誰が為の忌録(アーカイブ)──S県白河村・集団失踪事件に関する未整理ファイル

@tamacco

第1話 File_00:業務委託契約書および添付メール

【序文】


 これから記述する内容は、私、高木彰(たかぎ・あきら)が二〇二四年十月から十二月にかけて体験した一連の出来事と、その過程で閲覧したデジタルデータの記録である。

 この記録を残すにあたり、私は特定の地名や個人名を一部伏せる処置を施したが、それ以外の――特に「彼ら」が遺したファイルの中身については、可能な限り原文、原音、および映像の内容を忠実に言語化している。

 それが、行方不明となったドキュメンタリー作家、漆原京介(うるしばら・きょうすけ)に対する唯一の手向けであり、また、私自身が正気を保つための儀式でもあるからだ。


 事の発端は、十月三日の深夜、私のPCに届いた一通のメールだった。


送信日時: 2024年10月3日 02:14

差出人: 雨宮 誠司 s.amamiya@k-shouji.co.jp

件名: 【至急・極秘】映像資料の整理および編集業務のご相談

宛先: 高木 彰 様


高木 彰 様


突然のご連絡、大変失礼いたします。

株式会社K商事、映像事業部の雨宮と申します。

高木様が過去に手がけられたドキュメンタリー番組『廃墟の詩』、およびYouTubeチャンネル『深層報道』での編集手腕を拝見し、この度、ある特殊な案件のご相談をしたくご連絡差し上げました。


単刀直入に申し上げます。

本案件は、半年前に取材先で行方不明となりました映像作家、漆原京介氏に関するものです。


現在、弊社は漆原氏が管理していたクラウドサーバーのアクセス権を(ご家族の同意のもと)保有しております。サーバー内には、漆原氏が失踪直前まで取材していたS県白河村(通称)に関する膨大なデータ――動画、音声、テキスト、画像等――が、未整理の状態で残されています。


高木様にご依頼したいのは、これらの「未整理データ」の閲覧、分類、および一本のドキュメンタリー映像としての再構成です。


【案件概要】

・業務内容:クラウドサーバー上の全データの確認、整理、編集

・報酬:200万円(税別) ※着手金として半額を先払いいたします

・納期:2024年12月末日

・特記事項:本案件は完全な守秘義務契約(NDA)を前提とします


報酬額が相場より高額であることには理由がございます。

第一に、データ量が膨大であること(総容量約8TB)。

第二に、内容に一部、精神的な不快感を催す可能性のある映像や音声が含まれている可能性があること。

第三に、本件が警察の捜査対象となっている事件の「証拠品」に準ずる扱いであることです。


もしご興味をお持ちいただけましたら、添付の業務委託契約書(ドラフト版)をご確認の上、本メールにご返信いただけますでしょうか。

サーバーへのアクセスキーは、契約締結後に発行いたします。


夜分遅くの非礼をお詫び申し上げますとともに、よいお返事をお待ちしております。


株式会社K商事 映像事業部

プロデューサー 雨宮 誠司

〒105-xxxx 東京都港区……


 モニターのブルーライトが、散らかった六畳間の暗闇を青白く切り取っている。

 私は愛飲している安物の缶コーヒーを口に含み、その苦味で頭を覚醒させながら、メールの文面を三度読み返した。


 漆原京介。

 同業者でその名を知らぬ者はいない。九〇年代後半の「心霊ビデオ」ブームの火付け役でありながら、安易なやらせ演出を嫌い、徹底した現地取材と民俗学的アプローチでカルト的な人気を博した映像作家だ。

 彼の作風は「モキュメンタリー(擬似ドキュメンタリー)」と評されることも多かったが、一部の熱狂的なファンの間では「漆原の映像には『本物』が混じっている」と誠しやかに囁かれていた。


 その漆原が、半年前に姿を消した。

 ニュースでは「山岳遭難」として処理されていたが、業界内では様々な噂が飛び交っていた。「ヤクザの資金源に手を出した」「カルト教団に拉致された」「異界への入り口を見つけた」……。どれも三流週刊誌の見出しのような話だが、彼ならあり得ると思わせるだけの危うさが、あの男にはあった。


 しかし、私が注目したのは漆原の安否ではない。

 「報酬二百万円」という数字だ。


 フリーランスの映像編集者にとって、今の時期は冬の時代だ。テレビ局の予算削減、ネット動画の単価下落。私の口座残高は、来月の家賃すら危うい状況だった。

 怪しい案件だとはわかっている。「株式会社K商事」なんて聞いたこともない会社だ。おそらく、漆原の所属事務所か、あるいはパトロンだった企業が、彼の遺作を商品化して回収しようとしているのだろう。死体(あるいは失踪者)を利用した金稼ぎ。悪趣味な話だが、背に腹は代えられない。


