プロジェクト Power Code

一潟紅黎

第1話 異世界転生

 「――力が欲しいか……」

 聞き慣れない声がする。

意識はあまり定かではない。体が宙に浮いているようだ。

痛みも感じていない。これだけ殴られているのに。


 「力が欲しいか!!」

 俺はこれを知っている。

いや、俺は知らない。……が、俺が知っている。

夢のような体験は、途切れそうな意識の走馬灯ではない。


 「力が欲しいならくれてやろう!!」

 そうか、あの漫画の。

冒頭から引き込まれ、一気に読みふけった作品。

漫画とはなんだ。この世界ではそんなものは聞いたことは無い。

存在しない。漫画などという、あの質感も物語も無い。

挿絵も無く、インクが滲む本が、俺の教科書だ。

それでも知っている。漫画をいくつも持っている。


兄は、いつも通り笑っている。


 「力が欲しい!!」

 そう、理不尽に俺を殴るこのクズを。

せめてこいつに負けない力が欲しい。

父はどうせこいつを咎めない。この暴力に抗うための力。

魔獣のような力でも、魔法でも念でも、人類最強の力でもいい。


 それはなんだ。

俺が思い描いたものは、この世界には無い。

そうか、これは思い出なんだ。

思い出してきた。


 断片的だったものが、俺の中へと戻ってくる。

記憶が蘇ってきた。全てが一つに繋がって行く。

俺の思い出も、俺の記憶も。


 俺は、アリスター・ヴァルド・エルディア。

エルディア伯爵家の第5子。そして日本の会社員でプログラマー。

昨日は筋トレをして、好きな漫画を読み返して寝た。

そして、起きてから兄の手伝いをやらされていた。

不満を持ちながら手伝い、兄の失敗を周囲があざけり、そして俺はいつも通り殴られた。

 俺は今年32歳で、俺は今年5歳だ。

ここから俺の思い出と、俺の記憶を持った俺が始まる。


 アリスター・ヴァルド・エルディア。

筋トレが趣味で、バトル漫画好き。

地上最強の生物に憧れ、拳で地面を割ることを目標にし、獰猛な魔獣を夢見た。

そんな男の思い出を持った、俺の物語である。




 リュクス・ヴァルド。

ヴァルデリア王国、トルナード侯爵領。


 侯爵領の中では三大都市の一つとして数えられ、街にはかの有名な”第二近衛騎士団”が置かれている。

城壁に囲まれ、郊外には第二近衛騎士団訓練所として、大規模な建造物がそびえ立っていた。


 整然とした街並みは、住民区、商業区、農業区、貴族街と美しく区画されている。

日差しは穏やかに差し込み、街はいつもと変わらず動いていた。


 郊外の第二近衛騎士団訓練所からは、今日も複数の掛け声と剣戟が響く。

ここに所属する者は、指導者のもとで厳しい訓練を積んでいる。


 据え付けられた丸太を木剣で打ち付ける者、砂袋に拳を叩き込む者。

互いに木剣を構えて向かい合い、ぎこちない剣を交わす者。

二人の青年は、何度も手直しされた古びた防具を着込んでいた。


 周囲では、防具すら着られない少年少女たちが、擦り切れた一張羅で訓練に挑んでいる。

さらに幼い子どもたちは、訓練の様子を見守りながら、拙い手つきで雑用をこなしていた。


 リュクス・ヴァルド郊外。

難民と移民、そして街に居られなくなった者たちが流れ着く場所。

街の人間は誰一人寄り付くことの無かった第二近衛騎士団訓練所を中心にして、広がる無秩序なスラム街があった。


 長年使われることが無かったこの場所は、スラム街の一勢力が占拠し、その勢力の訓練所として活用されていたのだった。



 腕を組み、訓練を見守る青年が一人。

若々しさを残しながらも、すでに成熟した顔立ち。短く切りそろえた黒髪に、意志の強い眉。

スラム街とは思えないほどに身なりの整った服を着こなしている。

 白いシャツの襟元から伸びる首は太く力強い。

体にぴったりと合った上着の下、隠しきれないほど逞しい腕が覗く。


 アリスター・ヴァルド・エルディア。

あの日、すべての記憶を取り戻してから13年。

訓練と探求を欠かすことの無かった少年は、

静かに子どもたちの訓練を見守っていた。



 「たいへんだあ~!!」

訓練場に響き渡る声に、みんなの動きが少し止まる。

 すぐに訓練が再開されたのは、その声の主がアリスターに向けてまっすぐ走っていたからだ。


息を切らした少年が、アリスターの前で足を止める。


 「レックスが違法レースの!!

