2025年備忘録
珈琲
一月
あけましておめでとうございます。
フライングしたみたいになってますが一月から書くので致し方なし。
書いてる時期から考えて一月の記憶なんてねぇよって思いながら書きます。
これが本当の備忘録の書き方だ。確と読め。
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三が日明けでいきなり塾のバイト四連勤だったことを覚えている。
「ねっむ……なんで三が日にバイトなんか」
実家から下宿先へ、早々に戻り三が日にバイト。
しかしながらまだ模試の試験監督であったため塾長を許した。許していないけど。
朝っぱらから教室の扉を開放すると、高校受験を控える中学生たちが次々とやってくる。
「おっ、先生だ。おはよー」
「はいはいおはよう。受験票とって適当に座りな」
「うわっ、テキトー」
「塾長いないからいいんだよ」
既知の生徒から様々な挨拶が寄越されて、案内する。
「あけましておめでとうございます」「今日何時からだっけ」「先生暇なの」「暇じゃねぇよ」
しばらくすると後輩講師がやってきた。当初の予定では模試は二人で管理するものだったため、少し遅れてきたことに意外性を持ちながら挨拶を交わす。
「あけましておめでとうございます。珍しいですね」
「遅れて本当にすみません!! おはようございます」
「大丈夫ですよ。……それより顔色悪そうですけど」
「大丈夫です。なんとかします……」
明らかにいつもと違いふらふらしている様子。頃合いを見て返そう。
簡単な仕事を任せつつ、留守電に入っていた欠席連絡と遅刻の連絡を一人で執る。
こんな仕事をただのアルバイトに任せるなんてふざけてる。
その他の事務処理もして数時間。
案の定後輩講師は倒れる直前のようだ。呼吸は荒く、このまま居ても受験生の体調に関わる。
塾長に連絡は付かないが……独断。
「先帰りますか?」
「い、いいんですか……?」
「大丈夫ですよ。塾長には伝えておくんで」
「あ、りがとうございます……明日以降の授業は」
「なんとかするんで、大丈夫ですよ」
「すみません……先に失礼します」
そうしてヘトヘトの後輩を返し、残る模試の業務を済ませ生徒を退室させた。
「俺三連勤だよな……? なんで初日からこんなッ」
虚空に罵声を飛ばして、三日後に飛んだ講師のシフトまで入ることになった。
珍しく塾長がケーキくれた。あの人って人の心あるんだな。
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――――一月七日、火曜日。
「やっべぇ卒論終わらない↑↑~~~~~♪」
休みに書けるはずが卒論は終わらず火の車。これが限界大学生。
最後の最後までこんな状況だなんて先輩にどんな顔を向けて資料を送ればいいんだか。
卒論発表まで残り二週間。提出まで相当な時間を切っている。
当時の先生は同輩の世話で忙しいらしく、先輩に半分見てもらっている始末。
今思うとこの時(否、それ以前)から相当面倒を見てもらっていた。
やはりウチの先輩は神。いなくなったら死ねる。
「落としたら死……落としたら死……」
「頑張れー」
光の速さで発表資料と要旨を作成し、事なきを経た。
そして迎える卒論発表当日。
の前に。
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「共通テストまで残りあとわずか。ウチの大学を目指すなら七割ぐらいは取っておきたいところ」
「……はい」
塾の担当生徒を相手に、重い言葉をかける。
持っている重要な受験生は二人。奇しくも同じ時間に個別授業を行っている。
高校三年生の大人しめな、弊学を志望している受験生と中学三年生の成績不振のヤンチャ坊主。
高校生の方も成績はウチの大学のレベルに届くか怪しく、どう転がるかはその時まで分からない。しかしながら少しでも良い望みを願ってしまう。
他人とはいえ腐っても二年は見てきた生徒だ。できるならば落としたくはない。
「ねー先生~これムズいって」
「それぞれの点数予想から中々厳しいことになるのは自覚していると思うし――――」
「ちょ、一旦トイレ行ってきていい?」
「難しいと思った問題はすぐに飛ばしていいから万全のコンディションで――――」
「ちょ先生って!!」
「あーもー分かったから!!! 行ってこい!!」
「マジ? あざす!!」「はぁ……ごめんね」
「いえ……」
小うるさい中学三年生が軽い動きで教室の外のトイレに向かう。
嘆息を吐いて仕切り直しながら、改めて状況を説明した。
どれだけ難しいかは当人が自覚しているはずだ。
その上でどうこうできるとしたら、あくまでこういう小手先のこと以外はもうない。
総括して話し終え、重苦しい表情をする受験生に精一杯の助言。
「頑張って。意外とどうにかなるから」
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ディスコードにて、とあるメッセージが届く。
「……げ」
『三月に□□先生呼んで演劇部飲み会するなら来る?
