一章 ちぐはぐな夫婦④
***
「どうして出ていかないんだ!」
アルセニオが怒り出したのは、ルビアが嫁いで一週間が経った頃だった。
朝から二度目の『ミミズプレゼント』をお見舞いされ、庭の唐辛子コーナーにミミズを撒いているルビアを見て、彼は今にも地団駄を踏みそうな勢いであった。
「ミミズだぞ! ミミズ! 気持ち悪いとか、怖いとか、何かないのか!?」
「ですが、ミミズは土の状態を良くしてくれる素晴らしい生物なんですよ! 枯れ草や虫の死骸なんかを食べてくれますし、それを体内で分解していい土に作り替えてくれるんです。それにほら、この表面の粘液がですね──」
「解説しなくていい! 大体、なんでそんなにミミズに詳しいんだ」
「うふふ、何を隠そうこのわたし、農業の本を一時期読み漁っておりまして……」
「胸を張るな、褒めてない! まったく、せっかく朝から頑張って集めたのに、これじゃ意味が──……っくしゅん!」
頬を紅潮させて怒っていたアルセニオが、不意にくしゃみをする。
もしやと思い、ルビアは彼の額に手を伸ばす。
「失礼いたします、閣下」
「なっ──」
触れてみると、明らかに平熱より高い。
「やっぱり! 熱があります」
「ただの風邪だ。このくらい、大したことじゃない」
「いけません! 風邪はこじらせたら大変なんですよ。お部屋に戻って休まないと」
「だから大丈夫だと──う……わっ! 何するんだ、放せ!」
このままここで押し問答していても
八歳の体重は中々に重かったが、それでもなんとか寝台に押し込むことに成功する。
「自分で歩けたのに……」
子どもなりに、女性に抱きかかえられたことがよほど屈辱だったらしい。アルセニオはふてくされたように唇をとがらせ、真っ赤な顔をしていた。
それでも観念したのか、大人しく横たわってくれていることに安心する。
(改めて見ると、どうして具合が悪いことに気づけなかったのかしら……)
彼の目は熱のせいで潤んでおり、表情も気だるげだ。頬は紅潮しているのに唇の色は白く、額にはじわりと汗が
「すぐに気づけなくてごめんなさい。お身体、
ルビアの謝罪に、彼は軽く驚いたような顔をした。
「別に、お前のせいじゃない。というか、お前を追い出すためにミミズを集めていたせいでこうなったんだ。
自分が嫌がらせをしていたことを認めるのが気まずいのか、アルセニオは目を伏せ、ばつの悪そうな顔をしている。
「いえ、十二歳も年上の花嫁なんて、普通は嫌ですよね。閣下のお気持ちよくわかります」
「別に、そういうわけじゃ──くしゅっ」
困ったように口を開いたアルセニオが、またくしゃみをする。掛布は多めに
「あの、
「……勝手にしろ」
若干投げやりな合意の言葉を受け、ルビアは右手をアルセニオの身体の上にかざした。
そして、呟くように呪文を唱える。
「〝ラティス・ヴァル・ルミナス──光の精霊よ、癒しの力をここに示したまえ〟」
唱え終えた瞬間、ルビアの手のひらから淡く暖かな光が放たれ、アルセニオの身体を包み込む。
精霊魔法に触れたのは初めてだろうか。アルセニオは目を丸くし、自身を包む癒しの光を見つめていた。
「暖かい……」
「自己治癒能力を高める魔法で、風邪を完全に治すものではないのですが……。通常より治りは早くなるはずです」
「確かに、今のでだいぶ楽になった」
光が消滅すると共にアルセニオの顔色が少しよくなったのを確認し、ルビアはほっと胸を撫で下ろした。念のため額に触れてみると、熱も少し下がっている。
「すごいな。精霊魔法というのは、こんな優しい使い方ができるのか……。魔術ではできないことだ」
「魔術にだってできますよ。浄化や癒しの力はなくても、使い方次第で、人を助けたり誰かの支えになったりしているでしょう?」
皇都では、人々の暮らしは魔術によって支えられている。
魔力のない人でも快適に暮らせるように様々な魔道具が生み出され、生活の中に根付いているのだ。
「精霊魔法には精霊魔法の、魔術には魔術のよさがあります。きっと、優しい使い方も見つかりますよ」
「そうか……、そうだな」
そう呟いたきり、アルセニオは黙り込んでしまった。
何か考え事でもしているのだろうかと思っていたルビアは、しばらくして聞こえてきた安らかな呼吸に、思わず
「──おやすみなさい、閣下」
あどけない表情で眠るアルセニオの頭をそっと撫で、ルビアは彼の寝室を後にした。
***
──おぎゃあ、おぎゃあ。
赤ん坊の泣き声がする。
側には女がおり、正気を失ったように泣き叫んでいる。
──嫌よ、嫌! どうしてわたくしがこんな目に! お願い助けて神さま!
彼女は髪を振り乱し、目を血走らせながら赤子に手を伸ばす。その手にはハサミが握られており、明確な意思を持って、赤子を傷つけようとしていることがわかった。
──そうだ、初めからこうすればよかったのよ。この呪いの目さえなくなれば!!
火が付いたように、赤子が
次の瞬間。
金色だった赤子の目が血のような赤色に染まり、その全身から
──あ、悪魔……!
──お前など、産まなければよかった……。
口からごぽりと血を吐きながら、女が赤子に向かって
──お前がこの世に産まれてきたことが、間違いだったのよ……!
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