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終業式が終わり、いよいよ夏休み。雲ひとつない青い空に、みんなの喜びに満ちた声と蝉の声が混ざり合う。
幾つかの部活はコンクールや大会に向けて、より本格的な活動に入る。真白が所属する吹奏楽部も、そのひとつだった。
吹奏楽部の演奏を背に校門に向かいながら、目は黒宮さんを探していた。結局、男友達と遊ぶ約束をして別れると、僕は帰り道を一人で歩いていた。
家から駅までは、シャッターが閉まった店が多い商店街を、自転車で抜ければすぐだ。
駅前の商業施設で待ち合わせた僕たちは、ゲームコーナーや書店を巡り、最後は軽食でフードコートに居座るのがお決まりで、それは夏休みになったからといって変わりはしなかった。
「アローは、どっちかと付き合った?」
その質問は、名前の光矢がライトアローになりアローで定着したあだ名くらい聞きなれた質問だった。どっちかていうのは、もちろん真白と黒宮さんの事で。それは本当に聞きたい訳ではなくて、それで会話を始めるのもお決まりのようなものだった。答える必要もなく、みんな笑って話題は次に移ってゆく。
「ああ、そう言えば黒宮さんさ」
珍しく話が戻った。新しい展開にみんなが興味を示したのを見て、言い出した友達は秘密だぞと言わんばかりに小声になった。
「アイドルの時に、くろこって呼ばれてたの知ってるだろ? あれ、グループのメンバーのイジメらしいぞ。それで辞めたんだよ」
「目立つからなー」
「女子こえー」
自分の肩を抱いて震えるジェスチャーをする奴を見てみんなが笑って、その話題は終わった。僕は顔で笑いながら、頭では黒宮さんの顔を思い浮かべていた。
「じゃあなー」
夕方の時報が流れて僕らはバラバラと解散した。夕飯の買い物のお客さんなのか、出入りが多くなったスーパーの前で、自転車にまたがり信号待ちをしていた時だった。
「衛藤くん?」
名前を呼ばれて振り向くと、そこに黒宮さんがいた。
「やっぱり。何してるの?」
「友達と遊んだ帰り。黒宮さんは?」
「カラオケの帰り。これから、そこの路地のお好み焼き屋さんで家族と合流するところ」
駅の方、アーケード手前の路地を黒宮さんは指差した。
「そうなんだ。黒宮さんカラオケ行くんだ。メンバーはうちのクラス?」
「一人でだよ」
「え?」
「定期的に歌わないと、下手になっちゃうからさ」
初めて黒宮さんがアイドルだったんだと実感が湧いた。そしてさっき友達から聞いた話も。黒宮さんは、アイドルを続けたかったのかもしれない。
「衛藤くん、少し話せる?」
「いいけど」
自転車を降りると、僕らは自然と路地に向かって歩き始めた。
「衛藤くんは、いっつも自然と接してくれたけど、私の噂知ってるでしょ? 噂っていうか、その通り地方アイドルだったんだけど」
「うん。でも噂は噂だから。俺が知ってるのは今の黒宮さんだし、それだけは本当のことだから」
黒宮さんが立ち止まり、僕は慌ててブレーキを握った。黒宮さんが、じっと僕を見つめる。
「どうしたの?」
「すごいね衛藤くん。今、すごくカッコよかった」
「なんだよそれ」
恥ずかしくて目を晒した。喉がカラカラに乾くのを感じた。
僕らは自転車を挟んで隣り合わせで歩いた。でも歩幅は小さく、ゆっくりと。
「お母さんに、すすめられてね。始めたんだアイドル。そしたら楽しくて。何かね。グループの中では人気あったみたいなんだ、私。グッズが一番売れてるって。だからセンターの話しもあったの」
どうしてそんな話をするんだろうと思いながら、僕の頭には知りもしない他のメンバーが悪口を言うイメージが浮かんでいた。
「でも、事務所とお母さんが揉めちゃって」
「え?」
「お金のことでね。多分、お母さんがギャラあげろーて言ったんだと思う。他の子と一緒はおかしいって。私は全然かまわないのに」
「もしかして大人の事情で辞めたの? いじめじゃなくて?」
「いじめ? ああー。黒子とか? 事務所と揉めたのがきっかけで、嫌味とか言われるようにはなったけど。そんなのアイドルを辞める理由になんてならなかったよ。お母さんが事務所と縁を切っただけ」
「そんな、勝手に!」
「しかたないよ。価値観の違いだもん」
小さく肩をすくめる黒宮さんは、僕の目にはまぶしかった。確かに他の子とは違う。それは理解できるけど、黒宮さん本人の気持ちは、想いは、大人の価値と、どっちが大切なんだろう。
お好み焼き屋がある路地に入ると手前に自動販売機があった。僕は自転車を止めて、時間稼ぎにジュースを買うことにした。
「価値とかわかんないけど。黒宮さんは初めて見た時から光って見えてたよ。みんなには黙ってるけど、嘘じゃない」
僕はポケットを探りながら、笑える話はないかと言葉を探した。
「そうそう。前に、匂いで雨が降るのがわかるって言ってたでしょ。俺さ。実は光で黒宮さんが来るのがわかっちゃうんだ。気配って言うか光で」
上手く笑顔は作れそうもなかったから、下を向いてジュースを取りながら声を出して笑った。それと一緒に自動販売機から音楽が流れた。
「すごい! すごいよ」
手を叩いて興奮する黒宮さんの声に顔を上げると、自動販売機のパネルに数字の七が三つ並んでいた。
「嘘! 当たり? これ当たることあるの?」
確認なんてしないで立ち去るくらい期待もなく、数も少ない当たり付き自動販売機。始めて目にする当たりに、僕らは興奮を隠せなかった。
「衛藤くん、凄いんだけど!」
「ヤバイ夏休みの運、使い果たしたかも! どれがいい。好きなの選んで」
「いいの? じゃあ、衛藤くんが選んでプレゼントしてよ」
「えーと、じゃあ、これでいい?」
「うん」
落ちてきた当たりのジュースを黒宮さんに手渡した。少し手が触れたけど気付かないフリをした。
「ありがとう! 今日は一番の想い出になったなー。さっきの話も合わせて」
「それは言いすぎでしょ。て、さっきの話?」
「私が来るのが分かるって話」
「ああ。この当たりで上書きしてくれー」
「ふふ。だめー。私が雨を感じるのがペトリコールなら、衛藤くんが私を感じるのはクロコロールだね」
「それで言うならクロコ……」
ギリギリのところで言いかけた口を閉じた。クロココールとは言いたくなかった。
「いいの、いいの。クロコロールの方が響きがいいでしょ。それに好きじゃなかった言葉を好きになれたし。最高だよ」
「なら、いっか!」
僕は今日一番の声を出して笑った。黒宮さんの笑いを誘うように、黒宮さんの言っている事が本当になるように。
「じゃあ私、行くね。これ、ありがとう」
二人で笑い合ったあと、黒宮さんは開けていないペットボトルを振って、お好み焼き屋に向かった。その背中がお店に消えるのを見届けた僕は、自転車を引いて表通りへと戻った。
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