第2話 公爵令嬢になった私①

 「はっ?ここ、どこ?」


 真っ白なシルクのシーツに、華やかなバラ模様が施された真紅しんく天蓋てんがい。そしてフリルたっぷりのネグリジェから見える手足は見慣れた私のものより白くて細い。


 「えっ?えっ?どう言うこと……?」


 おそるおそる天蓋てんがいを開けて部屋を見渡すと、部屋の隅にドレッサーがある。

 私は震えながら萌葱色もえぎいろのふかふかした絨毯じゅうたんの上を歩き、鏡を覗いた。


「えっ……」


 叫び出さなかった自分を褒めてあげたい。

 そのくらい、鏡に映る自分の姿は異様だった。

 ゆるくウェーブした金色の髪、くりっとした青い瞳。

 メイクや整形じゃ説明つかないような容姿の変化だ。

 夢かと思って白い頬をつける。すごく痛い。


 「夢じゃない……?えっじゃあ、この子、私なの?」


 へにゃへにゃと床に座り込んだ途端、頭の奥でカチッと小さなスイッチが入ったような音がして、この鏡に映る女の子、エリザベート・フォン・ローゼンブルクの記憶が流れ込んできた。

 優しい両親に、お姫様みたいな暮らし。そして、ここはシュトラーレン王国の貴族の子女が通う王立学園の寮の一室であること。

 私の脳内にたくさんの情報が流れ込んできた。


 『絵里えり』としての最後の記憶は、黒づくめの服装の男性と居酒屋で飲んでいたのが最後だ。

 では、あの後、『絵里えり』だった私は死んでしまったのだろうか。

 もしかして、私、『エリザベート』に生まれ変わっていたの?


 床に座り込んで考えていると、部屋の扉をノックする音がする。


 どうしようか迷っていると、もう一度、扉を叩く音が聞こえる。


 パニックになった私は咄嗟に「入って」と返事をしてしまった。


 ……これも『エリザベート』の記憶による条件反射だろうか。




 「失礼します」


 混乱した私をよそに、栗色の髪をきっちりとまとめた女性がお辞儀じぎしながら入って来た。

 彼女は……そうだ、ハンナだ。

ちゃんと思い出せる。やっぱり私は『エリザベート』なのだろうか。


 「お嬢様。今朝はお早いですね」


 鏡の前に座り込む私に、ハンナは表情を変えずに話しかける。

 さすが、プロの侍女だ。

 私がおかしな挙動をしていても動じない。

 そして、ハンナはくしと赤いリボンの入った小箱をドレッサーに並べ、私を椅子に座らせると、手慣れた手つきでツインテールに結んでいく。


 「今日から王立学園に通われるのですね。制服も仕立て上がっていますよ」


 そう言って、白いモスリンのワンピースに、青い軍装風のペリス・コートを羽織った制服を出してきた。

 その制服を見た瞬間、私の頭の中でまたカチッと音がして、この学校に通うのを楽しみにしていた『エリザベート』の記憶が蘇る。


 ……そうだ。公爵領にいたときは、身分の釣り合う同年代の子供がいなかったから、この学校でたくさんお友達がたくさんできますようにって願っていたんだった。


 そして、ハンナに制服を着せてもらうと、鏡には、ツインテールとふわふわのワンピースが恐ろしくよく似合う女の子が写っていた。


 「わあ、可愛いっ!」


 『絵里えり』では、絶対着なかったような甘い雰囲気の衣装に私の心も浮き立つ。

 これが夢か現実かわからないけど、今は『エリザベート』として、このお姫様みたいな容姿と暮らしを楽しもう。


 そんなことを考えながら、鏡の前でくるくる回っていると、ハンナがゴホン、と咳払いをした。


 「お嬢様、こちらは王太子殿下からのプレゼントでございます」


 見ると、宝石箱の中には真珠のイヤリングが輝いていた。


 「綺麗ね。でもなんで王太子殿下がプレゼントをくれるの?」


 入学祝いに王族から生徒にプレゼントを送る風習でもあるのだろうか。

 首を傾げた私にハンナがテキパキとイヤリングをつけながら言う。


 「嫌ですわ、お嬢様。ご自分の婚約者様のことを忘れてしまうなんて。

 今日初めてお会いするのでしょう?

 このイヤリングをつけてしっかりアピールなさってください」


 私はハンナの言葉を復唱した。


 ……こんやくしゃ。婚約者!


 頭の中でまたカチッと音がして、『エリザベート』の父から三年ほど前に王太子の婚約者となった、と告げられたことを思い出す。

 ということは、今の私は公爵令嬢で、王太子の婚約者なのか。


 「えっ!それってヤバいやつじゃん!」


 突然大声を上げた私に、ハンナが無表情のまま首を傾げる。


 「いえ、何でもないのよ」


 ホホホ、と誤魔化し笑いをする。


 公爵令嬢。王太子の婚約者。

絵里えり”だった頃に読んだ漫画や小説に描かれていた悪役令嬢の設定にそっくりだ。


「悪役令嬢、か……」


確か彼女も、いつヒロインが現れて、婚約者の心が離れてしまうか、怯えながら過ごすんだっけ。

まるで、亮太りょうたがいつ千春ちはるを好きだと気づくか、怯えて過ごしていた私みたいだ。

『エリザベート』になってもそんな役回りかもしれないなんて、なんて皮肉。


「よしっ!決めた!」

私は軽く頬を叩いて気合いを入れる。


何の漫画か小説か分からないけど、今世では私だけを好きになってくれる人と幸せになってやる!

私がヒロインになれる人を見つけるのだ。


そうして、ハンナに見送られて、私は青い小鳥が歌い、ピンクの花びらの舞う小道を駆け抜けた。

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