盲目の戦士
@eijiro2011
第1話 灼熱の一乗谷
北陸は浄土真宗王国と言われる。本願寺第8代法主蓮如が比叡山の迫害から逃れ、北陸一帯への布教の拠点として加賀と越前の国境の北潟湖畔に吉崎御坊を建て、とにかく民衆にわかりやすい教えを説いたことで、浄土真宗は爆発的に広まった。奥州から北陸にかけての百姓たちがはるばる吉崎まで蓮如の説教を聞きに集まったと言われる。また、多くの村から説教に来て欲しいという要望があり、対応しきれないので御文書(ごぶんしょう)というふみを送り、村々でそのふみを読んで教えを広めたという。1470年ごろの出来事である。
それから100年余り、1573年、越前の国で朝もやが立ち込める一乗谷川の岸を望む山の尾根から身を潜めて谷底を覗いている2人の若者がいた。草むらに身を潜めて眼下の谷で陣を張り睨みあう2つの軍勢の様子を観察していた。足羽川から別れた一乗谷川は谷に向かって伸びているが、その入り口を下城戸が行く手を遮る。下城戸は谷一杯に土塁を横たわらせ、川の水は通すが人は通さないように大きな門で待ち構えている。その土塁の上には織田軍を待ち構える朝倉軍の鉄砲隊が最後の砦の一乗谷城を守るべく、必死の防御線を張っている。
山の上から見ている2人からは両陣営の動きが手にとるように見えてくる。外から攻める織田軍は河原を埋め尽くすほどの人数である。村の長老が言っていたが織田軍は2万人以上が攻め入って来たらしい。迎え撃つ朝倉軍は近江の姉川での戦いに敗れ刀根坂の戦いで崩壊状態になり、一乗谷に戻ったときにはわずかな軍勢しか残っていなかった。頼みにしていた親戚筋の家臣まで寝返り、反旗を翻していた。
山から見下ろしていた青年は
「鉄砲隊の人数、少なすぎるんじゃねえか。人数違いすぎるよ。」
つい最近まで一向衆を取り締まる守護として無理難題を押し付け、70年前の永正3年の一揆では多くの農民を苦しめた朝倉氏ではあるが、越前の民として朝倉が打倒される様を見るのは忍びなかった。
「坊主もいるじゃないか。あれは平泉寺の僧兵だぞ。白い頭巾をかぶっていやがる。平泉寺は朝倉方に着いたんじゃねえのか。」
目の前に広がる不思議な光景に2人の若者は何を信じていいのかわからなくなっていた。
見る見るうちに平泉寺の僧兵たちが前線に出て集結してきた。弓矢の先に火をつけ、弓を放っている。
「焼き討ちだ。信長は寝返って来た平泉寺の僧兵に焼き討ちをさせているんだ。」
目の前で起きている恐ろしい光景に涙が止まらない。わずかな数の鉄砲隊を退けると、僧兵たちは松明を持って城戸のうちに入り、手当たり次第に民家に火を放っている。
山の上から眺めている2人は一乗谷から燃え上がる炎と立ち込める煙に朝倉氏の最後を感じていた。
「朝倉様がいなくなると越前の国は誰のものになるんや。」
片一方の若者がもう一方の若者に聞いた。
「しらん。どうせまた別の武士が来て領主になるんだろ。俺たちには何も関係ないんだ。」
吐き捨てるように語った。
するとその時、尾根筋の藪の笹が動いて音がした。2人は声を潜めて身を低くした。残党狩りの織田勢か、逃げ延びようとする朝倉勢か、どっちにしても彼らに見つかったら命はないかもしれない。わざわざ戦(いくさ)を見学に来たことを後悔した。背筋が凍るような思いをして潜んでいると
「殿、こちらでございます。敵はまだこの山には入っておらぬようです。」
という声を聴いた。朝倉の殿様を先導する家来の声だったようだ。朝倉様は一乗谷城を抜け出して裏の山つたいに落ち延びたようだ。朝倉様は尾根筋まで上がり、2人の若者が隠れている場所の近くで振り返り、赤々と燃えさかる一乗谷のお城や武家屋敷を眺め、涙している。