返信三分待ちます』
この世で一番大嫌いな人間からのメッセージ。深くは語る必要もない天敵だ。
一生会いたくない人間から書いてあるそれは、四年ぶりの高校の部員との再会を示したものだった。
(別に他の部員は嫌いじゃないし、行ってもいいけど……)
要注意危険人物がいる中で会話が弾むはずがない。日付次第で断ろう。
そう自分を納得させて、話だけ聞いてみる。
『合えば行く』
と返した翌日に
『三月九日になったよ~』
と返ってきた。
相変わらずだし諦めているけどこの人のメンタルどうなってんだろう。
知りたくもないけど能天気さだけなら世界狙えると思ってる。
予定出来たら即刻キャンセルしてやろう。
どうせすぐできるできる。
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卒論発表会
緊張しい空気を漂わせる中で、何を喋ったかは記憶が定かではない。
だがしかし、思ったよりも受け答えは普通にできて、なんだかんだ上手く済んだのは覚えている。
担当教授の最後の学生にしては、あまりにも不出来だったかもしれないけど。
教授は終始微笑んで褒めてくれた。
『戦ったぞーーー!!!!!』
その夜はカラオケに行って歌いまくった。
そんな楽しく、色々キリが着いた日の数日後――――。
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『祖母が亡くなった。明後日に通夜がある』
『――――わかった』
祖母の訃報が届いたのは、金曜の朝のことだった。
母の淡泊な連絡に薄い冷たさを感じながら、翌日の午後に帰宅すると返事する。
まるで事務作業を耽々と進めるかのような、そんな文章だ。
まぁ、父方の祖母だから少しは致し方ないだろうけど。
これまで散々言われていたことだ。昨年末の段階で年は越せないだろうと言われていたから、少しは伸びたのだろう。
だけれども、それでもなんというのだろうか。
窓の奥から見える曇り空を鮮明に覚えている。
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「最寄りに△△分に着きそう」
「わかった。上のお姉ちゃんが車出してくれるから、その足で葬儀場まで来てくれる?」
「了解」
電車の中で母親からのメッセージに返信する。
姉二人は祖母が亡くなったことに対してどんな反応なんだろうか。
次姉は少しは祖母に可愛くしてもらっていただろうが、俺と長姉は違う。
決して毛嫌いされていた訳ではないが、ここ数年はあまり会話もできていない。
祖母が認知症になってからは、祖母は俺や姉の顔さえ忘れてしまっていたのだから。
(着いたら泣くんだろうな)
電車に揺られながらスマホを眺めて意識を失っていると、いつの間には最寄り駅に着いていた。
改札を出て、見覚えのある車がないかを探す。
「……あぁ、居た」
運転席にいた、一年ぶりに見た長姉の顔を見て、げっそりしている様に思わずつっこむ。
「なんか疲れてそうな顔してんな」
「当然でしょ。お父さんが喪主であの子が話長ったらしくしてんだから」
「あの子……あぁ」
助手席に乗って嫌な顔を思い出す。長姉はとても疲れたように、眉間に皺を寄せている。
次姉は以前葬儀屋で働いていたことがある人物。中途半端に見識があるゆえに話が長くなっており、母と長姉はそれに拘束されて困っていたらしい。
聞けば葬儀屋の人でもないのに親戚縁者の茶出しや連絡をしていたそう。喪主が父ならまぁ無くはない話だ。
「とりあえず葬儀屋に戻るよ。その後もうお母さんとあんたと三人で家帰ろう」
「りょ」
相変わらず空は曇天なのに、雨は降っていなかった。
それ以上の話は葬儀屋で聞いた方がいい。恐らく葬儀屋に全員いるのだろう。久々に従兄弟と顔を合わせるなぁ。
元気にしてるかな。