 人さらいに捕まって。それでっ、大変なんだ!!」


 少年は呼吸も整える暇もなく、見たままをそのまま叫んだ。


 「まあ落ち着け。

 レックスの奴が捕まった?

 ……あのバカ野郎。俺に黙ってやりやがったのか」

 

 アリスターは少年の肩に手を置き、悔しそうに口をゆがませた。


 「それでアリスター。

 あんたどうする気なの?」


 壁に寄りかかっていた女性が声を上げる。

浅黒いフード付きの外套。目立たない土色の髪、切れ長で意志の強い眼差し。

アリスターと同じように腕を組んでいた女性は、壁から体を離してアリスターへと歩み寄る。


 「リア。違法レースといえば、毎回のように移民難民の死人が出てる悪名高い賭けレースだ。

 そんなところに連れ去られた仲間を、見捨てるわけにはいかない!」


 アリスターは芝居がかった動作で声を張った。


 リアと呼ばれた女性の表情が変わる。

眉をひそめ、溜息まじりに腕を組みなおした。


 「それで。本音は?」


 アリスターはその指摘にひるむことなく言葉を返す。


 「レックスは大切な仲間だ。助けに行くのは当たり前だろう!」


 「そういうのいいから。本音!」


 リアは声に怒気を付け足して、もう一度問い詰めた。


 「あの野郎……。違法レースといえば魔獣と戦える良い機会じゃねえか。

 俺はやりすぎて有名になりすぎて、さらわれもしねえってのに!」


 アリスターは拳を握りしめて言葉を続ける。


 「レックスが乗り込んだってことは、必ず何か起きる。

 助けるという口実さえあれば、乗り込んで魔獣と戦うことだって出来るはずだ!」


 リアは絶句した。

わかっていた。想像していた回答と何も違わないことに絶句していた。


 「行くんでしょ。わたしも行くから。

 こんなくだらないこと、さっさと終わらせましょう」



 止める意味がないことは、もう分かっている。

どうせ理由をつけて行く――そんなの、これまで何度も見てきた。

だから私は、こういう時はついていくことにしている。


 こんな街の近くで捕まえられた魔獣ごときで、アリスターが傷つく姿なんて想像できない。


 私と同じ程度しか身体強化魔法が使えないレックスですら、たぶん負けない。

身体強化魔法を極めたと言う、おじい様よりきっと強い。


 アリスターの強さの秘密。

どれだけ知っても、どれだけ見ても、理解できる気がしない。


 そんなことを考えながら、私はその大きな背中を追いかけてスラム街を走っていく。




 違法レース会場。

会場といっても、立派な施設があるわけではない。

違法建築物が密集し、マフィアの拠点となって久しく、人の寄り付かなくなった区画の一つだ。


 粗雑な囲いで魔獣が逃げないように押さえつけ、レースが成立するようかろうじて道だけを作る。

観戦者から死者が出ても、熱狂は止まらない。


 食い殺される難民も、隣の観戦者が引き裂かれるさまも、ここでは等しく娯楽。

今日に限っては、引き裂かれているのが“魔獣の方”である。


 金と茶の混じったトサカを天に掲げ、少年は声を荒げる。


 「弱ええ!」


その叫びとともに殴りつけられた狼が、地面を転がった。

群れの一匹が風を操り、仲間を援護するよう突風を巻き起こす。


 激しい風が少年に襲いかかる。

踏ん張って耐える少年のトサカが大きく揺れた。


 その様子を見た狼が少年へと飛び掛かり、細く鍛えられたしなやかな腕へと牙を向ける。

少年の鋭い目は、狼の牙の行く末を確かに捉えていた。


 ガブリッ!


 ボロ布のような服を貫き、狼の牙は肉を割く。

血が滴り落ちて、少年の顔がゆがむ。


 「クッ!!」


 ゆがんだその顔は、痛みによるものというか悔しい表情をしている。


 「俺じゃあ牙が通っちまう!」


 そう叫びながら、空いた腕で狼を殴りつける。


 「兄貴なら、こんなもん通るわけねえんだ!!」


 その場の誰にも理解できず、少年の叫びは空へと溶けていった。




 「出せ!!」

 声とともに、歓声が上がる。


 「さあ!お待たせしました。

 ここからがメインイベントとなります!」


 違法レースを盛り上げるため、実況担当が声を張り上げた。


 通路の奥から、岩の塊のような影がゆっくりと現れる。

緑の鱗と鋭い牙を持つ、大型のトカゲ――。


 狼どもは怯え始め、通路の影へと逃げていく。


 「おい、やべえぞアレ」

 

 「嘘だろ。ドラゴンじゃねえのかアレ」


 観戦者がざわつく。

実況はその反応に口元をゆがませ、もう一度観客を煽る。


 「さあここから賭けの受付だ!

