第10章 影の図書館──始原因子の封核儀

夜明け──静寂の前兆


砂漠に薄い光が差し込み、岩肌が赤みを帯びていく。


イグナーツは塔の外で装備を整え、深呼吸をした。昨夜ほとんど眠れなかったが、疲労よりも決意が勝っている。


背後から足音が近づく。


「準備はできたか、イグナーツ」


アルファスが杖を手に現れた。灰色のローブが夜露でわずかに濡れている。


「はい。リーネも起きています」


「……あの子には、辛い真実がこれからさらに襲いかかる。だが君がそばにいるなら、あの子は折れまい」


イグナーツはうなずき、塔の中へ目を向けた。


リーネが外套を抱えたまま、とことこと駆け寄ってくる。


「おとうさん……いっしょに、いく」


その小さな手が、痛いほどに強く握り返してきた。


「もちろんだ。絶対に離さない」


新たな覚悟を胸に、三人は影の図書館へと向かった。



影の図書館──砂塵に沈む門


カルナフの北側にある古い地下遺跡。入口は砂で半ば埋もれ、まるで立ち入る者を拒んでいるようだった。


「ここが……影の図書館……?」


リーネが不安げに問う。


「文献では、古代錬金術文明の知識を封じた“闇の書庫”と呼ばれていた場所だ」


アルファスの声は重い。


「無秩序に力を求める者が使えば、文明そのものが危険に晒される。ゆえに、門が閉ざされたまま忘れられていった」


イグナーツは入口の紋章を見つめた。複雑な三重円と、中心に描かれた螺旋。そこに、錬金術師だけに見える光のラインが薄く浮かんでいる。


「……“始原因子”の紋様だ」


掌を添え、魔力を流し込む。


次の瞬間──


ごぉぉぉん……!


