闇堕ち回避は絶対です

真中夜

第1話

「ジェード念願の書籍化を祝してカンパーイ!」


 満面の笑みを浮かべてスカーレットはグラスを持ち上げた。かつん。と、グラスがぶつかる音。

 グラスをぶつけるのはマナー違反だとか言われているが、格式あるレストランではなくチェーン店の居酒屋かつ身内の集まりなので指摘する人間はいない。


「今日は私とネープルスの奢りだから好きなだけ暴飲暴食してね!」

「暴飲暴食すんのはいーけど吐くなよ?」

「吐かない程度に貪り尽くしますので対戦よろしくお願いします」


 タブレットを操作して各々好きな物を頼む。スカーレットとネープルスは追加のお酒とおつまみ系を。お酒に強くないジェードはご飯のおかずになるものを。


「お、煮卵美味っ。ジェード食う?」

「食べる食べる」

「ほい」

「あーん。……ラーメン食べたくなってきた」

「帰りにラーメン屋寄るかぁ」

「私も食べたい!」

「ほれ」

「……ん! 美味しっ! 意外とビールに合う! もう一個頼んじゃお!」


 追加のビールを飲み干し、ビールと煮卵を追加注文するスカーレット。

 ネープルスはジェードが頼んだ唐揚げをおつまみとしてもらい、ジェードは唐揚げと白米を頬張った。


「次は何飲もうかな〜? 焼酎ロックかカクテルにするか悩むな……」

「俺はハイボール。ジェードはどうする?」

「ミックスジュースと白米おかわりで」

「梅酒の湯割にしよっと!」


 鼻歌を歌いながらタブレットを操作するスカーレットは誰が見てもご機嫌だった。

 ジェードが顔をしかめる。手羽先をネープルスに渡し、オレンジジュースで食道に流し込む。ネープルスは手羽先を口に入れ、ジェードの嫌いな味だな、と咀嚼した。


「スカーレット、ペース早ない?」

「すぐ酔うぞ」

「いや、だってさ、めでたいことじゃん!」

「声もデカいし」

「個室だからってデケェ声あんま出すなよ」

「ウス。でもでも、ほんっとにめでたいことだから。ジェードおめでとー!」


 かつん。空になったグラスにぶつける。

 揺れるビールが溢れないかと心配しつつ、ジェードは照れたように笑う。


「ありがとね。今日持って来るの忘れちゃったんだけど、見本誌もらったから今度スカーレットとネープルスに渡すね」

「え! なんで!? 私達ちゃんと買うよ!? ね!」

「だから、声デケェって。本は自分の金で三冊買うよ。あ、サインはほしい」

「私もー!」

「サインはちょっと……。え、三冊って言った?」

「言った。読書用、保存用、布教用に買う」

「ヤバ」

「私は五冊買うし!」

「張り合わんといて」


 ジェードは酔っ払いの戯言だ〜と流し、タブレットをぽちぽちする。居酒屋だというのにまだ厚焼き玉子を食べていないと気付いたので。

 ネープルスにタレのモモとつくね、それからビールを追加してほしいと言われ、スカーレットはぼんじりが食べたいと言うので注文した。


「書籍化作業大変だった?」

「んー、まあまあ? 校正がちょっとめんどかったかな。でも担当編集さんもすごくいい人で、その人はネープルスとマゼンタのカップリングが好きみたい」


 スカーレットの言葉が遮られる。ダンッと勢いよくグラスがテーブルに置かれたからだ。中身は空っぽだったので溢れることはなかった。

