「こんにちは、芳樹くん。今日は来ていただいてありがとうございます」

「いえ、僕も貴方と話がしたかったので」

「おや、それはうれしいな。少しは興味を持っていただけましたか?」

 高級なフレンチのフルコースを堪能しながら、嬉しそうに微笑む高橋を見る。フレンチの店へ招待されたときは、予想を裏切らない行動に少しだけ笑ってしまった。

 フルコースを食べることはもちろん、そもそもマナーを必要とする場所に来たのも初めてで戸惑っていると、高橋はマナーよりも楽しんで食べるようにと言って来た。

 そんな卒のなさに腹が立って見聞きして知っている程度のマナーを駆使していると、高橋は少し苦笑して、優しく教えてくれた。

 そんな気遣いができるところも、気に食わない。

 けれどそれは、マイナスの感情ではなかった。コンプレックスを刺激されるけれど、吹っ切れた部分があるせいだ。

 いろいろ気にしすぎるのはやめようと思ったのだ。自分は自分でしかなく、誰かになることはできない。気にするだけ無駄で、自分らしさを推し進めてもし誰にも好かれないようなら、それはそれで仕方がないと開き直ろうと思った。少なくとも街は、僕を受け入れてくれてるのだから。

「正直、僕は貴方が好きではないです」

「……そう、ですか」

 きっぱりと告げた言葉に、高橋は困ったように笑う。残念だけれど、それを僕に感じさせないようにと気遣っている顔。その目論見は失敗している。失敗するくらいには、僕の言葉に衝撃を受けたようだ。

 その事実に少しだけ安心したのは、いったい何故だろう。

 自分にも分からない心の動きに少しだけ戸惑いつつ、努めて感情を出さないように、続ける。

「でも、嫌いでもない」

「……どういう意味ですか?」

「僕は、貴方を知りたいと思いました。それは多分、僕が苦手だと感じていたタイプだから。苦手だと感じていたけれど、それは僕の勝手な思いで、貴方自身を知っているわけじゃないんです。僕は、知らないくせに結論を急ぐのは嫌いです。だから、貴方をもっと知って、そのうえで色々と決めたい。だから」

 僕は一度、そこで言葉を区切る。自分を好きだと言ってくれる相手には、もうしかしたら失礼な言葉かもしれない。逆に希望となる言葉かもしれない。

 ゆっくりと高橋の碧い瞳を見つめながら、僕は言葉を紡いだ。

「友達じゃ、駄目ですか?」

「え?」

「僕は、恋愛って何かわからなくなりました。好きだと思って付き合っていた相手と別れた時、未練が無かった。彼が浮気してたときも、別にそれでいいと思っていた。我慢していたわけじゃなくて、本当に気にしていなかったんです。ふと振り返れば、本当に彼を好きだったのかわからない。今の僕には恋愛がわかりません。だから、僕が貴方に好印象を持っていたとしても、恋愛には発展できない」

 でも、友達ならば。友達ならばそういうのを抜きにして、付き合っていける。もうしかしたら、それが恋愛に発展することもあるかもしれないし、無いかもしれない。僕は彼が知りたいけれど、それは好意ではなくどちらかといえば好奇心。ジャズについて調べざるを得なかったのと変わらない。

 そう告げると、彼は思案するように顔を伏せた。

 これは一種の賭けだ。賭けをしているのは、高橋一人。僕にとってはどちらに転んだとしても痛手は無いけれど、もし僕が彼に恋愛感情を持たなければ、彼にとって僕と友人であるメリットは無い。

 そう、無いのだ。彼にしてみれば、僕と付き合える保証がないのなら、友人になる意味は無い。彼は僕と友人になりたいのではなく、恋人になりたいのだから。

 少しだけ、空しい気持ちになる。友人になるのに、メリットデメリットというのはどこまで関係があるのだろうか。少なくともそういうものを取っ払った関係というのもあるはずだ。僕は彼と、その関係になることはできないのだろうか。

 僕は彼が、恋愛というものを抜きにしても僕とこれからも付き合っていきたいと言ってくれることを願って、返事を待った。

「恋人になりたい。それは変わらない。でも、君とどんな形であれ関わりが持てるというのなら、友人でも構いません。私が、絶対に振り向かせます」

「振り向かなかったら? 僕と友人関係を続ける意味が無いです。絶対に貴方を好きにならない保証はないけれど、好きになる確率だって高くないかもしれません」

「友人になるのに、意味なんていりますか? 私が君とともにいたいと感じている、それだけで十分なんです。だから、君は私を試すようなことはしないで、安心して私に好かれていてください」

