第14話 フィールドワーク

 ゲストハウスを出て、海岸沿いの道を歩く。

 栞の案内(という名の迷走)で向かったのは、観光ガイドには載っていないようなマイナーな場所ばかりだった。

 時折吹く海風が、彼女の髪と俺のTシャツを揺らす。


「あそこ! あの廃線跡、なんか良さそう!」

 彼女が指差したのは、今はもう使われていない錆びついた線路跡だ。

 赤茶色に錆びたレールが、伸び放題の夏草に覆われながら海沿いへと続いている。枕木は朽ちかけ、所々に小さな黄色い花が咲いていた。


「ここ、人工物と自然の境界線って感じでエモいね」

 栞は嬉々として、レールの上にしゃがみ込んでシャッターを切る。

 俺は彼女の重たい交換レンズが入ったカメラバッグを持ちながら、足元の悪さに閉口していた。

「移動コストが高いな……これ、クッション性の高いスニーカーじゃなかったら詰んでたぞ」

 独り言のようにボヤくと、前を歩いていた栞が振り返った。

「移動コスト?」


「あ、いや……」

 つい、口が滑った。

「ここ、なんか隠しダンジョンの入り口みたいだなと思って」

「ダンジョン?」

「……俺、ゲームばっかりやってたから。現実の景色も、ついそういう風に見ちゃうんです」

 引かれるかと思った。現実とゲームの区別がつかない痛い奴だと。


 しかし、栞の反応は予想外だった。

「え、何それ面白い!」

 彼女は目を輝かせて、カメラを下ろして俺に詰め寄ってくる。

「湊くんには世界がそう見えてるの? HPとかMPとか?」

「まあ……そんな感じです。空腹ゲージとかも見えますし」

「すごいじゃん! ARみたいでカッコいい! 私の写真は世界を『切り取る』作業だけど、湊くんは世界に情報を『重ねて』見てるんだね」


 否定されると思っていた内面を、肯定された。それどころか「才能」のように扱ってくれた。

 胸の奥の澱んでいた部分が、すっと軽くなるような気がした。


「じゃあさ、ゲーマーの湊くんから見て、あそこはどう見える?」

 栞が指差したのは、線路の先にある苔むした古いレンガ造りのトンネルだった。

 入り口は暗く、中は見通せない。壁面にはびっしりと蔦が絡まり、ひんやりとした冷気が漂ってくる。


 俺はゲーム脳のフィルターを通して、その風景を分析する。

「……ボス部屋の前の中継地点、セーブポイントかな。あの暗闇の向こうに強い敵がいて、その前に一息つく場所。静かだけど、どこか緊張感がある」


「採用!」

 栞がパチンと指を鳴らす。

「そのイメージで撮ってみる! 静寂と緊張感!」

 彼女は地面に這いつくばるようにして構図を決め、レンズを向ける。

 俺の何気ない言葉が、彼女のクリエイティブの一部になった瞬間だった。


「ついでに湊くん、トンネルの前に立って」

「え、俺ですか?」

「そう。ボス戦を前にして、覚悟を決めた戦士の顔で」

 無茶振りだ。

 だが、断れない雰囲気だった。

 俺はトンネルの入り口、レンガの壁に背中を預けて立つ。

 背中から伝わる冷気。湿った苔の匂い。

(ボス戦、か……)

 これから立ち向かうべき現実(ラスボス)を想像してみる。父親の厳しい顔、大学の講義室の空気、将来への漠然とした不安。

 自然と、表情が硬くなる。少し遠くを睨みつける。


 カシャ。


 静かなシャッター音が響いた。

「……うん、いい表情。迷子だけど、戦う意志はある顔だ」

 モニターを確認した栞が、満足そうに呟く。

 その言葉が、妙に胸に刺さった。

 俺はまだ、戦えるだろうか。


「よし、オッケー! 今日はいい写真が撮れた気がする!」

 日が傾き始め、海風が冷たくなってきた。

「さて、クエスト完了! 報酬の晩御飯といきますか!」

「了解です、リーダー」


 機材を片付け、並んで宿への道を戻る。

 夕日に伸びる二つの影が、時折重なり合いながら揺れていた。

 ただ歩いて、写真を撮っただけの一日。

 なのに、俺の中には確かな達成感(経験値)が蓄積されていた。

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