女帝の後宮にて

もも@はりか

第1話 彼女はどの夫も愛してる

 夏もほど近い日の、午後の茶の時間。


 庭は、ちょうど芍薬しゃくやくが花の盛りを迎えていた。

 甘い香りがへや中に広がる。


 華容かようの夫の柏璃はくりが、庭の芍薬を玻璃はりの花瓶に活けている。

 細身でしなやかな体つき。白雪より真っ白な肌。形の良い珊瑚色の唇。目鼻立ちが整いすぎるほど整った、中性的で優しげな美貌。天女を捕まえて男性にしたような印象を受ける。


 牀榻ながいすに横たわっている華容はそれを見て垂れ目気味の目を細め、白茶を飲んだ。


 んふ、と彼女は微笑する。


「柏璃、可愛い」

「……何をおっしゃられます」


 夫は頬を染める。


 柏璃は華容の四人いる夫の中でも最も若い。まだ二十一歳にしかならない。華容は二十九歳なので、八歳も年下ということになる。

 科挙に合格した名官吏を多数輩出してきたれい家の令息。宰相の意見で夫にした。


 なにはともあれ生真面目。舌を巻くほど思慮深く聡明なときもある。だが、根は繊細な甘えん坊。


 その彼が、小さな声で「できた」と呟いた。

 柏璃が芍薬を活けた玻璃の花瓶を持ってきて、華容の目の前にある黒檀の小卓こづくえに置いた。


「どうですか?」


 最年少の夫はあどけなく首を傾げる。

 華容は小卓に茶器を置いて微笑む。


「きれいだわ。本当にきれい。柏璃は花を活けるのも上手いのね」


 頬を赤らめた彼は華容の寝そべる牀榻の端にちょこんと座った。本当に華容の可愛い夫。

 華容は起き上がり、彼の肩を抱き寄せる。


「華容様、口付けてもいいですか?」


 柏璃がく。夫たちのなかで律儀に許可をとるのは柏璃くらいだ。


「いいわよ」


 華容は唇を寄せた。

 ついばむような口付け。彼は唇を離すと、目を伏せた。


「それだけでいいの?」


 慎ましやかな性格の柏璃は頬を染めた。瞳を少しだけ艶めかしく濡らしている。


「でも……お昼ですし」

「誰も見てないわ」


 女官も宦官も隣室に下がらせている。

 すると、頬を染めている柏璃はその瞳を華容へまっすぐ向けた。そっと顔を寄せると、華容の顎に手を添え、その唇を激しく貪る。


「……んっ」


 少しつつけば結構積極的になり始める子なのよね、と華容は角度を変えて何度も口付けをしてくる柏璃に身体を預けた。

 しばらくそうしていたが、ふと柏璃は唇を離した。彼は華容の胸に顔を埋める。


「華容様……、今夜も僕のところに来て下さいますか?」


 華容は、んふ、と微笑んだ。


 ❖


 機能的極まる宮殿。


 夕方、華容は西域から仕入れた木彫りの椅子に座り、ひざまずく夫の静澄せいちょうに靴を履かせていた。金糸の刺繍の美しいあかい靴だ。


 静澄は、端正という言葉がぴったりの顔立ちに、筋肉質の身体を持っている。いつも冷静沈着で物静か。適切な判断が出来る。元禁軍の高官だからだろうか。


 静澄は華容の四人いる夫のなかでは同い年。二十九歳になる。見初めて夫にした。


「華容様、ご用意が」


 低く理知的な声が響いて、華容は頷いた。


「では、行きましょうか」


 静澄のがっしりとした腕に自分の腕を絡ませる。


 華容は彼が用意した酒宴へと向かった。全て用意が良い。本当に頼れる夫だ。

 酒宴の会場には、華やかな音楽が流れている。女官や宦官を含め、大勢の人が集まっていた。


 ──まあ……。主上と鄭淑君ていしゅくくんは本当にお似合い……。

 ──ご夫妻ですもの、当然でしょう。