 向かい合わせでそう近くはない距離を物ともせず、長い腕が僕の頭へ近づいた。そして、ポンっと叩かれる。

 彼の言葉でホッとした半面、ああやはり、という思いが僕をよぎる。

 彼は僕の欲しい言葉を言ってくれたのだ。僕がそう望んでいたから。多分彼の言葉に嘘は無いだろう。でも、僕がもし違う言葉を望んでいたら、彼はそのように言ったのだろうと思う。もちろん、本心で。

 つまり、彼にとって僕の意地なんて張っていても仕方ないものでしかないらしい。

 望むタイミングで望む言葉をくれるのが彼の性格なのか、考えたうえでのものなのかは分からないけれど、どちらにせよ僕には出来ない芸当である。

 ああ、羨ましい。ずるい。僕は嘘も下手で空気もそんな読める方でもないし相手が望む言葉をあげることだってできない。嫉妬もしたくなるものだ。

「せいぜい、僕を惚れさせてみせてください」

 強気にそう言えば、彼は穏やかな表情で「わかりました、覚悟していてくださいね」と答えた。



「あら、芳樹。今日もおでかけ?」

「うん、高島さんとこ。遅くならないようにするから」

「いいのよ、遅くなっても。どうせ明日も休みだし、泊まってきたっていいのよ?」

「あー、泊まらないよ。僕も自分の身が可愛いし」

「え?」

「なんでもない。遅くなるようだったら連絡するね。それじゃあ、行ってきます」

 母の「行ってらっしゃい」の声を背中に受けて、僕は外へと繰り出した。今日もすこぶる快晴である。

 あれから僕は、高島のもとへと足しげく通っている。

 とはいっても、別に恋人だからではない。彼にはいろいろなことを教えてもらっているのだ。

 高島は某有名国立大学法学部を卒業して司法試験も現役合格という快挙を果たし、それに飽き足らず医学部に入りなおして医師免許も取得しているという意味が分からない経歴を持っている、本物の天才だった。年齢は俺より7つ上の32歳。会社は親が持っている会社で、本当は二つ上の兄が継ぐ予定なのだが海外支部でなにやらやっているらしく、その間の運営を任されているらしい。

 そんな彼との話はもっぱら音楽の話だ。義雄さんと話して以来、音楽を知るというのも悪いものではないと思え、博識の彼の知識を譲り受けている。

 高島は音楽が好きなわけでは無く、聞く曲は多岐にわたり、もともとの凝り性な一面が発揮されて調べるうちに自然と知っていったらしい。彼の話は分かりやすいけれどやはり聞いていても一朝一夕で分かる感覚ではなく、まあいずれ身に付けばいいかな程度で教わっている。

「はい、じゃあ問題。R&Bはどういうものかな」

「えーっと、たしか、ジャズとかブルースとかゴスペルの発展形で、黒人が楽しんで踊れる曲、黒人のための音楽として誕生したやつ。エイトビートとかってR&Bだよね」

「じゃあ、それの影響が見られるのは?」

「ロックンロール。 エイトビートとか、シャッフルとかスイングのビートとかのコード進行を応用して、カントリーミュージックを合わせた音楽。ここら辺の線引きって分からないんだよね」

「そうだね、本場の人でも難しいみたいだ。エルヴィスプレスリーなんかはまさにロックンロールの代表歌手だね」

 そう言いながら、エルヴィスプレスリーの『Jailhouse Rock』を流す。

 ノリがいい曲は、確かにロックの代表歌手グループのビートルズとは少し違う印象を受ける。ビートルズはエルヴィスプレスリーに影響を受けているようで、ブルース色は薄めだ。

 ロックはロックンロールと少し違い、ジャズやクラシックの影響も受けているらしい。正直ロックンロールとロックは、エルヴィスプレスリーとビートルズと言われると曲調の違いは分かるけれど、それ以外でも多様化していてあまり区別がつかない。

 聞けばなんとなくそうかなという感じがする程度だ。

 ちなみに僕は、ビートルズなら『Let it be』などのしっとりとした曲も良いとは思うけれど、『Hey jude』のように淡々とした曲も結構好きである。

「今日はフォークソングを聞こうか」

「フォークソングって、どういうやつ?」

「民謡っぽい民族的な音楽かな。ゆったりとしてたり明るかったりするね。内容は結構メッセージ性が強くて、社会性があったりする。ウディ・ガスリーなんかは社会主義的なメッセージが強かったりするよ」