 愚かにもレースに乗りこめると思ったバカ。

 バカガキとドラゴンのレースが、今日のメインイベントだ!!」


 ドラゴンは重量感のある足取りで、少年に向かって歩み寄る。


 「さあ!死ぬまでのタイムやいかに!!」


 観客の盛り上がりは最高潮に達し、賭札が飛ぶ。


 「……これ、やべえか」

 少年は、今日初めて後ずさり、身構えた。


 ドラゴンと目が合う。

――獲物だ。

――俺は食われる側だ。


 少年の直感は、死を想起させた。


 ドラゴンはその恐怖を察してか、獲物に向かって走り出す。


 ドガンッ!!


 大きな衝撃音と砂煙が視界を遮る。

ドラゴンと何かが激突した。


 それは俺ではない。

……この背中を、俺は知っている。


 「よおレックス。面白そうなことになってるじゃねえか」


ドラゴンと衝突したのはアリスター。


 「兄貴!!」


 歓喜の声と共に、アリスターを見る。


 大きく開けたドラゴンの口と、その牙を片腕で掴んだまま――

アリスターは爽やかに笑っていた。


 アリスターの体躯の3倍はあろうかという巨大なドラゴンが、

片腕だけで完全に静止させられ、地面を踏ん張っている。


 ドラゴンは不機嫌に鼻を鳴らし、振りほどこうと首を振る。

それを受けても、アリスターの腕は動かない。

動くのはドラゴンの首。肉から外れそうな牙が揺れて、ドラゴンの血が牙をつたう。


 振りほどくことができないドラゴンは、さらに怒りを込めて唸り声を上げた。


 「これはアレだよな。ドラゴン。

  いるとは聞いてたんだけど、本当ファンタジーでおもしれえ」


 アリスターが声をはずませて笑いかける。

怒気を帯びたドラゴンは、大きく息を吸い込み──


 ゴギンッ!!


 大きな音と叫び声。

ドラゴンの牙が乱暴に折り取られ、顔は地面へと叩きつけられていた。


 「お前やっぱり火を吹けるんだな。

 ここでそれをさせるわけにもいかねえんだ。

 お前がもし飼えるんだったらさ、

 ファイアブレスの仕組みも調べられるんだけどな」

  

 野生は勝てない戦いをしない。

ドラゴンは力の差を本能的に感じ取り、後ずさりしながら怯える。


 「う~ん。

 これじゃあ猫みたいなもんだ。

 懐く……って感じでもなさそうだな」


 ―猫?

 人間の3倍はある大トカゲが? 


 そんなわけはなかった。

観客席はどよめき、実況は仕事を忘れて絶句している。


 痛みと恐怖でわけのわからなくなったドラゴンは、狼と同じように通路の隅で縮こまる。

狼を回収していた魔獣の調教者達は、手に持つ道具でドラゴンを眠らせる。


 「えーっ、終了!!

 終了します!

 こちらは乱入者あり!!

 賭けは、本レースは無効です!!」


 仕事を取り戻した実況の叫び声が響く。

観客はどよめき、不満を漏らす。

だが賭けの無効より、目の前で起こった出来事への理解が追いつかず、奇妙な沈黙が生まれていた。


 「じゃあ、フェルディナンド。

 俺は帰るわ」


 そう言うと、アリスターは折れた牙を投げ捨て歩き出す。

レックスはその背に付き従い、感嘆の声を上げていた。



 一人、リアだけが観客席から様子をうかがっている。


――これが……身体強化魔法?


 魔道具すら使っていないのは、もういいわ。

問題はそこじゃない。


 自己演算。

自分の魔力だけで魔法を制御する危険な方法。

負荷が高すぎて、普通は”死ぬ”って教わったわ。


 なのに、あいつは自己演算で。

魔道具を使ったおじい様以上の出力を出している。

理屈がわかんないわ、ほんと。


 少なくとも……アリスターはドラゴンより強い。

猫だもんね。そんな可愛いものじゃないんだけど。

身体強化魔法は補助魔法よ、弱いと言われて、普通は誰も習得しない。

うちの家系では、鍛え抜いた身体に“最後の一押し”として使うのが秘伝。


 でもアリスターは常時発動。

寝てる時さえ強化が切れてないってどういうことなのよ。


……もういいわ。

あいつと出会ってから、私の魔法の常識なんて粉砕されたまま。

諦めの息をひとつついて、私は観客席から静かに姿を消した。


 賭けレースは中止され、返金を求める観客が主催者たちを取り囲んでいた。




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