泣いている、越前の国を100年余り支配した有力大名の朝倉氏が目の前で涙している。信長をあと一歩のところまで追い詰め、天下を取ることも夢ではなかった朝倉義景が泣いているのだ。ここからどこへ逃れようというのだろう。何処へ逃げても織田信長の追っ手は許さないだろう。なぜならこの時代の寝返りは決して楽なものではない。寝返った証にかつての主君を殺さなくてはいけないことはよくある事だ。朝倉様の追っ手にはかつての朝倉家臣があてがわれることになるのだろう。
朝倉様の一行が行き過ぎたあと、追っ手の織田様の軍勢が山に入って来ることが予想されたので、2人の若者はその場を立ち去り、村へ帰ることにした。朝早くまだ暗いうちにこの山に着いたが、半日座って見ていたので腹が減り、膝が痛くて歩きにくかったが村を目指して人目につかないように気をつけながら山道を歩いて行った。
村に着いたのはもう暗くなった夕方だった。一乗谷からは約半日歩いてようやくたどり着いた。山道だったので足は傷だらけになり、わらじはすり減ってしまった。
2人の生まれた村は吉田郡志比庄鳴鹿村 九頭竜川の鳴鹿の渡しに旅籠が並ぶ宿場町である。その村の旅籠「秋田屋」の次男が栄吉、18歳、もう一人が小作人の息子、与蔵、18歳である。2人は命からがら一乗谷近くの山から戻ってきたが、一乗谷の燃えさかる様が頭から離れなかった。昨日まで栄華を誇った朝倉氏の城下町、一乗谷が一夜にして燃え尽き、朝倉一族は皆無に帰したのだ。
2人が栄吉の家の秋田屋で疲れを癒して話していると、幼馴染のおひなが漬物を持ってやってきた。おひなは2人より2つ下の16歳だが幼いころから一緒に遊んだ仲だ。旅籠「高砂屋」の娘でまだ嫁いでいないムスメだ。
「あんたたち、一乗谷まで戦さを見に行ったんだってね。よく生きて帰れたもんだ。おとっつぁんが漬物でも持って行ってやれって言うから持ってきたよ。それで一乗谷の様子はどうだったんだい。」
と目を見開いて聞いてきた。おひなは生来、好奇心の強い女で子供の頃から虫やカエルを見つけるとじっくり観察することが大好きで、いろんなことに興味関心を示した。男のような性格で2つ違いの栄吉や与蔵と野山を駆け巡っていたが、15を過ぎるころから女の要素が出て来てなんでも一緒という事はなくなった。
「一乗谷は燃え尽きたさ。信長の軍勢に寝返った平泉寺の僧兵が火をつけて回ってたんだ。信長は寝返って味方に加わったものに心底寝返ったことを証明させるために恐ろしいことをやらせるんだ。」
と与蔵が見てきた恐怖を語ると栄吉は
「山の上の尾根から見ていたんだけど、山に逃げ込んできた武将を見たんだ。殿って言われていたから朝倉様だったんじゃないかな。追手が近づいて来そうだったから俺たちも逃げたけど、信長の軍勢の事だから朝倉の家臣のなかで寝返った連中に朝倉義景の首を持ってこさせるんだろうな。武士のやることは情けがないからな。」
と少し震えながら思い出していた。
時代は大きな転換点に来ていた。村の百姓たちでもこれまでと変わる事だけは感じていた。昨日まで越前の国で栄華を誇っていた朝倉氏は今は山中をさまよっているのだから。
その夜、2人の若者が一乗谷から帰ってきたことを聞いて村の長老の庄左エ門が栄吉の家を訪ねて来た。庄左エ門は鳴鹿村の造り酒屋の家主で村の庄屋を務める村役人で浄土真宗の道場役でもあった。戦場から帰った栄吉たちから情報を集めるために来たようだ。家の戸を開けると
「ごめんよ、栄吉たちが帰って来たんだってね。」
と戸口をくぐって頭を中に入れて話しかけてきた。秋田屋の店の玄関には栄吉の父親の伊右衛門と母親のふみが何やら話し込んでいたが、庄左エ門が来たので
「これは庄屋さん、物好きの栄吉が戦さなんぞ見に行ってみなさんにご迷惑をかけるところでした。申し訳ありませんでした。いま呼んでまいります。」
と言って奥の部屋にいた栄吉を呼び出してくれた。疲れて横になっていた栄吉だったが庄屋さんが来たと聞いて出てくると
「あ、これは庄屋さん。なんぞ御用ですか。」
と頭を下げながら玄関先に座る庄左エ門の近くに座った。
「一乗谷を見て来たらしいじゃないか。どんな様子だったか、少し話を聞かせてもらえないかい。」