 私は添付されていたPDFファイル『業務委託契約書.pdf』を開いた。

 全二十ページに及ぶ契約書は、一般的な条項で埋め尽くされていたが、第十四条だけが異様な雰囲気を放っていた。


第14条(免責事項および健康管理)


甲(発注者)は、乙(受注者)が本業務の遂行過程で閲覧する資料(以下「対象データ」という)の内容により、乙の身体的・精神的健康に何らかの不調が生じた場合であっても、一切の責任を負わないものとする。


乙は、対象データに、社会通念上不適切とされる暴力表現、猟奇的な表現、または科学的に解明されていない現象(ノイズ、不可解な音声等を含むがこれに限らない)が含まれている可能性を十分に理解し、自己の責任において業務を遂行するものとする。


乙が業務遂行中に幻聴、幻覚、不眠、重度の情緒不安定等の症状を自覚した場合は、直ちに甲へ報告し、医師の診断を受けるものとする。ただし、これにかかる費用は乙の負担とする。


 「科学的に解明されていない現象」。契約書でこんな文言を見るのは初めてだ。

 まるで、これから見るものが「呪いのビデオ」であると宣言しているようなものじゃないか。

 私は鼻で笑った。脅し文句としては優秀だが、所詮はデジタルデータだ。0と1の信号に過ぎない。モニターの電源を落とせば消える光の粒だ。


 私は電子署名を施し、返信ボタンを押した。

 数分と経たずに、自動返信のような速さで新しいメールが届く。そこには、クラウドサーバーのURLと、複雑なパスワード、そして復号化キーが記されていた。


 URLをクリックする。

 黒い背景に、シンプルなログイン画面が表示される。

 IDとパスワードを入力。エンターキーを叩く。

 画面中央でサークルが回転し、数秒の読み込みの後、漆原京介が遺した「脳内」とも言えるディレクトリ構造が表示された。


 Index of /Urushibara_Project/2023_S_Village/


 📁 00_Admin(管理情報)

 📁 01_Audio(音声記録)

 📁 02_Video_Raw(未編集映像素材)

 📁 03_Documents(取材メモ・資料)

 📁 04_Photos(静止画)

 📁 99_Do_Not_Open(要確認・破損ファイル群)


 整然と並ぶフォルダ。

 だが、プロパティを見て息を呑んだ。

 更新日時が、すべてバラバラなのだ。あるものは一年前、あるものは半年前。

 そして、最下部にある『99_Do_Not_Open』フォルダの最終更新日時は――「2024年10月3日 02:20」。

 つい、さっきだ。


 私がログインする直前に、誰かが――あるいは「何か」が、このフォルダを更新したことになる。

 雨宮だろうか? それとも、サーバーの自動バックアップだろうか?

 合理的な説明はいくつもつく。しかし、背筋を冷たいものが撫で上げたような感覚は拭えなかった。


 私はマウスを握り直し、まずは全体像を把握するために一番上のフォルダを開こうとした。

 その時、PCのスピーカーから「ブツッ」という、ケーブルを引き抜いたようなノイズが短く鳴った。

 接続不良か。私はヘッドホンの端子を確認し、気を取り直して**『00_Admin』**内のテキストファイルを開いた。

 そこには、雨宮からの形式的な挨拶ではなく、漆原京介本人が書いたと思われる、乱雑なメモが残されていた。


Readme.txt


これを見ているお前が誰かは知らない。

雨宮か? それとも警察か? あるいは、ただの通りすがりのハッカーか?


誰でもいい。頼みがある。

このフォルダの中身を、順序通りに見てくれ。

時系列を無視するな。ファイル名を書き換えるな。

俺たちが「そこ」へ至った道程を、一歩たりとも踏み外さずに追体験してくれ。


そうしないと、解けない。

俺は失敗した。俺たちは間違えた。

記録するという行為そのものが、奴らへの餌付けだったことに気づくのが遅すぎた。


このデータは、単なる記録じゃない。

これは「苗床」だ。


もしお前が、この文章を読んでもまだ、先へ進もうというのなら。

どうか、最後まで目を逸らさないでほしい。

見続けることだけが、奴らをこの箱の中に留めておく唯一の方法だからだ。


2024年4月1日 漆原京介


 四月一日。エイプリルフール。

 漆原らしい、人を食った演出だ。

 私はそう自分に言い聞かせ、乾いた笑いを漏らそうとした。だが、声は出なかった。

 部屋の空気が、急に澱んだように重く感じられた。

 換気扇の回る音が、遠くの悲鳴のように聞こえる。


 これは、ただの仕事だ。

 二百万円の仕事だ。

 私は震える指先で、次のファイルをクリックする。

 そこにあったのは、音声ファイルだった。


 File_01:音声記録_20230810.wav


 再生ボタンを押す。

 波形が動き出す。

 私の物語は終わり、漆原京介の物語が――いや、私たち全員を巻き込む「忌録(アーカイブ)」の蓋が、今、開かれた。

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