祖母も――――生きてる内に見たかった。
涙を流すほどではないけど。なんだか――――。
うっすらと寂寥感を感じて、葬儀屋に着く。
焼香の匂いが嫌に香る。
「やっと来た。こっちこっち」
長姉に連れられて親族の控室に向かうと、母親が静かに俺を呼ぶ。
表情はとても普通で、でも僅かに少し不満げのあるような。
決して良くは思っていないような顔をしていた。
手招きされて向かった先には、伯母と従兄弟がくつろいでいた。
控室に着くなり、長姉は大きく嘆息を吐いてソファに向かう。
「あぁ〇〇くん! こんにちは」
「――――伯母さん、こんにちは」
「大きなったねぇ。今大学生?」
「はい、もう四年で。次大学院生です」
「そっかそっか。ごめんね、こんな時期に呼んじゃって」
「いえいえ! ――――それより」
「あぁ、おばあちゃんね、向こうの部屋に」
伯母さんと母に案内されて、祖母がいる部屋へ向かった。
次姉と父が見当たらないことから、恐らく別室で葬儀屋の人と話しているのだろう。父よ、頑張ってくれ。
今は祖母の兄弟姉妹は見当たらない。夕方から夜にかけて続々と来るのだろう。
言葉足らずの家族から、状況を察するのには少し長けていた。
思うところはある。が、それよりも一旦、悲しませて欲しかった。
「こっち」
「うん――――――」
部屋の扉だけが開かれて、あとは一人だけで入る。
顔は見えない。
白い装束で、いつも動いていた身体はぴくりとも動かなかった。
それを一目見た瞬間に理解し、心臓が縮む。
「――――――」
近くで、正座する。
何を考えればいいか分からない。
何をしてあげていれば、俺は満足していただろうか。
涙は出てこない。考える脳はしんと静まり返った凪のように落ち着いていた。
眼を閉じて、合掌する。
「……よし」
すくっと立ち上がり、扉を開けて伯母や母のいた所へ戻る。
父と次姉の姿は見えない。まだどこかで話し込んでいるのだろう。
通夜はまだ明日だというのにウチは大忙しのようだ。
長姉は母に先に帰る旨を相談していたようで、早い内に帰宅することにした。
次姉はどうやら祖母が入っていた老人ホームに祖父の写真があると聞いて取りに行ったらしい。お節介、とまとめたくなるほどに、自分自身も母や長姉の思考に染まっていた。
その日は両親のお金で長姉とともにスパに行って、唯一の一人の時間にほっとする。
「湯舟に浸かるなんて年明けぶりだ……沁みる」
外の冷気に吹かれながら、お湯に浸かる。
当然ながら葬式なんてその人の最期だ。質素も豪華もあったものじゃない。
だがそれを決める本人は既に亡くなっていて、誰に聞いてもそれは正解じゃない。
勝手に祀って勝手に自分たちが満足して終わり、だなんてただのイベントじゃないんだ。
それを知っているから次姉は動くし、それを知っているから長姉も母も何も言わない。言わないから不満が泡のように沸いて消えていく。
父は何を考えているんだろう。
「……辞めよ、堂々巡りに陥る」
まだ通夜ですら終わってない。色々抱えることは多くなる。
スパを出て、帰宅してきた父と夕飯を食べその日は眠った。
その日、次姉は帰ってこなかった。
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「午後から通夜だから、それまではゆっくりしてていいから」
「うん。そうする」
母からその言葉を受け取り、怠惰な午前を過ごす。
長姉も母も昨日の疲れが抜けていないらしく、家のクッションにもたれかかってゆっくりしていた。
父も珍しく起床が遅く、昼前から葬儀屋との話があるとのこと。
通夜や葬式だけの話ではないらしい。相続や老人ホームへの連絡。その他親戚事情が多数抱え込んでいるらしく心の余裕はなさそうだ。
次姉は結局東奔西走。何がしたいのか。
それは父には理解できていても、母や長姉はよくわからないまま。
