おじさん地方公務員、亡国を再興する。 ~敵国で出世した元教え子たちと0から始める国おこし~

天衣縫目

おじさん公務員と熱々のコーヒー①


 ――”いつもの場所”。


 広大な帝国の、その片隅の、片田舎の市役所。


 ぽつぽつと市民が行き来する玄関の、ちょうど真向いに位置する受付番号3番の席。


 そこが私の10年来の定位置だ。


 私はそんな”いつもの場所”で、通常業務である市民対応に、今日も変わらず励んでいる。


 老若男女さまざまな人々が行き交うこの場所で、私は長年、彼ら彼女らの健やかな人生のささやかなお手伝いが出来るように励んできた。


 私でなくてもきっと変わりはたくさんいるであろうこの仕事に、しかし私はやりがいと誇りを見出している。


 手の届く範囲の平和と安寧。それにわずかでも貢献できることは、人生の喜びだ。


 ――そう考えているうちにも、玄関から次から次へと市役所に入ってくる市民たち。


 業務の最中にも関わらず、私はわずかの間、集中力を欠いてしまい、そんな何気ない日常の風景に見惚れてしまっていた。


「ちょっと!?なによそ見なんてしてるのよッ!ちゃんと聞いているの!?」

「はぁ、すみません……」


 そんな私を𠮟りつけたお客様は、やや小太りの年配の女性。脂ぎった指にたくさんの指輪を付けて、やけに香水がきつい、そんなお客様だった。


 その彼女が突然、大声を張り上げたので私は驚いて姿勢を正す。


「だから、どういうつもりで配給品にパルバルなんて入れてるのって聞いているのよッ!」


 ――なるほど!


 この女性市民は地方の名産品、パルバルについて聞きたかったのか。そこで私はややテンションが上がり、嬉々として説明を始める。


「はい、パルバルはこのメリーベルの特産品での部分を取り除いて、塩ゆでして卵とじやお浸しで食べるととても美味しいんですよ」

「そういうことを聞いてるんじゃないわよッ!」


 おや、違う?じゃあ、どんな風に育つのか気になっているってことか!


「――でしたら生産農家をご案内いたしますね。このグリーフ市内でパルバルの生産農家は25軒もありまして、どの農家さんもパルバルの品質を良くするために様々な工夫を施していて……」

「違うわよッ!だから、どういうつもりであんな家畜のえさを、誇り高い帝国民の配給品に混ぜてるのって聞いてるのッ!!」


 ここで私ははたと気づいて、膝を打つ。


 なるほど、私はとんでもない誤解をしていたようだ。机の引き出しから私は必要な書類を取り出して、女性市民に差し出した。


「はっ、ようやく承知しました。

 

 配給制度の申請ですよね。

 

 でしたら、ここではなくて違う窓口の方になります。

 

 この用紙に必要事項をご記入いただけましたら、ご案内いたしますので、まずはこちらにどうぞ」

「どういう意味よッ!!私がそんな貧乏人に見えるのッ!?」

「……しかし、配給品に問題があるとおっしゃるので……」

「そういう話をしているんじゃないのよッ!どーなってるのよ、あなたッ!!」


 確かさっきまで配給制度がどうとかいう話をしていたから、てっきり彼女は帝国の困窮した市民のための配給制度を申し込みに来たと、そう思ったのだがまた勘違いだったようだ。


 何かが気に触ってしまったらしい女性市民は更に声を張り上げて、更に怒鳴り散らし始める。


 おや、これは困ってしまった。これではどういう用事で市役所に来られたかも聞き出すことが出来ない。


 まずはどうにかして落ち着いてもらわないと……。


 そうだ!――私はいいアイデアを思いついて、立ち上がった。


「少しお待ちいただいてもよろしいでしょうか?」

「ちょっと逃げるつもりッ!?」

「いえ、すぐに戻ってまいりますから……」


 さっさとしなさいよ、とさらにふんぞり返る女性市民を尻目に、私は給湯室に向かった。


 ちょうど早朝のフィールドワークの最中に、地元の農家さんからもらった取れたてのパルバルがカバンに入っている。


 最近、パルバルの新しい消費方法として、コーヒーが提案されている。


 私自身もお昼に試して、美味しい淹れ方を研究してみようと思っていたから、これはちょうどいい。


 きっとこの淹れたてコーヒーを飲めば、パルバルがどうしてこの地方で好まれているのか、女性市民も納得してくれるだろう。


 私は鼻歌を歌いながら、パルバルコーヒーを淹れて、そして席に戻った。


「お客様、お待たせしました。どうぞこちらをお飲みください」

「あら、コーヒーなんて気が利いてるじゃない」


 女性市民はカップを手に取り、そして口元に運んだ。


「はい、今朝取れたばかりの新鮮なパルバルで淹れてまいりました」


 その時、時間が止まった。


 ――ふざけんじゃないわよッ!!!


 その瞬間、女性市民がカップの中身を私にぶちまける。正確には俺の下半身にぶちまけた。なぜなら彼女は座っていて、私はその時まだ立ち上がっていたから。


 ズボンに熱い液体をぶっかけられた私は、


「あっちちちえええーーーッ!!!」


 役所中に響く声でそう叫んだ。


 ――その直後の話……


 ……おっとその前に、やや唐突なのは否めないが、申し訳ないがここで私に自己紹介の時間を与えてくれないだろうか?


 なぜいきなり――?そう思うのもよくわかる。


 しかしこれは今、まさに必要なことなんだ。なぜ必要なのか?それは、この物語の続きを読んでもらえば、間違いなく理解してもらえるはず……多分、そう。


 私の名前はトードー・アラタ。年齢は恥ずかしいので非公開だが、中年を迎えて久しいことは間違いない。


 体系はやせ形で、別に疲れてもいないのに目の下のクマが消えない。


 いまだに一人暮らしで家族はいない。


 趣味はフィールドワークで、このメリーベル地方に関する知識、例えば歴史とか、生態系とか、農業についてなどを調べること。


 これでも昔は学者をやっていた。


 今の職業は――


 帝国領に編入された後にグリーフ市と名前を変えた、このメリーベルに生まれ、メリーベルを愛し、メリーベルに骨をうずめるつもりの


 ――ただの地方公務員だ。


 メリーベルが帝国領となった後、私はこの地方の公僕として10年以上、真面目に務めてきた。


 もちろん無遅刻、無欠勤。ましてや不祥事など一度も起こしたことはない。


 だから本当なんだ。頼むから信じてくれ。


 私は、決してなどではないんだ。


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