ダクスの女神
森松一花
プロローグ
第1話 彼女が女神になるまで
アリスは五年前、神に嫌われてしまった。その証拠に今、死の
*
静かなはずの夜闇の森に、木々をなぎ倒す音が響き渡る。
アリスは逃げるどころか立つことすらできずに、ただ木陰に隠れて震えていた。自慢の長い銀色の髪はぐしゃぐしゃになり、青のドレスは泥ですっかり汚れてしまっている。
目と鼻の先で、
それは『
悪霊の気配が迫り、アリスは己の死を覚悟した。とても恐ろしかったが、同時に、死ぬことへの『期待』があった。
だって、悪霊に
アリスが生きることを諦めかけた、その刹那——。
「なあ、ちょっといいか?」
誰かが小声で、アリスに話し掛けてきた。
「は……?」
あまりに唐突で、あまりに異質。
声の方角を向くと、少女よりも低い位置。茂みに隠れるように伏せの姿勢でこちらを見上げる何かがいた。
血潮のような紅い瞳に、白い髪をした、美しい青年に見える。
非現実的な美貌と、危機的状況で声をかけてきた非常識さに面食らって、アリスはこの青年が人間なのかどうかすら判断できない。
「あそこでお前を探してる悪霊、俺がどうにかしてやるからさ、お前も俺の頼みを聞いてくれない?」
「…………」
呆気にとられ、何も言えなかった。それを不思議に思ったのか、青年は上体を起こし、アリスの顔の前でぶんぶんと手を振った。
「もしもーし?」
青年はアリスの顔をのぞき込む。揺れた白髪に月の光が反射して、頭に光の輪っかがあるように見えた。
「……天使?」
思わずアリスは口にした。が、青年はその言葉に何の興味も疑問も持たなかったのか、聞き返すことなく次の言葉を発する。
「どうする? 俺は別にここでお前が悪霊に喰われても構わないんだけど」
青年の急かすような態度にアリスは焦り、何とか声を絞り出す。
「助けてくれるの……?」
一度は死を受け入れたが、目の前の希望に
青年のことを必死になって見つめると、青年は期待したような目で見つめ返してくる。
「俺のことも助けてくれるなら。どう? 俺と契約する?」
キラキラと輝く、まるで悪戯をする前の幼児のような顔。
あまりに綺麗なものだから、一瞬見惚れてしまいそうになる。だが、そうこうしている間にも、死は刻一刻と迫っている。
「ねえ……助けてくれるなら早く……こっちに来るから……」
アリスは静かな声で懇願する。しかし、青年は淡々と質問を続ける。
「お前、名前なんていうの?」
「ア……アリス」
「じゃあアリスはさ、俺と助け合い、その命ある限り、真心を尽くすことを誓う?」
「は……? え……?」
アリスにはこの青年の言っていることが、全く理解できない。
ただ、この状況を変え、アリスを救ってくれる可能性があるものは他にはなく——今、アリスにできることは一つだけだった。
化け物の咆哮が近づく。迷っている時間はない。
「誓う!」
アリスは青年だけに聞こえる程度に、声を張り上げて答えた。
瞬間——にやりと青年が笑った。
「その誓い、受け取った」
そう告げると同時に、青年はアリスに
後になってアリスは、その口付けには誓った言葉を閉じ込めるという意味があり、絶対に違えることはできないことを知った。
そしてこの契約は、アリスの運命——いや、アリスだけでなく、この地に住まう人々全ての運命を、変えることになるのだった。
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