 大柄な男――ルークが笑って言う。


阿呆あほ抜かせ。どんなに視力が悪くなっても、お前さんだけは一目で分かる。そっちを見ていなかっただけだ」

 僧正ビショップは冗談っぽく応じた。


 ルークは身長が二メートル以上はある巨大な男である。その上、全身の筋肉量が多く、どこを歩いても目立つ存在だ。年齢は四十代くらいだろうか。


 もう一人の来客――騎士ナイトは痩せており、髪を茶色に染めている若い男だ。身長は平均的だが、ルークと並んでいるせいで実際よりも小さく見える。


僧正ビショップの爺さん、お久しぶりっす」

 軽い調子で騎士ナイトが挨拶した。

「お迎えに来ましたよ。道中でうっかり事故にでもわれちゃ困りますからね」


「どいつもこいつも、拙僧せっそうを年寄り扱いしおって。確かに拙僧せっそうはお前さんたちと違って戦闘には不向きだが、そこらの老人と比べれば充分に健康だ」


 そう言ってから、僧正ビショップは出入り口で足を止めた。


「どうしたんすか? 爺さん」

 騎士ナイトいぶかしげな口調でく。


「せっかく迎えに来てくれたのに申し訳ないが……、さっきのお客さんに伝え忘れたことを思い出した。ちょっとばかし長くなるだろうから、先に行っといてくれんかな?」


「ふぅん……?」

 騎士ナイトは不思議そうに応じ、ちらりとルークを見る。


 それを受けて、ルークは頷いた。

「分かった。気にするなよ、生臭坊なまぐさぼう。頼まれてもいないのに来たのは、吾輩わがはいたちのほうだからな」

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