 ジェードはそっとネープルスから視線を逸らす。熱い視線をひしひし感じるが気付かないふり。だが、ネープルスはそれを許さない。


「ジェード」

「……」

「ジェード、返事」

「……はい」

「おめでたいことだから言わねぇでおこうと思ったけどな、やっぱり言うわ。お前ふざけんなよ」


 修羅場の気配を察した店員はすばやく配膳し、個室を去った。

 それを見たスカーレットは、バックであそこの部屋修羅場になってた〜とか言われるんだろうなぁ、とネープルスが注文したつくねを食べる。


「俺達をモデルにしたBLを書く奴がいるか!!」

「溢れるパッションを抑えることができず……」


 神に祈るように両手を胸の前で握り締め懺悔するジェードにネープルスは深いため息を吐いた。

 念の為に言っておくが、ジェードは執筆する前にきちんと二人に許可を取っていた。

 二人をモデルにした小説書いてもいいかな、と。

 スカーレットとネープルスは面白そうだから、とオッケーを出した。出したが、それがまさかBL小説だとは思うまい。

 ジェードが書いている小説は基本男女の恋愛系やファンタジー系だったため油断していた。


「主人公が俺とかふざけんなよクソが。ジェード達とビリジアンがほのぼの菓子食ってる横でライラックとマゼンタが俺を取り合ってんだ! おかしいだろ……!」

「ショタおにっていいよね」

「スカーレット黙れ」

「次はスカーレットのGL書くね!」

「そういう問題じゃねぇ!」

「え。相手だれ?」

「え。ビリジアンしかいなくない?」

「じゃあジェードは女神様と?」

「? ちょっと何言ってるか分からない」

「お前らほんとマジで一回だけでいいから黙ってくんない?」


 ネープルスは、もうマジ嫌だコイツら、と頭を抱えた。ジェードは呑気に厚焼き玉子を食べ、ミックスジュースを飲む。ころころ笑うスカーレットがぼんじりに手を伸ばした直後──


「マジか」

「お」

「え?! ちょっと待って! 私まだぼんじり食べてな」


 部屋が眩しい光に包まれる。その光が治まる頃には、三人の姿はなくなっていた。



 目を開けるとそこは居酒屋ではなく、真っ白な空間だった。立ち尽くす三人の前に女性が現れる。


「賢者達よ、大変なのです!」

「私のぼんじりー!!」

「またこのパターンか……」

「呼び出されるの早ない?」


 状況を理解したジェードとネープルスがぼやき、ぼんじりを食べそびれたスカーレットが嘆く。


「賢者達よ、大変なのです!」

「私のぼんじりがっ……!」

「スカーレット、元気出して。また魔王を愛で討ち滅ぼしたら食べれるから」

「愛と討ち滅ぼすは対極な気がすんのは俺だけか?」

「でも実際魔王は『なんとかなれ破ァー!』って愛で討ち滅ぼせたし」

「寺生まれなんだよなぁそれ」

「うぅっ……ぼんじり……」


 実はそうこの三人、魔王を倒した賢者である。勇者ではない。賢者だ。

 三人は女神に「魔王軍を倒してほしい」と強制的に異世界に送られ、女神に与えられた力(スカーレット命名愛の力ラブシャワー。ステッキを持って愛を叫ばないといけないためネープルスには不評)で魔王軍を倒し、魔王を討伐して地球に生還した。

