パレイドリア 3
「まず私が生まれたときの日記を読みたいと思ってて」
段ボールから日記帳を取り出しながら理沙が言った。日記帳の表紙にはいつ書かれたものなのかきちんと記載されており、箱の中にも古い物を下にして順に重ねてあるので探すのは容易であった。
「えっと……それじゃ俺達も──その、どうしましょうか」
「じゃあこれ──私が生まれた次の年からお願いします」
「了解です」
「は、はい、わかりました」
3人は畳の上に腰を下ろし、それぞれ日記帳の表紙を捲った。理沙の方からはパラパラと勢いよくページを捲る音が聞こえてくる。自身の誕生日の記述を探しているのだろう。そこにはいったい何が書かれているのか、拓実は気になって仕方がなかったが、努めて目の前の日記へと集中した。
拓実が読んでいるのは理沙が1歳のときのものだ。日記の中に、理沙に関する記述は思ったより見当たらない。その点について理沙に訊いてみると、千葉は理沙の父──
ベティが読んでいるものは理沙が2歳のときの日記だ。ペースよく読み進めているところを見ると、そこにも理沙に関する記述はほとんどないようだ。
30分ほど無言で読み進め、3人はほとんど同時に1冊を読み終えた。このペースだと50年分を読むのに8時間以上かかる。まだまだ先は長そうだ。
「お二人は何か気になる内容はありましたか?」
理沙に訊かれ、拓実とベティは首を横に振って応えた。
「理沙さんは、何か?」
「生まれた日と、その頃に少しだけ──ちょっと見てください」
そう言って理沙は日記帳のページを捲ると、開いた状態で畳の上に置いた。拓実とベティはそれを覗き込む。
『午後四時頃、加奈子無事出産。初孫は娘。これで一安心。本当なら私がもっと幸せにしてやりたかったが、鈍臭いあの子には平凡な幸せが似合うのかもしれない。明日は孫の顔が見られる予定。楽しみだ』
『孫と初対面。どことなく加奈子の面影がある。正勝は横にいて恥ずかしくなるくらい喜んでいた。この子を天国に連れて行ってやれないかと、考えが
「そういえば、この『天国へ』って話のとき、
日記帳から顔を上げて拓実が言った。
「そういえば、確かにそうですね」
「女性にしか効果がない儀式とか?」
「ベティさん、そういう儀式ってあるんですか?」
「あり、あります、けど……これがそ、そういうたっ、類いのものかは……」
「その辺もちょっと気にして読んでみましょうか」
3人は再び、日記の続きを読み始めた。拓実は理沙が3歳、ベティは4歳、理沙は5歳のときの日記を読む。ベティはもしかしたらまだ生まれていない頃かも知れないが、拓実からするとすでに物心ついている時分だ。ところどころ懐かしく感じるニュースなども書かれていて、こんな状況にも関わらずついつい読むペースが遅くなる。
こうして読んでいると、だんだんと
しばらく黙々と読み進めていると、理沙が「ちょっと良いですか」と声を上げた。
「これ、見てください」
理沙は日記帳のページを開き、ある日の記述を指し示した。それはどうやら理沙の家族がお盆に帰省した3日間を記したもののようであった。
『
『今日も理沙と散歩。試しに『今なにか見えなかった?』『誰かいるような気がする?』などと訊いてみる。ほとんどは要領を得ない返事であったが、何度か理沙の方から『今何かいた気がする』などと言ってくれた。ああ天使様。理沙は天国へ行けるかも知れません。』
『もう少し泊まって行けと言ったが帰るという。仕事があるなら浩之だけ帰れば良いのに。次に理沙に会えるのは正月だろうか。時間が勿体ない。加奈子に頼むか? いや、昔からあの子はそういうものを一切信じない質だ。残念な娘だ。』
「どう、思いますか?」
理沙は暗い表情で、拓実とベティの顔を交互に見ながら言った。
「これは……理沙さんが薄っすら記憶にあると言っていた──?」
「たぶん、そうだと思います」
「ってことは少なくともこの先数年は同じような記述があるってことですかね」
「そ、そして、ある、ある時に、一度あき、あ、諦めたわ、わけですね……」
沈黙。拓実はベティの顔をちらっと覗いた。彼女は真剣な眼差しを、思案するかのように上に向けていた。いったい、何を考えているのだろうか。その視線がふいに部屋の隅へと向けられる。つられて拓実も同じ方へ目線を走らせたが何も視えない。
「それじゃあ──」口を開いたのは理沙だった。「私はこのまま自分が子供の頃の日記を読んでみます。おふたりは古い方の日記をお願い出来ますか?」
「わかりました」
拓実は古い日記が詰まった段ボールを引き寄せ、中を覗いた。ほんの少しの黴臭さと、古い紙の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
表紙には今から60年前の日付が記されていた。
「これって、いつ頃なんですかね?」
「いつ頃、と言いますと?」
理沙が首を傾げる。
「ああ、その、理沙さんのお母さんなんかはもう生まれてるんですかね?」
「ちょっとすみません」
日記を受け取り、理沙は表紙の日付を確認した。
「そうですね……母は今年59歳なので、妊娠中とか、その少し前かも知れません」
「なるほど。そういえばお祖母さんっておいくつで亡くなられたんですか?」
「93歳です」
「じゃあ60年前は33歳……伯父さんとお母さんは何歳差ですか?」
「10歳、だったと思います。伯父と母は、父親が違うんですよ」
「あっ、そうだったんですね」
「はい。私も知らなかったんですけど、こないだお祖母ちゃんのお葬式の時に知りました」
「ちなみにお祖父さんは、いつ亡くなられたんですか?」
「15年前に、確か80歳だったかな。お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも再婚だったらしいです」
「はぁ……すみません、変なこと聞いちゃって」
「いえ、全然。気にしないで下さい」
拓実は手元の日記へ目を落とした。
60年前。この日記を書いた喜江は33歳。理沙の母親である加奈子を妊娠中か、生まれたばかり。
加奈子の兄である勝治は9歳か10歳。やんちゃな盛りだろう。喜江と正勝は再婚だったと聞いたが、新しい父親との関係性はどのようなものだったのだろうか。
理沙の祖父、正勝は35歳くらいのはずだ。前の妻との間に子供はいたのだろうか。再婚したのがいつかはわからないが、おそらく加奈子は再婚して早々に出来た子供なのではないだろうか。当時の喜江は33歳、60年前には高齢出産といわれていた年齢である。
拓実はまるでタイムスリップするかのような気持ちで日記帳の表紙を開いた。埃っぽい匂いが鼻先をくすぐる。
そこには2ページにわたって、日記というよりは手記のようなものが書かれていた。
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