プロローグ

 二度目の人生。二度目の結婚──それも、同じ相手との。

 そんな不可思議な状況では、何が起こっても不思議ではない。ルビィはそう思っていた。

 けれど、夫の愛情表現が前世の時と比べて百倍増しだなんて、一体どうして想像できただろう。

「はい、あーんして」

 目の前には、美味おいしそうな料理の載ったスプーン。そしてかたわらには、ルビィを膝の上に乗せてご満悦な夫、アルセニオ。

「あの、えっと。自分で食べられます、アルセニオさま……」

 膝の上に乗っているというだけでも落ち着かないのに、さすがに十六歳にもなって、幼子のように食べさせてもらうのは気恥ずかしい。

 控えめに主張してみたものの、アルセニオは聞く耳を持たなかった。

「そんなに遠慮しないで。君が喜ぶと思って、君の故郷の料理を作らせたんだから」

 にこやかに、けれど強引に。

 一切引く気配のない彼の態度に、ルビィは観念して口を開く。

「うぅ……もう……っ。一回だけですよ」

 ──パクリ。

 一口頬張ると、まろやかな魚のうまみが口いっぱいにあふれ、遅れてピリピリとした刺激が舌の上で広がっていく。

「んんっ、からくて美味しい!」

 なつかしい故郷の味に、思わず唇がほころぶ。

 それを見て、アルセニオがうれしそうに目元を和らげた。金色の瞳は、蜂蜜より甘い色をしていた。

「ほら、もっと食べて」

 続けざまにスプーンを差し出され、ルビィは小鳥のひなのように反射的に口を開いてしまう。流されたことに気づいたのは、口の中のものを全てしやくし、えんし終えた頃だった。

「美味しい?」

「美味しいですけど! 一回だけって──!」

 しかしアルセニオは、ルビィの台詞せりふを遮るように目を細め、うっとりとつぶやく。

「こうしていると思い出すな。僕が風邪を引いた時、君がこうやっておかゆを食べさせてくれたこと。僕もいつか、君に同じ事をしてあげるのが夢だったんだ」

「それは、アルセニオさまが子どもの時の話ですよね!? 今とは状況が違いすぎます!」

「どうして? 子どもだとか大人だとかなんて関係ないだろう。だって僕は君の夫で、君は僕の妻なんだから」

 ぎゅっと、ルビィの腹に回した腕に力を込めながら、アルセニオが言う。まるで聞き分けのない幼子に言い聞かせるように、ゆっくりと、けれどはっきりと。

「確かにかつて、僕は君よりうんと子どもだった。でも今は違う。君より年上の、君の夫だ。いくらでも、君を甘やかすことができる」

 腰まである淡い金髪を指先ですくい上げたアルセニオが、髪の先にキスを落とす。そこには神経など通っていないはずなのに、なぜかぞくりと、身体からだの芯が震えたような気がした。

(なんだか……なんだか、思っていた展開と違うわ!)

 大切にされ、甘やかされて。

 新妻としてはこの上ない幸せな状況のはずなのに、ルビィは戸惑っていた。

 なぜならアルセニオのもとに嫁ぐ際、彼女は覚悟していたからだ。冷遇され放置される、名ばかりの花嫁になることを。

 それなのに──。

「大好きだよ。君のこの、朝霧に溶け込む光のような美しい色の髪も、勿忘わすれなぐさのようなれんな青い瞳も、白くて柔らかな頬も、いろに染まった愛らしい唇も。──君の全てが、僕の宝物なんだ」

 どうして、冷遇されるどころか熱烈に口説かれているのだろうか。

(き、きっとアルセニオさまは、罪悪感からわたしを大切にしているのね! 前世のわたしを死なせてしまった、罪悪感から……!)

 そうだ、それなら納得がいく。

 たとえその件に関して、アルセニオに一切の責任がなくとも。

 彼はとても優しい子だったから、負い目を感じていても何もおかしくはない。

(ああ、あの時わたしが死んでしまわなければ、アルセニオさまにつらい思いなんてさせずに済んだのに……!)

 話は十六年前──まだルビィがこの世に生まれる前、『ルビア』という名の少女として生きていた頃に遡る。

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