 これは余談だが、三人の名前は偽名である。偽名というかハンドルネームだ。


「私のお話を聞いてくださいっ」


 と、女性──女神が悲愴感たっぷりの声で懇願したため、三人は女神の話を聞くことにした。聞くことにしたものの。


「それで? なんで俺達はまた呼び出されたんですかね女神様。まさかまた魔王が復活したと言わねぇだろーな、魔王を倒してからまだ一年しか経ってねぇぞ」

「ねねね、ネープルスの機嫌悪くない?」

「女神様に対して喧嘩腰ってそこにしびあこ」

「そこの可愛いお嬢さん達、ちょっと静かにしてくんない? 今大事な話してっから」

「かわいいだって」

「静かにしよっか」

「……で、女神様。俺はこの可愛いお嬢さん達と違って優しくないんでね、納得のいく説明を25文字以内にしてくださいよ」


 二度目のかわいいだ。お嬢さんだって。ときゃいきゃいはしゃぐお嬢さん達レディースを黙殺し、金色の双眸を律儀に文字数を数えながら言葉をまとめる女神に向けた。


「貴方達が可愛がっていた子供が闇堕ちしました!」

「惜しいッ! 26文字!」

「バカ! 問題はそこじゃねぇ!!」

「闇堕ちってなに?」

「えと、えと、闇堕ちはですね、もともと善側だった人間が何かのきっかけで道を踏み外してしまい悪の側になることの」

「女神様そういうことじゃないです」


 はへぇ? と首を傾げる女神を放置し、ジェードとスカーレットは可愛がっていた子供達について話し始め、ネープルスはそれを静聴する。


「ライラとビリジアンはともかく、マゼンタは闇堕ちするような子じゃないんだけどな……」

「異議あり! ライラはともかくビリジアンも闇堕ちする子じゃないよ! お姉様お姉様って私達の後ろよちよちついてたじゃん!」

「そうなんだけど、そうなんだけどさぁ……。ビリジアンが私に向ける感情と、スカーレットに向けてた感情は違うというか……その、うん」

「なんでお言葉濁した? ねえねえ、なんでお言葉濁した? ねえ」

「こーゆーのは、直接本人から聞くべきだと思うからぁ……」


 異世界で出会った三人の子供。

 魔王軍の討伐があまりにも順調すぎて一ヶ月しか一緒にはいられなかったものの、子供達は三人を慕い懐いてくれて帰還の時には泣きじゃくって別れを惜しんでくれた。その子供達が闇堕ち。

 ジェードに詰め寄るスカーレットを尻目に、ネープルスは「ありえないことはありえねぇか」とつぶやいた。


「と、とにかくですね!」

「あ、女神様」

「影薄女神様」

「俺よりスカーレットおまえの方が不敬だろ」

「とーにーかーく! 闇堕ちだけは絶対の絶対に回避してください! お願いしますよ!!」


 女神は三人に念押しすると腕を振う。シャランという綺麗な音が花園に響いた。

 女神しかいなくなった花園。──ごめんなさい。ちいさな謝罪は溶けて消えた。



   ◇◇◇



 色とりどりの花々が咲き誇る花園が賢者達を出迎えた。

 うぅん? とジェードが首を捻る。


「ここ、どこだっけ? 見覚えはあるんだけど……分かる人挙手」

「はい」

「どーぞ、スカーレット」

「異世界」

「馬鹿野郎んなの知ってんだわ」

「屋敷の近くにある花園だろ」


 ネープルスの呆れた声に「どうりで見覚えがあると思いました」と頷く馬鹿野郎スカーレットを無視し、ジェードは美しい花園を見つめた。

 この花園は深緑の少女のお気に入りで、よく遊びに来ていた場所だった。思い出に浸っているとパンッと手を叩いた音。


「とりあえず屋敷に行くぞ」

「行くのはいいけど、人いる? 賢者わたしたちはいなくなったわけだし」

「え。いなかったら野宿? うそぉ」

「賢者が暮らしてた屋敷だから管理人くらいはいるだろ。まぁ、定期的に手入れしてるってだけで住んでない可能性もあるけどな」

「確かに。ネープルスかしこ」


 屋敷に向かおうと決めた直後──


「お姉様……?」


 後ろから声が掛けられた。

 振り返ると深緑色の髪の少女が立っていた。少女のそばには紫の髪の青年と赤い髪の青年がいる。

 少女は口を両手で覆い、信じられないものを見たような眼差しを三人に向けていた。

 そして。


「お姉様!」

「うぎゃあっ」

「スカーレットが謎の美少女に押し倒されちゃった」

「いや、謎の美少女つーか、おい嘘だろ」

「あ、えー、あー……ちょっと待って。頭が混乱してきた」


 スカーレットを押し倒した深緑色の少女は状況についていけない彼女にすがりつき、わぁぁん! と声を上げて泣いた。

 少女と一緒にいた男達はそれに苦笑したり、額を抑えていた。


「お姉様、お姉様、お姉様っ、スカーレットお姉様ぁ……! 私、お姉様に会いたくて、すごく、すごくすごく会いたくて……!」

「……ビリジアン?」


 スカーレットの言葉に少女は何度も頷き、お姉様お姉様と泣きじゃくる。

 すり寄られたスカーレットはもちろん、ネープルスとジェードは困惑した。

 彼女達が可愛がっていた子供の一人であるビリジアンは七歳の少女だ。一年ぶりの再会となるので八歳になっているかどうか。けれど、スカーレットの腕の中で泣きじゃくるビリジアンはどう見ても十代後半で、彼女達が困惑するのも無理はなかった。


「どうゆうこと……?」

「……考えられる可能性は二つだ。ひとつ、ビリジアンの血縁者。もうひとつは、ここが十年後の世界」

「……可能性があるとしたら後者だよね?」

「あぁ。俺達の世界とこっちの世界じゃ時間の流れが違うのか……?」

「考察するのはいいけどさぁ! ちょっと助けてもらってもいいですかぁ!?」

「お姉様ぁ!!」


 ここが本当に十年後の世界なのか、少女が何歳になったのかは後ほど聞くことにして、ジェードとネープルスはスカーレットを起こしてやり、三人がかりでビリジアンを宥めた。


「姉上、ネープルス」


 ビリジアンが落ち着いた頃、紫の髪の青年が微笑を浮かべ声を掛けてきた。


「ライラ、久しぶり」

「はい、はい。お久しぶりです、姉上。またこうして姉上達に会えるとは思いませんでした」

「え。姉様って呼んでくれないの……?」


 ショックを受けた表情でスカーレットはライラックを見上げた。ネープルスが「それ今言うことか?」と言っているがスカーレットには聞こえていない。

 十年前(三人にとって一年前だが)、ライラックはジェードとスカーレットを「姉様」と呼んでいた。ビリジアンの「お姉様」もそうだが、彼女達はその呼び方が少しくすぐったかった。が、一年間ずっとその呼び方をされればくすぐったさは段々なくなり、帰還する頃には自分から「姉様ですよー」と言っていたくらい気に入っていた。

 だからこそ、スカーレットはショックだった。再会を喜ぶ前に「姉様って呼んでくれないの?」と言葉が漏れ出るほどに。


「姉上? どうしてそんな顔を」

「姉上じゃなくて姉様がいい」

「……姉上」

「ごめん、ライラック。できれば私も姉様って呼ばれたいかな。もちろん、無理強いはしないよ」

「姉様って呼ぶの、嫌になっちゃった?」


 そういうわけでない、とライラックは首を横に振る。


「嫌じゃないんなら姉様って呼んでほしいなぁ」


 胸の前で両手を組んでお願いのポーズをし、身長の関係で自分を見上げるスカーレットの姿にライラックは苦笑いした。

 なぜスカーレット(とジェード)が姉様呼びにこだわるのか彼には理解できないが、姉上達がそちらの方が良いなら、と姉様呼びを了承し、口を開いた。


「スカーレット姉様、ジェード姉様。……ふふ。少し、恥ずかしいですね。幼い頃の呼び方をするというのは」

「っか」

「か?」

「かわいいー!」


 きゃーっと語尾にハートがついた黄色い悲鳴を上げ、よしよしむにむにもちもちわしゃわしゃと二人がかりでライラックを愛でる。愛でて愛でて、ひたすら愛でまくる。

 ライラックは自分を愛でる二人の手を振り払わなかった。かわいいかわいいとむにむにされるのは照れくさいが、姉様達に愛でられるのは久しぶりで彼らにとって特別だったので。