と戦さの様子を聞かせてもらうように頼んだ。すると栄吉は
「与蔵と2人で一昨日の夜中に村を出て志比の谷から峠を越えて足羽の谷に入り、そこから一乗谷の入口の下城戸を見下ろせる山に登って、尾根筋から一乗谷の様子を朝方、見ていました。夜が明けるころには下城戸で朝倉方も鉄砲隊が構えていたんですが、夜が明けると一斉に織田軍が攻めかかったんです。ほんのしばらくで朝倉方に寝返った平泉寺の僧兵たちが火を放って一乗谷は火の海になってしまいました。残酷なもんでした。下城戸と上城戸に挟まれた一乗谷は両方から挟み撃ちにされていましたから、生き残った人はほとんどいなかったと思います。わずかに山に逃げ延びた朝倉様と思われる武将はお見受けしましたが、そのあとどうなったかはわかりません。私たちも織田方に見つかったら殺されるのではと思い、必死に山道を走って帰ってきました。」
と恐ろしい体験を話した。庄左エ門は
「朝倉様は逃げ延びようとなさったかい。3年前の金ヶ崎の戦いで朝倉様が織田信長を討ってしまっていたら朝倉様が天下をおさめたかもしれなかったけど、あの時、信長は命からがら逃げ延びたから運命がくるってしまったのかな。これからは織田信長の時代かもしれないね。それにしても一乗谷が燃えてしまったら越前の国はどうなるんだろうね。」
と庄左エ門が頭をひねっていた。栄吉は
「これからは年貢を納める必要がなくなるんですかね。」
と無邪気なことを言った。すると
「代わりの人がすぐに現れるさ。越前の国は信長の領地になったってことさ。信長の家来がすぐに来るってもんさ。」
と庄左エ門が教えると栄吉は少し残念な表情をした。
庄左エ門は若い栄吉に改まって話し始めた。
「朝倉様と鳴鹿の村には長い歴史があるんだ。おれも生まれてなかったころだけど、70年ほど前、永正3年だ。越前の国でも一向一揆が起きたんだ。加賀の国では一向一揆が成功してそれ以来今でも百姓の国だけど、この越前でも本願寺のご意向で一揆をおこしたのさ。その時には加賀や越中から一向衆が20万人もやって来たんだ。越前の一向衆が10万人、あわせて30万人が九頭竜川をはさんで朝倉軍と睨みあったんだ。鳴鹿には加賀勢や超勝寺、宇坂本向寺など勢力5500人が陣取り、川向こうの東古市には朝倉与三右衛門を頭とする3000騎が対したんだ。戦さは中郷のあたりで始まったけど、朝倉軍の奇襲に一向一揆勢は総崩れになって退却したってなってるけど、武士対農民の戦いだから、悲惨なものだったらしい。一向衆の百姓は「南無阿弥陀仏」って唱えながら敵陣に突っ込むんだけど、坊さんから「進者往生極楽、退者無問地獄」って聞かされたんだ。前に進んで死ねば極楽に行けると教わったんだ。その一向衆の大将が陣取ったのがこの鳴鹿の山の見晴らしのいい場所だったと言われているんだけど、わしもどこだかよくわからない。でもな栄吉、忘れるんじゃねえぞ。この鳴鹿の村が一向一揆の戦いで朝倉と戦った戦場になり、鳴鹿の村人が大勢、その戦いに加わったってことを。」
真剣な表情で話す庄左エ門の眼差しに栄吉は圧倒されていたが、話にのめり込み、この村がとんでもない深い歴史があったことに驚きを隠せなかった。
「そんな歴史があったなんてよく知らなかったですよ。それで負けた一向衆はどうなったんですか。」
「越前一向衆の中心だった超勝寺も本覚寺も加賀へ逃げていったのさ。いっしょに逃げていった村人もいたけど、百姓は動員されて鎌や鍬を持っていただけだから、家に帰って知らんふりをしてじっとしてたのさ。加賀の百姓はみんな帰っていったさ。でも朝倉様と加賀の一向衆との間はそれ以来激しくやりあう仲になったのさ。」
と教えてくれた。
「朝倉様が織田信長に敗れたことで加賀の一向衆は喜んでいるかもしれないけど、逆に加賀も危なくなったのかもしれないな。」
と庄左エ門は先を読んでいた。
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