特に長姉は不平不満をこちらにぽろぽろと零す。
俺はメンケア要員じゃないんだが……。
二度寝をかまして気が付くと、いつの間にか喪服に袖を通す時間になっていた。
午後の三時。
葬儀屋には一足早く父と次姉が着いていて、ぴっしりとした喪服に身を包んでいた。
それは後から来た俺や母達も同じ。
伯母の家族は葬儀屋に泊まっていたそうで、相変わらずといった表情だ。
こちらの家族は忙しく頻りに動いている反面、伯母の家族は叔母のみが父に付いて何かをしている。
珍しく従姉弟と話をする機会が訪れて、祖母の棺が会場に運ばれていく最中に言葉を交えた。
「そっち方の人らが凄い動いてくれて、こっちは何にもしてないわ。本当に感謝してる」
「ははは。姉どもが勝手に動いてるだけだから」
「〇○は四月から就職?」
「いや、大学院」
「おぉ~頭いい」
「いやいや……そんなことは。そっちは今どこで働いてるの?」
「今? 今は横須賀で営業」
「すご……」
「うちは今は神戸の支援学校で養護教諭」
「へぇ~」
知らない内に従姉弟は従姉弟で知らない道を歩んでいる。
それに比べて――――と思って半眼で自分に笑っていると、次姉に呼ばれた。
「あ、いたいた。アンタお姉ちゃんとおばあちゃんの兄弟の案内してね」
「……は?」
「詳しいことはお姉ちゃんに聞いてね。あ、二人もいたんだ」
「お、△△ちゃん」
次姉が突拍子もなく命令してきて、反論を唱える。
それを意に介さずに従姉弟に話しかけると、次姉は「そいえば今会場で焼香のやり方教えてるんだけど来る?」と軽い声で勧誘。
二人は
「そいえばやり方忘れて分かんないかも……」
「今伯母さんとお母さんとやるから、今来なよ。もうすぐお通夜始まるし」
「わかった。準備したらいくね」
「うん。お姉ちゃんも会場に今いるから、アンタも来な?」
「人のことをなんだと……」
ついに自分にまで仕事が回ってきて、額に手をやる。
俺は従姉弟をその場に残し、そのまま次姉に連れられて会場に向かった。
会場は既に
当然なのだけれど、自覚が薄れていた故に今一度実感させられる。
「連れてきたよ~」
「はいはい。――――〇〇、このリストの名前覚えといて」
「は?」
手渡されたの紙片に書いてあったのは、名前の載ったリストと、夕食や葬式の参加可否。
知らない苗字や名前の数々。祖母の兄弟縁者であると察するのにはそう時間はかからなかった。
「これ、おばあちゃんの兄弟のリスト。おばあちゃんの兄弟の配偶者とお子さん等の名前があるから。来たらこれと照らし合わせて名前覚えといて」
「わかったけど……名前覚える必要ある?」
「何言ってんの。お父さんの葬儀はあんたが喪主でしょ」
「――――ぁあ」
その言葉に、一瞬だけ逡巡してしまった。
そんな先のことまで考えていなかった。
今のことに手いっぱいで、今の感情が手から溢れてしまっていて。
考えてみればそれはその通りだ。長姉の責任感と、次姉の葬儀に対しての出しゃばりに自惚れていた。俺が長子なのだから、必然的に俺が喪主になるのは明白だった。
詰まった言葉を、すぐに流す。
「わかった。来たら一緒に案内すればいいんだな?」
「そう。あと夕食を食べていくかと、明日の葬儀に参列するかも聞かないといけないから覚えといて」
「ん、了解」
分からない名前は父に聞いて、必要項目を改めて自分の眼で確認した。
母や叔母たちは準備が整ったようで、またも控室にこもってゆっくりとしていた。
次姉は葬儀屋の人とプログラムを確認して何やら話をしている。
気付けば会場の前の空間に、祖母と祖父の写真が立てられていた。
かつて祖母の家に置いてあった、俺が生まれた頃に亡くなった祖父。
遺影として。ようやく二人が並んだことに何か心苦しいものを感じて目を逸らした。
しばらく待っていると、祖母の兄弟がやってきて姉と共に案内をする。