 そう、特別だからこそ、ビリジアンは面白くないわけだ。形のいい親指の爪を噛み、愛でられるライラックを恨めしげに見つめる。


「ずるいずるいずるい私もお姉様達に髪を撫でられて抱き締められて『かわいいね、ビリジアン』や『見ない間にこんなにかわいいお姫様になって』と言われて甘やかされて愛でられたいのにそうだわ屋敷に行く前にお姉様達が私以外の女なんか見ないようにしておかないとそうしないとあの雌豚共を人前には出られない顔にする手間が一分一秒でも長くお姉様達のお傍にけどジェードお姉様はそういうのがお嫌いな方だからバレたら嫌われてしまうわスカーレットお姉様はお姉様は私だけのお姉様なのにどうして私を愛でないでライラックを真っ先に愛でるのお姉様が優先して愛でるべき子供は私なのにどうして」


 ブツブツ呪詛を吐くビリジアンにネープルスが声を掛ける。


「あー……ビリジアン? 可愛い顔が台無しだぞ」

「だってお兄様! ずるくないですか!? 宥めてはもらいましたがまだお姉様達に『ビリジアンは可愛いね』って愛でられてません! 私が可愛くないってことですか?! 世界で一番可愛いのに?」

「自己肯定感が高いのはいいことだよな」

「それにお兄様にだって愛でられてません!」

「おっと、ここで俺に飛び火するのか」

「私、可愛いですよね? 可愛い可愛いって愛でたくなる可愛さですよね? ねえお兄様、ねえ。ビリジアンは可愛いなって愛でてください」

「もはや可愛いの恐喝だろこれ」

「お兄様」

「あー、可愛いよ。ビリジアンは可愛い」


 俺達以外にも可愛いの恐喝してんのかなこの子。と思いながらビリジアンの髪を丁寧に撫でる。

 可愛いと言われ愛でられたことで機嫌が回復した少女は大好きなお兄様に抱き着こうとして、年頃の女の子が抱き着くんじゃありません、と止められた。うりゅりゅと目を潤ませて上目遣いをしてもお兄様は抱き締めてはくれない。

 一通りライラックを愛でに愛でまくって満足したジェードとスカーレットは、ネープルスがビリジアンに話しかけた時点でそわそわしていた子供の解放し、ネープルスの所にいっておいでと背中を押す。


「ネープルス!」

「うおっ」


 抱き着いた。というよりは飛びついた、が正しいだろうか。いくらネープルスが成人男性と言えども、自分よりも背の高い男に弾丸の如く飛びつかれては体勢を崩して転んでしまう。

