パレイドリア

幽霊が視える女

「悪いな時間作ってもらっちゃって。最近、忙しいんだろ?」


 乾杯してそのまま一気に飲み干したジョッキを、ドンとテーブルに叩きつけて伊東大貴いとうたいきはそう言った。口調は人懐っこいいつもの調子だったが、その眼はすでに酔っ払っているかのように何処か虚ろだった。


「ぼちぼちね。まあ気にすんなよ」


 嶋田拓実しまだたくみは下戸ではないが、あまり飲める方ではなかった。高校卒業以来会っていなかった大貴はそのことを知らない。拓実は大貴に気を遣わせないよう、キンキンに冷えたビールを一口舐めるように飲んで、そっとジョッキをテーブルに置いた。大事な話をするのに、酔いたくはなかった。


 2人は先週末の高校の同窓会で約20年ぶりに再会した。高校時代は特別仲が良かったわけではなかったが、実は大貴がオカルト好きで拓実の運営しているオカルト系YouTubeチャンネル『ヨモツヒラサカch』の大ファンであるという話になり意気投合した。しばらくホラー映画の話などで盛り上がっていたのだが、ふいに大貴が何か言いたげに口籠った。拓実がどうしたのか訊ねると、大貴は「実は悩んでいることがあるんだけど……オカルト系っていうか、なかなか相談出来る相手がいなくて」と重い口を開いた。拓実はそういうことであれば自分に相談してくれと返し、それで今日こうしてサシで飲むことになったのだった。


「それで、相談なんだけどさ……」


 おかわりのビールをタブレットで注文しながら、大貴は拓実の目を見ずに話し始めた。


「実は、うちの奥さんがさ……最近になって急に『幽霊が視えるようになった』って言い始めたんだよ」


「急に?」


「そう。うちの奥さん──理沙りさっていうんだけど──理沙は俺と一緒で、ホラー好きでさ。ホラー映画とか小説とか、そういうの一緒によく見るんだけど。霊感があるとか、リアルにそういうのが視えるとか、そんなのは今まで全然なかったんだ。それなのに急に……」


「急にって、いつ頃から?」


「先月くらいから」


「なんかその、前触れっていうの? その、徐々にじゃなくて、いきなり『バーン! ジャジャーン!』って視えるようになったわけ?」


「理沙が言うには特に前触れみたいのはなくて、うん、急に視えるようになったみたい。視えるっていってもその……ハハハ、その『バーン』ってんじゃなくて、ぼんやりと、みたいだけど」


 拓実の表現が面白かったのか、大貴は少し笑みを見せた。そして追加のビールをゴクゴクと飲み干していった。


「あのさ、そういうのって、あるわけ?」


「そういうの、って?」


「いきなり幽霊が視えるようになるのってさ」


「いやぁ……まあ、そういう話は怪談話とかじゃ聞くけど……」


「タクはさ、霊感とかないの?」


「ないない。あったらあんな活動してないって。逆に」


 ヨモツヒラサカchでは『幽霊を視る』ということを目的として、心霊スポットや曰く付きの場所へ訪れては撮影を行っている。それはつまり拓実に霊感がなく、どうにかして幽霊を視たいという熱い思いからくる活動であった。


「そっか。あれだけ心霊スポットに出入りしてたら霊感がついても良いようなもんだけどな」


「ホントだよ。でも……視える人なら知ってるけど、それはそれで大変そうだけどね」


「え? そういう視える系の知り合いいるの?」


「あ、そりゃ、まあ。多少は」


 拓実は結露したジョッキに手を伸ばし、炭酸がゆるくなり始めたビールを一口飲んだ。自分が相談にのる分にはいくらでも構わないが、ひとを紹介するのには少しだけ迷いがあった。知り合いの『視える人』たちは皆、どんな相談でも親身になって聞いてくれるタイプの人間ではあるが、だからこそひとを紹介するのには慎重になりたいと考えている。大貴は悪い人間ではないと確信しているが、なにせ付き合いには20年のブランクがある。さらにその奥さんについては全く面識がない。紹介するには、もう少し詳しく話を聞く必要があった。