初めて会った人たちばかりで、何度も何度も「父と似ている」と言われる。
この人たちが、祖母と生活を共にしてきた人たちなんだと思うと、得も言えぬ感情を抱いた。
「……これで終わり?」
「そうね。これからすぐ通夜が始まるから。席に着くよ」
「了解」
そうして、粛々と通夜は行われた。
強く鼻を刺す焼香の匂いと、流れる曲が強引に暗い感情を呼び起こす。
焼香を行う祖母の兄弟や伯母はうっすらと涙を流して悼んでいた。
だが、それに対して俺の家族は誰も泣いていない。
感情をひた隠しにしている父も。
眼を逸らしている長姉も。
慣れてしまっている次姉も。
面倒と逃げる母も。
どれも納得のできる理由だった。
じゃあ自分はどうなのかと言われたら、分からないけれど。
多分そういうところは未熟なんだと稚拙に思う。
父は凛とした顔で喪主としての言葉を綴った。
最後は勝手に進行を取り仕切った次姉の言葉で閉会し、父と長姉、次姉は改めて親戚と葬儀屋に挨拶回りに向かう。
俺も当然それについていく。
そうして祖母の兄弟の話を小一時間ほど夕食の最中に聞いた後で、身支度をして帰宅した。祖母の兄弟はとても楽しそうに祖母の話をしていて、こういう人たちのために葬儀はあるのかもしれないと感じた。
安心感と反面、自分だけが祖母の死を納得できていない子供のような感覚がしてやるせなかった。まだ一人でも年下の、悲しみで泣き喚く子供が居たのなら自分の感情も変わっていたかもしれない。と、意味のないもしもを描いて一蹴した。
###
葬儀の日。
家族全員のだんだんと張りつめた意識はほどけていて、うなだれた顔をしていた。
それは他人からしてみれば全く分からないことでも、貼り付けた表情は身内からしてみれば容易に分かる。
次姉の横行に嫌気が差した長姉は面倒そうな顔をこちらにも向けてくる。
それに対して理解者の募れない次姉は俺に無為と思える注文を数々と投げる。
その様に呆れ果てる母と、現状の仕事に意識を奪われて家族のことなぞ知りもしない父。
本当にこれができた大人か……? と疑いたくなるくらいには、様相は朽ちていた。
(まぁ基本、他責思考だしな……)
とはいえ俺までもが不満を零しては決壊してしまう。
少しは悲しませる時間をくれよと思いつつ、葬儀の手伝いを行った。
といっても、葬儀の日まではそんなにやるべきことはなく。
相変わらず長姉についていき親戚縁者へ案内をして、火葬場へ行く――――と思っていたのだが。
葬式が始まる十分前。父が俺と従兄を呼んで葬儀屋の人と話す。
「喪主様とは別で、遺骨箱と位牌を持っていただく人が必要でして」
「それを二人に任せようと思ってる」
「……!? まぁ、分かった」
「う、うん」
急に呼び出され何事かと思えば、新たな役目。
父からも頼まれごとを受けるとは終ぞ考えなかったため意外だった。
考えれば納得はいく。
祖母の息子である父が喪主であるならば、血のつながっていない母や長男ではない姉たちに任せるよりも俺が最適であることは。
だけれど急な役回りに、口では平静を装いつつも思考が追い付かない。
それは従兄も同じようだった。
「〇〇には遺骨箱を持ってもらう」
「う、うん。でもそれはいつ? 俺どうすれば――――」
「それはその時また言うから」
土壇場男……。
さておきながら、葬式は始まってしまう。
棺の中に供花を添えるタイミングでは、伯母は改めて涙を流し、長姉と従姉は親戚とともに供花を入れていた。
俺もそれを行い、火葬場に連れていく直前、再度声がかかる。
葬儀屋の人から遺骨箱を託されて、短い説明を受けた後で火葬場についていく。
バスの先頭で隣に従兄を乗せて、火葬場へと向かった。
膝の上には、綺麗な意匠が施された遺骨箱がある。
「…………慌ただしいよな」
「……うん」
「なんか、見てる感じ〇〇は大変な役を引き受けてそうで」