 けれど、ネープルスが転ぶことはなかった。体勢を崩した瞬間、ライラックが支えるように腰に手を回したおかげだ。


「飛びつく奴がいるか!」

「ごめんよ。君に会えて嬉しくて我慢できなかったんだ」

「ったく……。ジェードとスカーレットに飛びつかなかったのは褒めてやる」

「昔と違って大きくなってしまったからね、僕が姉様達に飛びついたら怪我をさせてしまうよ」

「俺は?」

「ネープルスなら大丈夫だろう?」

「信頼が厚くて泣けてくるよ、俺は」

「あはは!」


 あー……と、スカーレットとジェードは仲のよろしいネープルスとライラックを見て、互いの顔を見た。二人とも似たような表情をしている。


「あれは完全にさぁ……」

「ネープルスが受け入れたら無問題モーマンタイ

「受け入れなかった場合は?」

「……」

「……」

「この話やめよっか」

「うん。やめよう。それが一番いい」


 そういうことで話は終わった。

 何の話をしているのか分からないビリジアンは「お姉様?」とスカーレットとジェードの服をきゅっと握る。

 それにきゅんと胸が疼いた二人はビリジアンをかわいいかわいいと愛でた。

 ようやくお姉様達に愛でられたビリジアンはご満悦で、もっと愛でてもいいんですよとスカーレットの胸にすり寄って甘える。

 ビリジアンを甘やかすのはスカーレットに任せ、ジェードは自分は関係ありませんと言わんばかりに傍観を決め込んでいる子供に呼びかけた。


「マゼンタ」

「この流れでオレを呼ぶのか」

「今呼ばなかったらだんまり決め込んだままだったでしょ」

「容赦ねぇ女」


 おいでおいでと手招きされ、はあと息を吐いたマゼンタがジェードの前に立った。

 彼女は大きくなった子供に手を伸ばし、頬に右手を添える。紅紫色の瞳をジッと見つめ、翠の瞳をあまくほそめた。


「かっこよくなったね」

「惚れそうなくらい?」

「ふふ。女の子にモテモテでしょ」

「モテても好きな奴にモテなきゃ意味ねぇだろ」

「好きな人できたんだ」

「ずっといたよ。男として見られちゃいねぇが」

「へぇ」

「……興味無さそうだな」

「うん」


 頬に添えられた手が輪郭をゆっくりとなぞり、顎を伝って喉仏の所で止まる。カリッと喉仏を引っ掻かれ、マゼンタは一瞬息を呑み、ジェードの右手を掴んだ。


「マゼンタ?」

「ニィさんとネェさんに挨拶してくる」

「はいな」


 にこりと微笑みを浮かべ、ジェードはマゼンタから離れていく。飛びついてきたビリジアンを抱き留め、彼女は穏やかにライラックと談笑を始めた。

 その姿をマゼンタは無感情な目で見つめ、数秒の沈黙後、にこりと微笑むとネェさんとニィさんに話しかけた。


「十年ぶりだな、ネェさん、ニィさん」

「久しぶりだね、マゼンタ」

「よぉ。すっかりデカくなったな」

「十年も経ったからな。ニィさん達が十年前と姿が変わってねぇのは訳ありか?」

「えへへ」

「その下手くそなごまかし方もほんと変わってねぇんだな」

「ンなことより、再会のハグでもするか? 今なら頭もぐちゃぐちゃにしてやるよ」

「勘弁してくれ。色沙汰で死ぬのはいいが殺されたくはない」

「それってどう違うの?」

「オレの最期は決まってるって話だよ」


 スカーレットの問いに、マゼンタは薄く笑って答えた。しんっ、と三人の間に沈黙が落ちる。

 ネープルスは後ろで呑気な会話をしているジェード達が羨ましかった。息を吐き、空気を変えようと、彼は口を開きかける。ちょうどその時、ところで、と話題を変えるライラックの声が聞こえた。


「ネープルスと姉様達はどうしてこの国に?」

「私も気になっていました。まさかまた魔王軍が……」

「あ〜違うよごめんね! それとは別だから大丈夫だよ!」


 不安がるビリジアンを宥めるようにスカーレットはぎゅうぎゅう抱き締める。花の香りと温かさに彼女はそっと息を吐いた。

 うっとりとした表情で女に寄りかかる少女は見なかったことにし、言い訳は任せたとサムズアップする馬鹿ジェードを頭の中で殴り、ネープルスは静かな声で言った。


「お前らが心配だったんだよ」

「ネープルス……!」

「っだから! 急に抱き着くのはやめろ!」

「急にじゃなかったら良いのかい?」

「……お前そんなにくっつきたりだったか?」


 訝しげなネープルスにライラックはにこやかに微笑んだ。仲が大変よろしい二人にスカーレットは、あーあ、と苦笑い。

 もっと他に言い方が、いやでも言い訳を任せたのは自分だし、18歳以下が読めないなんてことは起きないはず。とジェードが考えていれば肩に上着を掛けられた。マゼンタの物だ。