「それで、その、奥さんとお前はどうしたいわけ?」


「そりゃ視えなくなりたい、ってかもとに戻りたいよ。かなりストレス感じてるみたいだし、俺だってそうなったら……お前だったら嬉しいのかも知れないけどさ」


「そりゃ、俺はね。あの、訊きづらいんだけどさ──」


「精神的なもの、もしくは、病気じゃないかってんだろ?」


「あ、うん、そう……」


「メンタルクリニックには受診してみたんだ。でも……少なくとも幽霊が視えるのは病気から来るものじゃない、と思う」


「思う」


「一応さ、鬱っぽいって診断されて薬は出たんだけどさ。そりゃ幽霊視えるようになってから精神的にもけっこう参っちゃってるから、診断が間違いとは言わないけど。でも鬱で幽霊が視えるようになったんじゃなくて、幽霊が視えるようになったから鬱になったんだよ」


「なるほどね。めっちゃわかった」


 大貴の目を見る限り、嘘や隠し事はないように思えた。拓実はそういう感だけは鋭い方と自負している。幽霊が視えるというのは妄想や狂言ではないと、少なくとも大貴は心から信じているようだった。それは『オカルト好きだから』なんて理由ではなく、奥さんへの深い愛情によるものだろう。


「なんかさ、こう『視える』以外に何か、困ってることはあるの?」


「いや、今のところは。ぼんやりと視える、ってだけみたい」


「声とか、何か聞こえる、みたいのは?」


「聞こえるとかは言ってないね、今のところ」


「なるほど……視えるようになる前に、例えば心霊スポットに行ったとか、そういうのは?」


「ないよ。あのさ、ホラー好きっていったって普通は心霊スポットに行ったりしないのよ。タクみたいのはホラー好きのうちのほんの一握りだから」


「確かに、まあそうか。じゃあ、なんか、呪物的なものとか──」


「ないってば。なんなら中古で買ったものとか、もらったものとかも直近ではないよ」


「うーん、そっかぁ……そうなると、うーん……何で急に視えるようになったのか……」


「なんか思いつかない?」


「そうだなぁ……あ、引っ越しとか、環境の変化は?」


「引っ越しはしてないけど……環境の変化、か……。最近、理沙のおばあちゃんが亡くなったな」


「いつ?」


「……先月」


「もしかしたらそれ──」


「いや、でも、俺も会ったことあるけど優しいおばあちゃんで、そんな、なんか……それに90過ぎの大往生って感じだぜ?」


「いや別に取り憑いてるとかそういうんじゃなくてさ、こう、人の死に触れて霊感が、みたいなこともあるかなって」


「そういうの、あるの?」


 拓実はオカルト好きではあるが、専門家ではない。『霊感を身につける方法』や『幽霊を視る方法』なんて話は山ほど聞いてきたが、あくまでも四方山話よもやまばなし。いくつかは試してみたこともあるが、結果はこの通りだ。奥さんが本当に、急に幽霊が視えるようになって困っているのであれば、やはり専門家に相談するしかないのだろう。


「うーん……ちょっとさ、聞いてみるよ。専門家に」


「ホントに?」


「うん。とりあえず聞いてみる。もしかしたらその、奥さんにも会ってもらうことになるかも知れないけど……」


「それは、もちろん。理沙にも言っとくよ。あ、でも……」


「どうした?」


「いや、その……お金、とか?」


「ああ」


 大貴の不安ももっともだ。普通の生活をしている人間からすれば、霊能力者なんて詐欺師やペテン師の類に感じるのだろう。


「俺が言うことでもないけど、大丈夫だよ。俺が知ってる人たちは、そういう人じゃないから。壺とかお札とか売りつけられるなんて絶対ないよ」


「そっか。なんか、ごめん」


「いや、わかるよ。とにかく俺に任せて。この件については、また連絡するよ」


「ありがとう」


 それから2人は20年の空白を埋めるように色々なことを話し、拓実も得意でないお酒をしたたか飲んだ。大貴が奥さんの写真を見せてくれたが、小柄で可愛らしい女性だった。事務員としてクリニックで働いているそうだ。子供はいないそうだが、酔った拓実にもその辺の事情を聞かない程度の理性は残っていた。

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