「アメリカの音楽って、曲調と歌詞が一致しないよね。民謡なのに社会派なんだ」

「たしかに、日本のイメージだとふるさとの音楽に社会的なメッセージを加えてるみたいな感じになるかもしれないね。でも、実際はたぶんあくまでも民謡的なだけで、実際の民謡とは違うんじゃないかな」

 俺もよくわからないんだけどね、と苦笑する高島。日本人には分からない感覚でも、きっと向こうの人には通じるのだろうと思うと、やはり育った国の違いというのは大きいものだと実感する。

 エルヴィスプレスリーのノリのいい曲から一転、どこか懐かしい、カントリーミュージックのような、けれどやはり少し違うリズムのフォークソングに耳を傾けながら、高島が入れてくれたココアに口を付ける。

 甘い。温かい。落ち着く。

 ホッと一息吐けば、日ごろの緊張を忘れられるような気がした。

「あとは、そうだな、サイケデリック・ロックとかは知ってる?」

「初めて聞いた」

 ロックにも多く種類があるとは思っていたけれど、とりあえず「ロック」と付ければいいと思っているのではないかと思える細かさだ。というより、便宜的に区分けしてるけどその限りじゃないよ、という例外の多い分類の仕方のような。

 無理して分類しなくてもいいじゃないか、と思うけれど、やはりそうも行かないらしい。日本人だって、演歌と民謡を一緒にされたらあまり良い気はしないだろう。そこまでの差は無いにしろ、それぞれのミュージシャンが違う音楽ジャンルをやっている自負があるだろうから、仕方ないのかもしれない。

「サイケデリック・ロックというのは、社会とか政治、思想、文学とかのいろいろな文化活動の時代背景が大きく関わってくるんだ。1960年代のアメリカっていうのは、社会変動や価値観の転換などのせいで反動勢力と衝突しててね。その揺らぐ価値観の中で社会は混乱していた。そんななかヒッピーっていうのが現れる。彼らは真理や寛大さ、平和、愛、寛容さなどを信じていた。そんなヒッピー文化に関連づいて、サイケデリック・ロックがあるんだ」

 サイケデリック・ロックはヴィジュアル的にカラフルで、精神的に冒険的。サイケデリックはもともとドラッグによる幻覚をロックとして起こしたものだったという。

 今までのロックやロックンロールとは少し違うのがなんとなくわかる。

 ロック繋がりでもう一つ、と高橋が次に出したジャンルがグラム・ロック。たしかにロックと付いているけれど、音楽的に「これだ」という特徴はないらしい。ただ、両性具有的なメイク・アップだったり、ショー的な要素があったりするもので演劇性が強いのが特徴なのだとか。R&Bから派生し、ヒッピー文化で一度すたれたショーの要素が復活した感じなのだとか。

 のちのパンクに繋がる面もあり、へヴィ・メタルにもつながるらしい。

 なるほど、さっぱり分からない。

 歌詞はラブ&ピースを否定したもので、退廃的であり、ディスコ文化に繋がっていく一面もあるようだ。

 音楽を聞いていくと、さまざまな音楽がさまざまな形で影響しあって生まれているのが分かる。それにしたって、こうも数が多いと頭が混乱してしまいそうだ。

 義雄さんは今の時代の子供たちを羨ましいと言ったけれど、まだそこまで音楽に幅の無かった昔の時代の方が一つ一つの音楽をもっと楽しめたのではないかと疑ってしまう。選択肢が多いというのは、どうも一つ一つの音楽を深める機会が減るような気がする。

「とりあえず、ここまで。遅くなる前に帰った方が良いよ」

「うん、そうする」

「それじゃあ、また来週」

「お邪魔しました」

 お昼ごろに家に来たけれど、気付けばもう夜もすっかり更けていた。音楽の話だけをしたわけでは無いが、ほとんど音楽の話ばかりで時間をつぶしている気がする。

 しかし、そんなのも嫌ではないのだから不思議だ。

 僕はいいのだけれど、彼は僕と一緒にいて楽しいのか不思議に思う。

 彼が僕を好きなのは、視線で分かる。例えばふとしたときに僕の唇を見る。僕が笑えば、照れたように微笑むこともある。嬉しそうな表情を見せることもある。

 けれど、僕が好意を向け続けられるだけの何かを持っているとは到底思えない。それなのに、高島はまだ僕を好きでいるらしい。

 そういえば、彼が僕の好きなところを聞いたことが無いな。

 今度聞いてみよう、と思いながら、いつも通りの帰路を歩いた。

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