「積もる話は後にして移動しようぜ。体冷えるだろ」

「そうだね。姉様達とビリジアンが風邪を引いてしまうといけないから早く屋敷に行こう」

「俺は風邪引いていいってか」

「違うよ。ほら、こうやってくっついてるとあったかいだろ?」

「動きづれぇなってネープルス思うワケ」

「スカーレット姉様! 私達も!」

「これって張り合うとこなのかな。……おててでも繋ぐ?」

「はい!」


 花が咲いたような笑みを浮かべ、ビリジアンは差し出された手をぎゅっと強く強く握った。彼女としては指を絡めて恋人繋ぎをしたかったのだがハードルが高い。今でも心臓が破裂しそうなのに。

 一方手を握られたスカーレットはというと、本当にそうするとは思ってもいなかったので、ジョーダンだったのに……という風な顔でビリジアンを見つめ、でもまぁ可愛い天使ちゃんが嬉しそうにしているから良いかな、と自分を納得させた。

 ネープルスにバックハグをするライラックに、スカーレットとおててを繋ぐビリジアン。

 傍観者気取りのジェードは仲がよろしくて大変結構と、小説のネタにするため空想を描いていれば腰に手が回される。顔を上げて確認するまでもない。


「マゼンタ」

「何も言うな」

「かわいいね」

「何も言うなッ」


 顔を赤くしたマゼンタが叫ぶ。やめてやれよという目で同郷二人に見られるが、自分のこと棚に上げてんなよとジェードは思った。

 茶番は終わり、このまま屋敷に移動、とはならない。ネープルスが「動きづれぇ」と強く訴えたためだ。名残り惜しげにライラックは離れ、やっぱり恥ずかしかったのかビリジアンは手を外し、マゼンタはジェードから距離を置き、大人組と子供組に固まって移動となった。

 さて、ネープルス達大人組が二度目の異世界に行くことになった理由は可愛い天使ちゃん達──つまり、ライラック、ビリジアン、マゼンタ、子供組の闇堕ちを回避するためだ。

 回避、するためなのだが。


「闇堕ちしてなくない?」

「それな」

「あの駄女神嘘ついたんじゃねぇだろーな」

「駄女神」

「不敬でクサァ」


 前を歩く子供組を見ながら、大人組がこそっと密談を交わす。時々後ろを振り返る子供に手を振ったり、ニコッと笑うのも怠らない。


「闇堕ちしてなかったし、女神様の勘違いってことで帰る?」

「えー? でもさ、成長したビリジアン達ともう少しおしゃべりしたくない? みんなキュートでビューティフォーだから恋人の一人や二人はいるよ絶対」

「……女神様、スカーレットとネープルスが監禁されたら助けてくれるかな……」

「待って。ネープルスはともかく私も監禁されるの? 誰に監禁されるの? ねえ。ジェード聞いてる?」

「おい待て。ともかくってなんだ、ともかくって。スカーレットはともかく俺が監禁される理由がねぇ」

「なにおう! 私の方が監禁される理由ないよ!」

「……ふたりともかわいいね!」

「あー! 誤魔化した!」

「めんどくさくなっただけだろ」


 ニコォと笑うジェードをスカーレットが揺すり、ネープルスは頭痛が痛いと深く重いため息をついた。

 密談とも言えない密談は屋敷に着くまで続き、女神の勘違いかどうか見極めるべく、しばらく屋敷に滞在することにした。

 そして、二週間後。

 ある事件をきっかけに女神の妄言ではなかったと知り、三人は闇堕ち回避のために動き出すが──


「いや……いや、いやぁっ! 私、もっと可愛くなるから! もっともっと可愛くなってみせるから! だから、だからぁっ……私以外の女なんか見ないで!」


「この指輪、受け取ってくれるかな。そうだよ、結婚指輪。……? 大人になったら結婚するって約束してくれたのはネープルスじゃないか」


「あんた、前に言ったよな。大切なものは他人に教えるなって、奪われて壊されるから隠せって。……なあ、あんたを壊したいって言ったら……どうする?」


 ──後に現実逃避をした賢者三人は「乙女ゲーのバナー広告みたいだった」と語る。

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