第14話 凍土の王
その年の冬は、古老たちも記憶にないほど苛烈なものとなった。
「白い死神(ゾド)」は、慈悲なく草原を覆い尽くした。連日の猛吹雪が視界を奪い、気温は呼吸するだけで肺が凍りつくほどに低下した。
雪に埋もれた草を食べられず、多くの部族で家畜がバタバタと倒死していった。家畜の死は、すなわち人の死を意味する。飢えと寒さが、弱い者から順に命を刈り取っていく。
だが、義経の冬営地だけは別世界だった。
枯れ川の跡地に築かれた野営地には、高く積み上げられた干し肉と、風雪を凌ぐための堅牢な柵があった。
ゲルの中心では常に火が焚かれ、男たちは十分に食べて精力を蓄えていた。
「……外は地獄だな」
見回りから戻ったボオルチュが、髭についた氷を払い落としながら言った。
彼の報告によれば、近くを通りかかった他の部族の流民が、無残な凍死体となって発見されることが増えているという。
「彼らにとってはな」
義経は、暖かなゲルの中で、地図を広げたまま顔も上げずに答えた。
「だが、我らにとっては好機だ」
義経はこの冬を、単なる休息の期間とはしていなかった。
彼は、集団戦法のさらなる徹底、武器防具の補修と改良、そして何より、新参者たちの「意識改革」に時間を費やしていた。
「飢えは人を獣に変えるが、満腹は人を怠け者にする」
義経はそう言い、冬の間も厳しい規律を緩めなかった。
暖房用の薪の管理から、雪かきの当番、夜警の交代に至るまで、軍律違反者は厳罰に処された。
外の寒さよりも、内なる指揮官の冷徹さの方が、彼らを律していた。
ある吹雪の夜、野営地の入り口が騒がしくなった。
「頼む! 一口でいい、何か食わせてくれ! 子供が死にそうなんだ!」
数十人の薄汚れた集団が、柵にしがみついて哀願していた。小さな部族の生き残りだろう。彼らは骨と皮ばかりに痩せ細り、その目は死人のように虚ろだった。
見張りの兵たちが困惑して顔を見合わせる中、義経がゆっくりと姿を現した。
「……クロウ殿、どうしますか。彼らを追い払えば、確実に死にますが」
トオリルが同情のこもった目で尋ねた。
義経は、雪の中で震える集団を見下ろした。
彼の中に、憐憫の情はない。あるのは、損得の計算のみ。
「男は何人だ」
義経が短く問うた。
「はっ……動けそうな者は、二十人ほどかと」
「悪くない数だ」
義経は、集団の前に進み出た。
「聞け。タダでくれてやる食い物はない」
彼の冷たい声が、吹雪の音を切り裂いて響いた。
「お前たちの命を、私が買い取る。今日からお前たちは私の所有物だ。部族の名も、家族の絆も捨てろ。私の兵となり、私のために死ぬと誓え」
それは、救済ではなく、魂の売買契約だった。
「そ、そんな……我らにも誇りが……」
集団のリーダーらしき男が弱々しく抗議しようとした。
「誇りが腹を満たしてくれるなら、雪でも食っていろ」
義経は背を向けた。
「行くぞ。門を閉じろ」
「ま、待ってくれ! 従う! 何でもする! だから助け――」
男の絶叫が響いた。
義経は立ち止まり、振り返ることなく命じた。
「ボオルチュ。彼らを中に入れろ。男は直ちに他の隊に分散して組み込め。女子供は後方の作業に回せ」
こうして、義経の軍勢は冬の間も、雪だるま式に膨れ上がっていった。
飢えに耐えかねて投降してくる小部族、タタル崩れの流民、盗賊団の生き残り。
彼らは皆、義経の前にひれ伏し、食料と引き換えに絶対の忠誠を誓わされた。
彼らは「トオリル族」でも「タタル族」でもない。義経という強烈な個が率いる、出自を持たない新しい戦闘集団となっていった。
冬が終わりを告げる頃、義経の兵力は、五百騎を超えようとしていた。
春の兆しが見え始めたある日、義経は雪解けの泥にまみれた丘の上に立ち、南の空を睨みつけていた。
隣には、すっかり精悍な顔つきになったボオルチュが控えている。
「……生き残ったのは、我々だけではないな」
ボオルチュの視線の先、遥か南方の地平線に、微かな煙が見えた。
それは、この過酷な冬を耐え抜き、力を維持した強者が他にもいることの証明だった。
「ジャムカか」
義経が呟く。
入ってくる情報によれば、ジャムカ率いるジャダラン部族もまた、豊富な備蓄と彼のカリスマ性によって、この冬を最小限の被害で乗り切ったという。
それどころか、周辺の弱った部族を併呑し、その勢力はさらに拡大しているらしい。
この冬は、草原の勢力図を単純化した。
弱者は死に絶え、あるいは吸収され、残ったのは少数の強者のみ。
「雪が溶ければ、始まるぞ」
義経は、腰の刀の柄を強く握りしめた。
その目に宿るのは、獲物を前にした狼の、飢えた光だった。
「準備はいいか、ボオルチュ。我々の『群れ』の力、草原の貴公子に見せつけてやろう」
長い冬が終わり、血塗られた春が訪れようとしていた。
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