03.バステト――悪党たちの団らん

 日本のとある住宅地。バステトはごく普通の一軒家で、フィデリスとアンノウンと一緒に三人で暮らしている。


 バステトは以前にも一度だけ、日本に来たことがあった。アンノウンたちと出会うよりもずっと前のことだ。

 当時、すさんでいたバステトは『変身メタモルフォーゼ』を駆使して窃盗や詐欺を働き、生活していた。


 客観的に見れば、怪盗の左腕を務める現在も五十歩百歩なのだろう。しかし、少なくともバステト自身にとって、自分のかたはまったく異なる。

 今のバステトには、信じる正義があるからだ。


「やっぱ、仕事をした翌日って清々すがすがしいなー」

 少年の姿で、独り言を呟くバステト。視線は、壁に飾られた絵画に向けられている。


 くり美術館に展示されていた作品は、その多くがレプリカだった。

 偽物だと告発することは簡単だ。だが、それでは美術館の信用が地に落ち、本物の展示物まで人の目に触れづらくなってしまう。


 そこで、アンノウンは一計を立てた。

 まずレプリカを盗み出し、その後、安値でオークションに出す。盗品である以上、誰が落札しても最終的にはくり美術館へ返却される。かくして、くり美術館では本物の絵画が展示されるというわけだ。


「おはよー。あるじ、フィデリスちゃん」

 バステトがリビングの扉をけて挨拶する。


 そこには、ソファに腰掛けるアンノウンと、彼に膝枕をしてもらっているフィデリスの姿があった。

 普段、アンノウンは細身で背の高い、日本人男性の肉体を用いて行動している。


 アンノウンが他者の身体に憑依したとき、この日本人男性の肉体はぴくりとも動かなくなるため、バステトはこれが彼の本来の肉体なのだろう、と解釈していた。


「おはよう、バステト。素晴らしい朝だ。UNKNOWNアンノウンは気分が良い」

 アンノウンは落ち着いた口調で言う。


 彼の一人称は「UNKNOWNアンノウン」である。ばつだが、今ではバステトもすっかり慣れた。


「フィデリスちゃんは寝てるの?」


 家にいる間のフィデリスは覆面ふくめんかぶっておらず、金髪に碧眼へきがんの素顔が見えた。肌は雪のように白い。


「……起きてる。お仕事、頑張ったご褒美」

 と、フィデリスはアンノウンの膝から頭を起こさずに答える。


 たいの小ささも相まって、まさしくアンノウンになつく子犬のようだ、とバステトは思う。


「ちょっと甘えん坊すぎない? せっかく良い天気なんだしさ、外で身体を動かそうよ」

 バステトは陽気に提案した。


「……嫌。めんどくさい」

 そっけなく拒否するフィデリス。腕をぎゅっとアンノウンの身体に回して、強固な意志をアピールしている。


 バステトは諦めない。彼はフィデリスに猫カフェを体験させたくて仕方ないのだ。


「頑張ったご褒美って言うけど、フィデリスちゃんからしたら、あのくらいの仕事って簡単じゃない? ほら、日本語の慣用句にあったよね。そういうのをあらわす言葉」


「朝飯前?」

 アンノウンが言う。


 首を横に振るバステト。

「じゃなくて、もっとサイコパスみたいなやつ」


「ああ。赤子の手をひねる、か」


「それそれ!」

 バステトはビシッと人差し指を伸ばす。

「数人の警備員を倒すくらい、赤子の手をひねるようなものだったでしょ?」


「……殺さないようにするのが疲れる」

 フィデリスは、ぼそっと言った。


 アンノウンと出会う前、フィデリスは暗殺者として犯罪組織に雇われていたらしい。

 現在の彼女は、アンノウンに殺人を禁じられている。


 バステトはその頃のフィデリスを知らないが、ある程度は想像ができた。


「あー、そっか。まあいいや。じゃ、ボクはささっと朝ご飯を作っちゃうね」


 今日はバステトが家事の当番である。


 本来ならば二人よりも早く起きて朝食の準備をしておくはずだったが、アンノウンとフィデリスの起床が早すぎるのだった。


「あ、バステト」

 アンノウンが呼び止める。

「先ほど、UNKNOWNアンノウンは新しい依頼をうことにした。あとで依頼人と会うから、できればバステトも同席してくれ」


「は?」

 バステトは驚いて立ち止まった。

「なんて言った? あるじ、正気なの? 昨日、大仕事を終えたばっかりだよ、ボクたち!」


「零時を過ぎていたから、正確には今日だ」

 いらない訂正をするアンノウン。


「だったら、なおさらでしょーが! せめてくり美術館の件が片付いてからでも……」


「だめだ」

 アンノウンは譲らない。

「バステト。UNKNOWNアンノウンには嫌いなものが三つある。覚えているか?」


「束縛、秩序、醜いもの、でしょ。ついでに言うと、好きなのは自由、混沌、美しいもの」

 バステトはすらすらと答えた。


「そうだ。だからUNKNOWNアンノウンは依頼をうことにした」


「だからじゃないよ。言葉足らずにもほどがあるよっ!」

 依頼の内容がちっとも分からなかったので、バステトは指摘する。


「……嫌なら来なければいい」

 フィデリスが起き上がり、口を挟む。

「……私は行くよ」


「急に突き放すじゃん。別に嫌とは思ってないよ。あっ、でも、お昼だけは絶対に無理だから!」

 今日は、バステトの行きつけである猫カフェが新作メニューを出す日なのだ。絶対に誰よりも早く味わうと決めていた。


「……しょうもない用事」

 フィデリスはジトっとした目でバステトを見つめる。心を読んだのだ。


「しょうもなくないもんっ! フィデリスちゃんも来る? 楽しいよぉ?」


 バステトの誘いを無視して、彼女はアンノウンの膝に再び頭を乗せる。


「依頼人は夕方以降に会うことを希望している。バステトも、用が済んでから合流してくれればいい」

 アンノウンがそのように話をまとめた。

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