素晴らしき転生人生 〜悪役令嬢に生まれ変わった世界は、痛みのない箱庭でした。〜

桜木 菊名

第1話 プロローグ

 恋をするって、すごく楽しくて、すごくしんどい。

 でも、もし、完璧な恋のシナリオがあったなら、私は今も笑っていたのだろうか。




 「絵里えり、ごめん。好きな人が出来たから、別れてほしい」


 大学一年の時から二年半付き合ってきた恋人の亮太りょうたと、久しぶりのデートで言われた言葉に、私は目の前が真っ暗になった。

 

 なんとなく、気づいていた。連絡が少ないとか、デート中も上の空とか。

 でも、亮太と少しでも一緒にいたいから、ずっと気づかないフリをして笑っていた。


「……好きな人って誰?」


 私は震えそうな声を努めて抑える。居酒屋の薄暗い照明とガヤガヤした喧騒けんそうは私の動揺どうようを上手く隠してくれる。

 案の定、亮太は私の顔色の変化には気づかない。


 そして、少し照れくさそうに短い髪をかき上げながら私の親友の名前を呟いた。

 

千春ちはる」と。


 その名前を聞いた瞬間、胸の奥にじんわりと広がったのは、「やっぱり」と言いたくなるような、諦めにも似た感情だった。

 千春は、亮太の高校時代からの友人で、今は同じ研究室に所属している。


 そしてなにより……。


 二人は、誰が見ても仲が良すぎるほど仲が良かった。どこか抜けている亮太に、しっかり者の千春。お似合いだと、いつも思っていた。

 私が勝てる要素なんて、最初からひとつもなかった。


 「……そっか。……わかった。幸せになってね」


 口から出た声は、自分でも驚くほど冷静だった。

 だけど、次の瞬間には、視界がぼやけて、テーブルに突っ伏しそうになる。

 それでも、私は泣かなかった。

 彼の前では、絶対に泣かないって決めた。

 淡々とした様子の私を見て、亮太はあからさまにほっとした顔をした。


 「じゃあ、俺、研究室に用事あるから」


 そう言って、そそくさとビールを飲み干し、千円札を二枚置いて帰って行った。

 亮太が向かう先には、きっと千春が待っているのだろう。

 いつものように軽口を叩き合った後、亮太が千春に告白して、新しい二人の関係が始まるのだろう。

 そんな想像をしていると、自然と涙が溢れてくる。

 周りのお客さんが怪訝けげんそうに通り過ぎて行くのが見えるけど、私は泣くのを止めることが出来なかった。




 「いやあ、思いっきり振られましたね」


 ふと見上げると、歳は三十代くらいだろうか。

 黒づくめの服装の男性がニヤニヤと私を見つめていた。顔は笑っているのに、目だけが妙に鋭く光っている。

 私は直感でヤバい奴だと感じた。


 普段であれば、こんな危なそうな男性には絶対近づかない。でも、今日の私は上手くあしらう気力も無かった。

 

 「放っておいてください」

 

 そう一言だけ言うと、男性を追い払うように、ビールを飲み干し、タッチパネルで次のお酒を注文した。

 だが、そんな私の様子を物ともせず、男性は亮太が座っていた席に腰掛ける。


 「僕の分も頼んでくださいよ。おごりますから」

 

 ニヤニヤ笑う、見るからに怪しげな男性。

 でも、そんな男性に相席を許してしまったのは、よほど気持ちが弱っていたのだろうか。

 そして自棄になった私は、男性に聞かれるまま、さっきまで恋人だった亮太のことや、親友の千春のことを話した。


 男性は じっと、私の心の動きを読むように見つめている気がした。


 「なるほど。親友と恋人が……。それは、お辛いですね。」


 「……はい。しかも、大学では三人で一緒にいることも多かったから……。

 明日から、どうしよう。二人が仲良くしているところなんか見たくないよ……」


 メソメソ泣きながら、またビールを飲む。

 私にしては飲み過ぎだったけど、今はアルコールで現実を忘れたかった。

 そして、怪しい男性は私をじっと観察するようにして言った。




 「では、もし、二人のいない世界に行けるとしたら、あなたはどうしますか?」



 その後、私はなんと答えたのだろう?

 でも、あの瞬間、私はその希望に縋り付きたくなった。

 この現実から逃げられるなら、どこへでも行きたいと思った。


 そして、だんだんと意識がなくなっていく中、男性が私をスキャンしているような、妙に怪しげな瞳で見ていたことだけは覚えている。




そして目が覚めた私は見知らぬ場所で眠っていた。

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