行動原動力
窮鼠猫
行動
人は、人(他人)を原動力にすることでしか行動を起こせないのだ。
※他人は、犬や猫そういった生物も含むモノとする。
一つ例を挙げよう。
とある会社員がいる。
その会社員は、仕事を全力で取り組みながらも、スキルや資格の勉強もし、自分の市場価値を高めようと日々励んでいる。
この人は、一見、自分を原動力に行動している様に見えるがそれは違う。
この人が頑張る理由とは何だろうか。
出世をし、収入を上げたいから?
憧れてる人がいて、その人に近づきたいから?
老後も安心できるような資金を得るため?
優れた婚約者と結ばれるため?
きっとこれらのどれかから派生したような理由だろう。
これらはすべて、自身ではない他人が原動力となっているのだ。
出世に関しては、富を得て豊かになっている人を羨んだのだろう。
老後も安心できる資金を得るために関しても、老後に資金がなく、困っている人を見たことやそういった情報を深く捉えたからであろう。
こうした一見自分のための取り組みも、原動力となっているのは他人なのだ。
すべてには当てはまらないが、誇張して言えば、人は人のためにしか頑張ることができないのだ。
こう考えた時、宗教的な見方も浮かんだ。
私は、個人的に、世の中といったモノが大嫌いだ。
すべて楽しく、幸福でなければ生きたいと思わないのに、無情なことが多く、それを受け入れるしかないこの世の中に、強い憤りを感じている。
そんな、苦痛の中を共に生きる我々「他人同士」だからこそ、心の奥底には哀れみのような感情が小さく芽生えていて、原動力を生み出しているのではないだろうかと。
行動原動力 窮鼠猫 @kyusoneko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます