王女の朝


――現王統治の第20年6月9日、快晴。わたくしたちは開墾を続ける傍ら、民の腹を満たす方策を考えておりました。



 頬をツンツンとつつかれて目が覚めます。枕元ではスイィが口腕を器用に使い、わたくしの頬をピトピトとつついていました。一日の始まりです。


 スイィの足元には文字が浮かんでいます。昨日、わたくしが発動した【ファンクション】スキルです。



```csharp


public async Task スイちゃん目覚ましのお手(SwiboContext context, CancellationToken cancellationToken)

{

await Task.Delay(TimeSpan.FromHours(8), cancellationToken);


var swibo = await context.Swibos.FindByNameAsync("スイィ", cancellationToken);

await swibo.SummonAsync(cancellationToken);


if (swibo is not SwiboBot bot)

{

return;

}


while (!cancellationToken.IsCancellationRequested)

{

await bot.PressAsync(cancellationToken);

await Task.Delay(TimeSpan.FromSeconds(3), cancellationToken);

}

}


```



「スキル【ファンクション】キャンセル」


 そう言うと、文字がフワリと消えました。


 大きく伸びをして、目を擦りながら、スイィに幻素水晶エーテルクリスタルを与えます。嬉しそうに飛びつくスイィを見ていると、わたくしも幸せな気分になります。


 カーテンを開け、身体一杯に朝日を浴びながら、再び大きな伸びをしました。隣ではスイィがすいすいと空中を泳ぎ、わたくしの真似をしてか、口腕を縦に伸ばしています。


「ぽ~ふぃ!」


 昨夜に暖炉で煮沸したお湯は、すっかり冷水です。その水で顔を洗い、口をゆすぎます。王宮で暮らす最大のメリットは私室に排水口があることです。これぞ文明です。


 しかし……。


「……侍女は今日も来ませんねぇ」

「ぽふぃ~」


 わたくしが鏡台の前に腰掛けると、スイィがブラシをちょこんと押し出しました。


「ありがとうございます、スイちゃん」


 わたくしは、微笑んでブラシを受け取ります。


 鏡に映るのは、お母様譲りのぱっちりとした金色の瞳。お父様ゆずりの太い眉。王家の血筋に希に生まれるという、このピンクがかったミディアムヘアを梳きながら、色々な思いが脳裏を過ります。


 この珍しい髪色を気味悪がられることもありますが、侍女達が来ないのは、それが原因ではありません。


 ……分かっています。


 この王宮にいる侍女達は、忠誠心ではなく権力や見栄、そして富のためにここにいるのです。王女であるわたくしに対し「モブピンク姫」などと陰口を叩くのですから、底が知れています。


 けれど、わたくしが期待外れの存在であることもまた事実です。


「ステータスオープン」


――スキル【ファンクション】 

――ランク:null


 Aランクスキルを期待されていたわたくしが、この謎のノーランクスキルです。


 本来であれば、王女の人生は実にシンプルです。外国の王族に嫁ぐか、国内の公爵家に嫁ぐか、仕方なしに従兄弟あたりと結婚するかの三択です。しかし、ノーランクスキルでは子爵家や男爵家、いえむしろ平民の家に嫁がなければスキルランクが釣り合いません。ですが、王女のわたくしでは、たとえランクが釣り合っても、家柄が釣り合わないのです。よって、わたくしは、生まれたそのときから人生を脱線してしまったのでした。


 出世しない王女より、あれでも王太子のお兄様に媚を売るほうが良いのでしょう。この十五年の人生で、侍女達にまともに相手にされた記憶がありません。自ら宮中ドレスのコルセットを締めることにも、すっかり慣れてしまいました。


 けれど、わたくしはこの穏やかな生活に満足しています。それ以上何を求めるというのでしょうか。結婚も出世も要りません。ただ一つ、気がかりなことがあるとすれば――。


「ぽふぃ?」

「このまま、わたくしは民のために何も成し遂げず、ただのお荷物として人生を終えてしまうのでしょうか」

「ぽふぃ! ぽ~ふぃ!」

「励ましてくれているのですか?」

「ぽふぃ♪」

「ありがとうございます、スイちゃん」

「ぽふぃ~」


 スイィは、わたくしに頬ずりします。こんなに可愛いスイィが応援してくれているのです。わたくしも頑張らなければなりません。


「では、スイちゃん。参りましょう」

「ぽふぃ♪」


 姿見で最終確認し、朝食に向かうことにしました。


 その時でした。


「あ~腹減った。あ! おはよー、王女様」


 背後から軽薄な声が聞こえます。振り向くと、ボサボサの髪で、腹をボリボリと掻きながら接近してくる女がいます。そうでした、こいつがいたのでした。



 さて、朝食はどのようなときも一家揃って取ることが我が家のルールです。


「お父様。今日からはエイヤも出席させます。家族ですので」


 お兄様は一瞬、目を泳がせた後、怨めしそうにわたくしを睨みます。


 一方、お父様は怪訝そうに口髭を撫でました。


「……何という身なりなのだ」


 やはりそこが気になりますか。


 仕方ないのです。エイヤがコルセットを嫌だと言うのですから。


 ……まあ、彼女には夜会用のドレスしかなく、着る物がないというのもあるのですが。


「本日はこの後すぐ、エイヤとともに御前菜園に参りますので」


 そう。わたくし達は王宮庭師見習いの作業着を着用していたのです。歴代の宮廷庭師は男性ばかり。故にこれも男装です。


 ちなみに、王宮のドレスコードには「宮廷の御苑に於いて園芸及び諸々の務めに携はる者、必ずや庭師の装束を纏ふべし」とあり、王女を例外とする規定はありません。


 しかし、お父様は何かを言いたげです。お母様はすました顔で紅茶を飲んでおり、こちらに加勢するつもりはないようです。


「スイちゃん」

「ぽっふぃ!」


 わたくしが呼ぶと、くるりと舞うようにスイィが顕現しました。


「スイちゃんも一緒に朝ご飯食べましょうね」

「ぽふぃ♪」


 嬉しそうに傘をパタパタとさせるスイィ。


 すると、お父様もお兄様も席を立ち、半身を引きました。


「うわあ! そんな、お、恐ろしいものを出すでない!」

「く、クラ、クラゲ!?」


 二人して青ざめた顔で震え上がりました。


「スイちゃんもわたくしの家族です。ね、スイちゃん」

「ぽふぃ~♪」


 スイィはわたくしに頬ずりしました。こんなに可愛いのに、どうしてお父様もお兄様も怖がるのでしょうか。わけがわかりません。


 侍女やメイド達がエイヤの席を用意し終えたので、わたくしたちは食卓に着きます。


 運ばれてくるのは、新鮮な野菜や高級な白パン、そして鮮やかな果実。民が飢えている時にもかかわらず、王宮の食事はいつもと変わりません。王宮には備蓄があるだけでなく、通常の購買ルートの他に、借り上げた御用商会の荷馬車をコスト度外視の予備ルートで運搬しているからです。しかし、王都の民十万人に届けるには物量が足りません。


 スイィには飴玉サイズの幻素水晶エーテルクリスタルを用意します。


「それではいただきましょう」


 こうして、わたくしたちは朝食のひとときを過ごしたのでした。

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