第7章 古都アルノルトへの旅と、ホムンクルスの秘密に迫る影
旅立ちの朝──疲弊の中で
戦いの翌朝、森は嘘のように静かだった。
霧が薄く漂い、鳥のさえずりが遠くから聞こえる。けれどイグナーツの胸には、一晩経っても重い疲労と緊張が残っていた。
リーネは彼の隣で眠っている──まるで戦いなどなかったかのように穏やかな寝顔で。
(……娘。私は、何度その言葉を胸で繰り返しただろう)
戦いの最中に彼女が示した力。結界を補強した、あの優しく澄んだ魔力。
あれが偶然ではないことを、イグナーツは理解していた。
(ホムンクルス……いや、リーネ。お前は一体……)
ただの禁忌の産物ではない。彼の術式以上の均整。彼自身の魔力と、彼女の魔力が「自然に溶け合う」という異質さ。
自ら創り出したはずなのに……ホムンクルスの本質など、何も分かっていなかったのかもしれない……
その答えを得るために、イグナーツは決意する。
「……アルノルトへ向かうぞ」
古都アルノルト。大陸最古の魔術学院跡地を抱え、失われた文献を保管する都市。
そこでなら、リーネの存在の秘密に迫れるはずだ。
リーネが目を擦りながら起きる。
「おとうさん……?どこに行くの?」
「遠くにある街だ。安全な場所に行く。そして……お前のことを、もっと知るためにな」
リーネは一瞬、不安げにまばたきをした。
「リーネ……しらべられちゃうの……?」
胸が刺されるほど、その声は怯えていた。
イグナーツはそっとリーネの手を握る。
「違う。お前を“壊すため”じゃない。“守るため”だ。安心しなさい」
その言葉に、ようやくリーネの表情が和らいだ。
「うん……おとうさんといっしょなら、どこでもいく……」
小さな声が、朝の冷気を溶かしていく。
旅路──変わり始めた父子
森を抜けると広い丘の連なりが広がった。乾いた風が草を揺らし、空は冬の色に変わりつつある。
リーネはイグナーツの手を握ったまま、周囲を楽しげに眺めていた。
昨日の恐怖を忘れたわけではない。けれど、父の隣であれば大丈夫だという信頼が、彼女の足を軽くしていた。
「おとうさん、あの鳥……すごくきれい」
「うむ、渡り鳥だ。南の国へ向かっているのだろう」
こんな穏やかな時間は二人にとって初めてだった。イグナーツはふと、自分の歩幅をリーネに合わせていることに気付く。
(私はいつ、こんなふうに……)
娘として扱うことは覚悟していた。だが、心がこれほど自然に彼女を受け入れたことに、自分自身が驚いていた。
一方でリーネは、時折胸を押さえて足を止めることがあった。
「どうした、痛むのか?」
「ううん……ちがう……なにかが、こわいの……」
「怖い? 何が見える?」
リーネはしばらく黙り込み、やがて小さく呟いた。
「だれか……よんでるかんじ……。リーネを、どこかに……」
イグナーツの背筋に冷たいものが走る。
(やはり、この子には“造られた役割”がある……?)
だがリーネの不安を煽るわけにはいかなかった。
彼は優しい声を装って言う。
「大丈夫だ。父さんが必ず守る」
その言葉に、リーネはほっと胸を撫で下ろし、再び歩き出した。
しかしイグナーツの心の底には、言い知れぬ恐怖が沈殿し始めていた。
古都アルノルト──静かな魔都
二日後。
丘陵地帯を越えると、霧の谷の向こうに巨大な石造りの都市が現れた。
古都アルノルト──千年前の魔王戦争時代、魔術師達が学び研究を行っていた中心地。
廃れた塔がいくつもそびえ、かつての栄華を思わせる石畳の街路が続いている。
しかし今は、静寂が支配し、どこか薄暗い。
リーネは不安げに父の袖を掴んだ。
「おとうさん……ここ、ひとがすくない……」
「ここは昔の魔都だ。危険な遺物が多く、住む者も限られている」
イグナーツは街の奥へ進むと、ひとつの研究塔の前で足を止めた。
黒い石を積み上げた高い塔。入り口には“禁制区”の印。
「ここで……リーネのことがわかるの?」
「ああ。古代錬金術の文献が保管されている塔だ。おそらく、手がかりがある」
リーネは父の手をぎゅっと握る。
「いっしょに、いく……」
「もちろんだ」
二人は塔の扉を押し開けた。
塔の内部──禁じられた記録
中はひんやりとした空気が支配し、無数の書物が積み上げられていた。
古い魔法式の灯火がふわりと浮かび上がり、塔全体を静かに照らしている。
イグナーツは書棚の一番奥、黒い封印の施された区画へ進んだ。
「ここだ……!」
巻物が一本、台座に置かれている。封印には、彼がかつて学んだ“始原錬金術式”の印章が刻まれていた。
イグナーツは慎重にそれを解き、巻物を開く。
そこにはこう書かれていた。
『ホムンクルス計画:始原体系』
・魂の分割と結合
・魔力核の人工生成
・“自己進化型ホムンクルス”の可能性
・親の魔力への同調性の強化
・未知の外部意識との接続リスク
「……これは……」
イグナーツの喉が乾く。
その時、リーネが巻物をのぞき込み、小さくつぶやいた。
「これ……リーネの……なかにある……もの?」
「そうだ。おそらく、お前は『自己進化型』として造られた……完成すれば、常人を超える生命体だ」
リーネは少しだけ、自分の胸に手を当てた。
「リーネ、へんなこじゃない……?おとうさんの、こども……じゃない?」
その問いは、イグナーツの胸に鋭く突き刺さった。
「お前は……私の娘だ。それ以上でも以下でもない。ホムンクルスであることは事実だが……」
彼はリーネの頬に触れる。
「お前は“造られた存在”ではない。私が願い、私が愛し、私が守る娘だ」
リーネの瞳が潤み、震えた声が漏れる。
「……よかった……」
その瞬間だった。
塔全体が、耳をつんざくような“警報音”を響かせた。
迫る影──新たな敵勢力
イグナーツは即座にリーネを抱き寄せる。
「警報……!?誰かがこの塔に侵入している……!」
石壁の向こうから、乾いた靴音が複数。
魔力の気配は、ディルクの追跡隊よりもさらに鋭い。
(まさか……ここの存在を察知していたのか!?)
塔の入口のほうで、重い扉が吹き飛ぶ音がした。
リーネがびくっ、と肩を震わせる。
「おとうさん……こわい……!だれ……?」
イグナーツは巻物を急いで抱え、リーネの手を取った。
「走るぞ、急げ……!」
二人が階段を駆け上がると、下の階に黒い影がなだれ込んできた。
全身を黒い魔導甲冑で覆い、無言で進む精鋭たち。そして彼らを率いるのは、銀色の仮面を被った人物だった。
「……見つけたぞ。『始原の娘』よ」
その声は低く、邪悪な響きを帯びていた。
リーネの顔が青ざめる。あの“呼ばれている感じ”の正体が、目の前にいると悟ったのだ。
イグナーツはリーネを背後に庇い、叫ぶ。
「誰だ、お前たちは!」
仮面の男は答えた。
「我らは《アルカ・エンプティア》──“空虚を求める者たち”。その娘を引き渡せ。彼女は“始原体系の鍵”だ」
リーネが小さく震える。
「いや……いやだ……おとうさん……!」
イグナーツの心は激しい怒りに燃え上がった。
「何が鍵だ……! リーネは私の娘だ。誰にも、触れさせはしない!」
仮面の男は不気味に笑う。
「では力づくだ。我らはそのためにここへ来た」
甲冑兵たちの剣が一斉に抜かれ、魔力が塔を満たす。
戦いが、始まろうとしていた。
逃走──父子の新たな決意
イグナーツは瞬時に状況を判断した。
(ここで戦えば、塔ごと崩れる……!リーネを守れる保証がない)
リーネの小さな手が、必死に彼のローブを掴む。
「おとうさん、いかないで……!」
「離れない。絶対に守る」
イグナーツは塔の非常梯子を見つけ、そこへ走る。
黒い甲冑たちが魔法弾を撃ち込んでくる。
塔の壁が爆ぜ、書物が散り飛んだ。
リーネが涙をこぼしながら叫ぶ。
「おとうさん……あのひと……リーネのなかに……なにか……しってる……!」
「わかっている!だから行くんだ!」
二人は塔の外壁へ飛び出し、崖を滑り降りる。上空には、仮面の男の冷たい声が響いた。
「逃がすな。始原の娘を確保せよ」
その声が風に乗り、リーネの心を深く切り裂く。
イグナーツは娘の手を握りしめたまま叫んだ。
「リーネ、絶対に離れるな!」
「うんっ……!」
二人は霧の峡谷へ消え、追跡者の影が迫る。
迫り来る真実
霧の谷を必死に駆け抜け、ようやく追っ手の魔力気配が薄れた。
イグナーツは息を荒げながらリーネを抱きしめる。
「もう大丈夫だ……!大丈夫……」
だがリーネは震えながら呟いた。
「……おとうさん、リーネ……やっぱり、よばれてる……どこかの……こえが……リーネを……つれてこいって……」
イグナーツの心は凍りつく。
(リーネ……お前の中に何が……?)
だが彼は決して恐怖を見せず、強く娘を抱き寄せた。
「どれだけ呼ばれようと、お前は行かない。父さんと一緒に、生きていくんだ」
リーネは涙を拭き、小さく頷く。
「……うん。おとうさんと、いきたい……」
霧の向こうには、新たな脅威が潜んでいた.始原体系の秘密、アルカ・エンプティア、そしてリーネの中で眠る“何か”。
父子の旅は、いよいよ物語の核心へ踏み込んでいく。
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