第25章 原初の断層──因子が生まれた日
崩れ落ちる海──記憶の最深部へ
“三人が辿りついた記憶の海”は、静かに揺らぎながらも深層へ向かうほどに荒れ始めていた。白い霧が裂け、黒い波が立ち、光そのものが軋んでいる。
「……何か、違う……。さっきまでの記憶と、質が……」
リーネの手を握りながら、イグナーツが目を細める。均衡の子が足元を見やると、まるで地面そのものが沈むように、記憶の層がずぶりと落ちていった。
「ここから先は、“記憶”じゃない。世界が封じてきた“起源”そのもの……」
淡い光が均衡の子の瞳に集まる。
「──三因子が初めて生まれた場所だよ」
始まりの空──世界が最初に見たもの
景色が割れるように切り替わった。
そこは、何もない空だった。色も形もなく、ただ“存在の気配”だけが漂う、言語すら通じない原初の領域。
「ここが……世界の、生まれた場所……?」
リーネが息を呑むと、空が震え、ぽつりと白い光が灯った。
──白。
光は脈動しながら広がり、世界に“形”という概念を与えていく。
続いて、深い闇が静かにしみ出すように生まれた。
──黒。
それは、白が与えた形に“影”と“輪郭”を与え、世界を安定させた。
最後に、白と黒がぶつかりあう境界に、細い糸のような光が生まれる。
──灰。
それは二つの力をつなぐ“繋ぎの因子”。
世界が崩れないように、ただ均衡を保つためだけに生まれた存在。
均衡の子は、遠い昔を思い返すようにその光景を見つめた。
「……僕の始まりだ」
世界の誤算──三つの力の“ずれ”
原初の光景は、ただ美しく……しかし不安定だった。
白の因子は、形を作りすぎた。黒の因子は、それを壊しすぎた。それを必死につなぎ止める灰は、常に限界の均衡に立たされていた。
光が語りはじめる。
──三つの因子は本来、“心”を持たない。
──意思なき力として、世界を支えるだけの存在だった……
リーネが震えた声でつぶやく。
「じゃあ……どうして、わたしたちに“心”があるの……?」
記憶の海が揺れ、別の光景が現れる。
天から落ちる一筋の《願い》。
──“世界を救って”
誰の声でもない、世界の奥底から生じた祈り。 その祈りが、三つの因子に触れた瞬間──因子は“心”を得た。
白は“希望”を。黒は“真実”を。そして灰は“選択”を。
「……祈りが、僕らを人にしたんだ」
均衡の子が、まるで生まれた意味を知った子供のように呟いた。
禁じられた記憶──“因子は人を生み出していない”
イグナーツが眉を寄せる。
「だが待て。因子から生まれた者……という伝承が古文書にあった。大陸の全ての始祖は“因子の子”だと……」
記憶の海は静かに否定した。
──違う──因子は決して人を創っていない。
「……どういうことだ?」
──因子は“世界を守るための力”──人は、そのずっと後に“自ら生まれたいと願って”生まれた存在。
リーネは息を呑んだ。
「……人が……世界に“生まれたい”って……?」
──そう──世界の痛みを癒すために、世界を感じられる存在として。
「じゃあ……因子より、人のほうが……“後の存在”なの?」
──それでも、因子は……人を見て変わった──人の心に触れたとき、因子は初めて“心を持つ力”へと変質した……
均衡の子は胸に手を当てた。
「……人がいたから……僕らは“人らしく”なれたんだ」
記憶の崩壊──隠されていた“もう一つの因子”
突然、足元の海が激しく波立った。
「っ……揺れてる……!」
白い波が裂け、黒い闇が浮き上がり、均衡の光が暴れだす。
記憶の海が、必死に何かを隠そうとしている。
「何かある……“本来、見せてはいけない記憶”が……!」
リーネの声に合わせて、均衡の子が手を伸ばす。
「大丈夫。僕たちは“三因子すべて”を持っている。なら、この海は──拒めないはずだ!」
三つの光が重なり、海の中心が裂けた。
その奥に現れたのは──
第四の光
白でも黒でも灰でもない、“世界が最後に産み落とした因子”。
だが、その光は……封じられていた。
イグナーツが声を失う。
「……まだ“因子”が……あるのか……?」
リーネは震える手で、その光に触れようとした。
「この光……泣いてる……。ずっと、忘れられて……閉じ込められて……」
均衡の子は蒼白になった。
「……あれは……本来、世界が《最初に》生むはずだった因子だ。でも……存在を“抹消された”。言葉にしてはいけない、世界の“最初の失敗”。」
名前を持たぬ因子──封印された“最初の存在”
封じられた光が、かすかに揺れた。それは言葉を持たない。記憶にも残されない。存在したことすら、世界が消し去った“欠片”。
だがその光の奥から、かすかな声が届いた。
……たす……けて……
「……!」
リーネは思わず駆け寄りかけたが、均衡の子が腕を掴んだ。
「リーネ……!あれに触れたら──君の因子が“壊れる”!」
「でも……!」
「いいか、あれは……世界そのものが“認めなかった因子”なんだ。白・黒・灰の三つが生まれる前に、世界が“失敗作”として切り捨てた存在……!」
イグナーツが息を呑む。
「……失敗……だと?」
均衡の子の顔が苦痛にゆがんだ。
「世界は……“何かを創ろうとして、間違えたんだ”」
記憶の海が激しく泡立ち、封じられた光に触れようとする三因子の力を押し返す。
──見てはならぬ
──触れてはならぬ
──語ってはならぬ
だが、リーネは首を振った。
「……でも、この子……泣いてるよ。誰よりも早く生まれたのに……“名前すら持てない”なんて……」
「リーネ──!」
「行かせて……。この世界が間違えたなら……間違いを正すのも、わたしたちの役目だから……!」
白の因子が輝く。
黒の因子が影の道をつくる。
均衡の因子が境界を開く。
リーネの手が、封じられていた原初の光へと伸びた。
……だれか……
「……ここにいるよ」
その瞬間、封じられた光が弾けた。
忘れられた因子が“目を覚ます”。
記憶の海が爆ぜ、世界の中心が揺らぐ。
イグナーツが叫ぶ。
「リーネ!!」
均衡の子が手を伸ばす。
「だめっ、あれは世界が──!」
白い閃光が世界を覆った。
──ついに、“四つ目の因子”が解放されてしまった。
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