重い音を響かせ、地下への石階段が姿を現した。


「下へ降りるぞ」


三人は暗闇へ足を踏み入れた。



書架の迷宮──死の静寂


地下に降りるほど、空気が冷たくなる。石の通路を抜けると、巨大な空間が広がった。


そこは──無数の書架が立ち並ぶ、果てのない図書館だった。


木製の棚が古びて崩れかけているが、まだ圧倒的な量の書物が残っている。どの本にも、見たことのない符号、魔術文字、古代語の刻印。


「……すごい……こんなにたくさん……」


リーネは思わず目を輝かせる。その純粋な反応に、イグナーツは胸が温かくなった。


しかしアルファスは眉をひそめる。


「……不自然だ。敵の気配がない」


予感はすぐに現実となった。


通路の奥から、冷たい金属音が響く──。


カン……カン……


「この音……!」


銀仮面が、闇の中から姿を現した。



虚信の使徒──メルクス再来


銀の仮面、黒いコート、そして無音の足取り。“虚信の使徒”メルクスが、静かに二人の前に立った。


「──待っていたぞ、始原の娘」


仮面越しなのに、声は冷たく濁った。


「リーネに近づくな!」


イグナーツが前に出る。しかしメルクスは微動だにしない。


「封核の儀など、下らぬ。我々が求めるのは、進化の完全体アーキタイプ──  その覚醒だ」


アルファスが杖を構える。


「貴様らは“始原因子”を理解していない。  制御なき進化は、世界を崩すだけだ!」


「制御など不要。破壊こそが再生を生む」


メルクスが一歩、また一歩と近づく。圧迫感のある気配が、図書館内部を震わせた。


その瞬間、リーネの魔力核が淡く光る。


「……いや……こないで……!」


リーネの身体から、熱が立ちのぼる。


「リーネ、落ち着け。父さんがいる」


イグナーツが抱き締めるが、その腕にびりびりと魔力が刺さった。


メルクスは嘲るように腕を広げた。


「ほら見ろ。あれが“進化の兆し”だ。第三段階──《光核(ルーメン)》が目覚めつつある」


「黙れ!」


イグナーツは錬金術の陣を展開し、砂鉄を刃状に固めて撃ち込む。だがメルクスはひと振りで消し飛ばした。


「無力な、錬金術師よ」


その時──


「無力なのは、お前の方だ。思い違いをするな」


アルファスの杖が床を叩いた。書架が震え、魔方陣が視界一面に広がる。


「《封印結界・古書の盾(コデックス・ウォード)》!」


図書館内の本が宙に舞い、メルクスを中心に厚い壁のように固まった。


「……ほう。老人の癖に、やる」


「行け、イグナーツ!最深部へ向かえ!」


アルファスが叫ぶ。


イグナーツはリーネを抱き上げる。


「アルファス殿、必ず戻る!」


「よいから行け!あの子の核が暴走する前に!」


メルクスの周囲では本の壁が破壊され始めている。


「逃がすと思うかああ!」


銀仮面の怒号が響く中、イグナーツはリーネを抱えて走り出した。



最深部──始原の祭壇


図書館の奥。古い石の扉が自動的に開き、青白い光が流れ込んだ。


「ここが……?」


「始原の祭壇……“封核の儀”が行われる場所だ」


中央には、石の台座。その上に、螺旋を描く美しい紋章──魔力核の波形が刻まれている。


リーネが震える声で言う。


「……こわいよ……おとうさん……また……リーネが暴れちゃったら……」


イグナーツはそっと彼女の頬を撫でる。


「大丈夫だ。儀式は“核を縛る”ためのものだ。暴走なんてさせない」


「……おとうさんをしんじる」


リーネは台座の上に横たわった。胸の魔力核が、鼓動するように明滅している。


イグナーツは両手を台座に置き、魔力を流し込む。


「──始めるぞ」



封核の儀──“光核”の目覚め


祭壇が光り、台座周囲に球状の膜が生じる。


呪文が、自動的に頭の中へ流れ込んでくる。


《始原封核式──第一節》


リーネの魔力核の周囲を、光の鎖が包んだ。


「んっ……!」


「リーネ、痛むのか?」


「だいじょうぶ……つづけて……」


イグナーツは胸を締めつけられながら、第二節を唱える。


《始原封核式──第二節》


光の鎖が核に吸い込まれ、渦が生じる。


暴走を抑え、成長を制御する力……。


だがその瞬間──図書館全体が震えた。


悲鳴のような音が石壁に反響する。


「……アルファス殿!」


イグナーツは嫌な予感に駆られる。


そこへ──祭壇前の扉が破壊され、銀仮面が飛び込んできた。



死闘──覚醒の寸前


「逃げた先がここか……始原の娘!」


メルクスが長杖を構えた瞬間、リーネの魔力核が波打った。


「……いや……いや……!」


「リーネ!」


光が制御を振り切り、台座からあふれだす。


「あああああ……!」


イグナーツは必死に手を伸ばす。


「リーネ、聞こえるか!父さんがいる、ここにいるぞ!」


しかしメルクスがイグナーツの前に立ちふさがる。


「邪魔だ!」


鋭い魔力刃が迫る。


その一瞬、後ろから声が飛んだ。


「──下がれ、イグナーツ!」


アルファスが血まみれの身体で飛び込んできて、杖を突き立てた。


《古代式・封印爆裂(シール・バースト)》!


白い閃光がメルクスを吹き飛ばす。


だがアルファスは膝をついた。呼吸が荒く、胸元が赤く染まっている。


「アルファス殿……!」


「かまうな……儀式を……続けろ……!」


イグナーツは振り向く。台座の上で、リーネの身体が宙へ浮いていた。


光核が──完全に覚醒しようとしている。


「リーネ!戻れ!父さんのところへ!」


その声に、リーネの意識が揺らいだ。涙を浮かべ、父に手を伸ばす。


「……おとう……さん……!」


「来い、リーネ!」


イグナーツは最後の節を唱えた。


《始原封核式──最終節》


光の鎖が直線となり、核へ突き刺さる。


 ──カチン……


透明な音が響いた。


光核に、ひびが走り──次の瞬間、核は淡い光だけを残して静まり返った。


リーネが父の胸に落ちてくる。


「……おとうさん……」


「大丈夫だ、リーネ……!よく頑張った……!」


その抱擁の背後で、メルクスがよろめきながら立ち上がる。


「封核……だと……?」


銀仮面の奥で、憎悪が燃え上がった。


「──決して許さぬ」



決着──崩落する図書館


メルクスが黒い魔力を凝縮させ、三人へ放とうとしたその時。


アルファスが最後の力で叫ぶ。


「イグナーツ! 娘を抱えて逃げろ!」


「しかし──!」


「私がここを崩す!メルクスを……道連れに……!」


床が震え、天井から砂と石が落ち始める。


「逃げろと言っている!」


イグナーツは歯を食いしばり、リーネを抱き締めた。


「アルファス殿……必ず、あなたの志を……!」


「行けぇぇぇっ!」


背後で轟音が爆ぜた。


アルファスが祭壇の装置を破壊したのだ。


図書館全体が崩落を始める。


イグナーツは走った。


リーネを胸に抱え、巨大な書架が倒れる中を駆け抜ける。


最後の出口が見えた時──背後からメルクスの叫びが響く。


「逃がすものかああああ!」


振り返る暇もなく、イグナーツは外へ飛び出した。


直後──地下図書館は、地鳴りとともに完全に崩れ落ちた。



砂漠の風──失われた賢者


朝の光がまぶしいほど広がっている。


イグナーツは砂の上に倒れ込み、息を荒げた。リーネは彼の胸で気を失っているが、呼吸は穏やかだった。


「……アルファス殿……」


砂煙の向こう。地下への入り口は完全に埋まり、もう誰も出てこない。


イグナーツは目を閉じ、深く頭を垂れた。


──あなたのおかげで、リーネは救われた。


肩に小さな手が触れた。


「……おとうさん……?」


リーネが目を覚ましていた。


まだ顔色は悪いが、核は静かに脈打っている。


「リーネ……よかった……!」


父は思わず強く抱きしめた。


「……アルファスさんは……?」


イグナーツはゆっくりと答えた。


「……私たちを、逃がしてくれた。そして……封核の儀を完成させる助けをしてくれた」


リーネは涙をぽろぽろとこぼした。


「……ありがとう……アルファスさん……」


風が吹き、砂が遠くへ流れていった。まるで賢者の魂が、静かに空へ昇っていくようだった。

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