 静澄の切れ長の瞳が細められた。自分たちへの賛辞に嬉しがっているのだとわかる。

 主賓である華容は静澄の隣に座る。彼に酌をさせた。

 その後、満漢全席が用意され、技巧が凝らされた宴が始まった。舞姫による豪華な舞も始まった。

 すべて華容を満足させてくれる内容だ。

 すると静澄は華容を舞姫たちにさらわせ、彼女たちの真ん中に連れてきて舞を舞わせる。


 冷静な彼は大胆に華容を主役にしてくれる。


 酒宴が終わり、華容は疲れて牀榻ながいすに横たわっていた。

 静澄はそんな彼女を抱き上げて寝台に寝かす。

 彼は華容の首筋に口付けを落とした。


「あ……静澄ったら」


 柏璃はちゃんと許可を取るわよ、と思いつつも嫌ではない。

 彼女の体の曲線を静澄の指がなぞる。


「……いいわよ。来て、静澄」


 ふっ、と燭台の灯りを息で消した静澄に覆いかぶさられる。


 ❖


 月明かりの夜。豪奢な宮殿の中。


 寝台の上で薄絹を身にまとっただけの華容は夫の耀輝ようきの膝に乗せられ、ぬばたま色の長い髪に繰り返し口付けられていた。


 彼の焚きしめている麝香じゃこう白檀びゃくだんの香りが華容を包む。


 耀輝は華麗なる貴公子。隙のない美貌を持つ。すらりとした体型の持ち主。

 華容より一つ年下の二十八歳。この国の建国に大いに貢献した大貴族、さい家の出。結婚当初から溺愛されている。

 彼は勝ち気で誇り高い。傲岸不遜。華麗な反面、嫉妬深い。


「……愛おしい華容様……」


 耳につややかな美声で囁かれる。


「耀輝、これをつけて」


 差し出したのは西方から渡来した玉と瑠璃と金でできた首飾り。耀輝が今宵贈ってきたもの。


「ええ。つけて差し上げましょう」


 華容のぬばたまの髪が掻き分けられた。すると、首筋に口付けを落とされる。


「んふっ、真面目にやって」


 耀輝は首飾りを掛ける。かちゃかちゃ、と金具を掛ける音がする。


「つけられた?」

「つけられない」


 ふわりと後ろから抱きしめられる。


「貴女がお可愛らしくて、つけられない」


 そして、首飾りごと寝台に押し倒された。激しく唇を貪られ、しゅす、と薄絹を戒めていた帯がほどかれた。


 耀輝に溺れていく。


 ❖


 窓から青空の見える朝。


 食卓には朝餉が並べられていた。蟹雑炊かにぞうすい饅頭まんとうあつもの──。


 華容は温かい羹をすすったあと、向かいの席に座る夫の啓英けいえいを笑顔で見た。彼は上品に食事をしている。


 すべてが黄金比で出来ているのではないかというほど整った顔。均整の取れた身体つき。

 華容より三歳年上の三十二歳。最上級の貴族と言われる南方貴族の筆頭、かく家の息子。完全なる政略結婚。だが仲は睦まじい。

 全てにおいて完璧。何でも出来る怜悧な人柄。


「ねえ、あなた」

「どうしたの?」


 夫が箸を置き、首を傾げる。


龍明宮りゅうめいきゅうの模様替えをしたいの」

「ここの模様替え? それはまた突然だね」

「そう。あのね、思ってみたんだけれど、もう夏だし、涼しい感じの雰囲気にしたいのよ」

「そういえばそうだね」

「ええ。手伝ってくれる?」

「──喜んで」


 啓英は完璧な微笑みを見せた。華容は嬉しくなる。

 


 ❖


 華容は後宮を持っている。どの夫も、華容は愛している。

 柏璃も。静澄も。耀輝も。そして啓英も——。

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