「ホントだよ……上二人は俺に指示ばっかり」
「オレもだよ。お互い頑張ろうな」
「っ…………そうだね、頑張ろう」
珍しくしおらしい従兄の声を聞いて、少し意外だった。
この三日間で忙しなく動いていたのは確かだ。
それが自分を満足させるためのことだったかと問われれば、不正解ではないけれど正解でもない。
ただ自分で涙が流れないことに、未だに冷たさと無情さを抱いているのは嫌だった。
考えているとあっという間に火葬場に着いてしまう。
まだ自分自身の考えはまとまっていないというのに。
勝手にセンチメンタルになって、他人からの仕事も遂行できない。なんて人間にはなりたくはないと思っていたけど。
結局はうじうじして前にも行かず後ろを振り返っているだけの悲しき生命体だ。
窓に向かって嘆息を吐くと、少しずつ雲がなくなってきていた。けどまだ晴れるには数日を要するかもしれない。
バスから出て寒風に吹かれながら、施設の中に入る。
そうしてようやっと、祖母の顔を見る正真正銘最後の機会が訪れた。
淡々と葬儀屋の人が説明をして、僅かな時間を取る。
皆が祖母の顔をこれでもかと目に焼き付ける。
その時初めて、長姉が泣いた。
これまで一切泣いてこなかった人間が、だ。
それは母も次姉も、従姉も伯母も。
厳格だった父の顔もその時だけは――――。
そうしてようやく自分の鼻頭が熱くなっていることに気付いた。
視界がほんの僅かに滲んで、呼吸が粗くなる。
それはあまりにも遅すぎて、同時に今で良かった。
早過ぎたら、何もできなくなるだろうから。
あんなに人に冷たいと思っていた家族も、案外情に深いんじゃないか。
そうして袖で拭い、改めてはっきりと祖母を見る。
かける言葉は十分にかけた。もう何も言い残すことはない。
葬儀屋の人はゆっくりと、ゆっくりと棺を火葬炉に入れていく。
涙でまともに呼吸ができなくなる伯母を、従姉が宥めていると葬儀屋の人は静かな声で昼食の案内をした。
###
火葬が終わり、遺骨を遺骨箱に入れる。
最初に喪主が行い、そして遺骨箱を持つ役目の俺が入れる。
そうしてだんだんと、祖母が俺の手に持つ箱の中に入っていく。
だんだんと重くなっていく箱に、不思議な感触を覚えた。
そして最後の骨を入れ終えた後。
「それではこれにて、納骨は以上になります。先ほどのバスに戻り、会場の方へ案内させていただきます」
遺骨箱を慎重に持った俺と、位牌を手にした従兄が、葬儀屋の人と喪主である父の直後について車に乗る。
行きとは違い遺骨箱が重い。今、ここに祖母がいる。
それがこれまでは実感できなかったとしても、今なら理解できる。
言葉でも、行動でも。
バスに揺られている最中に窓の奥を見ると、雲の割れ目から陽が差していた。
隣の従兄も同様に外の景色を見ていたらしい。
「お、晴れてきた?」
「……うん」
従兄の行きとは違った声色に、親近感を覚える。やはり皆思っていることは同じなのかもしれない。
まだやることはたくさんある。遺影や遺骨はウチの家族が預かることになるだろう。場所の問題や三回忌、一周忌などの話も出てくるだろう。
だがしかし、今だけはこの気持ちを大切にしようと思った。
###
そうして一通りの葬式が終了した。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁつっかれたあ」
一人で家のリビングにあるクッションにダイブして、疲れをとる。
危うく寝かけるところに、長姉は半眼を向けつつ指摘。
「アンタは仕事がなくていいご身分だわね」
「言うても明日の夜バイトはあるけど」
「あっそ。私ある程度片付いたら帰るから」
「え? はや」
「あの子と一緒には無理。それに明日朝から仕事あるし」
「ふーん。了解」
「それと、お母さんから言われると思うけど」
「……?」
帰り支度をしながら、長姉はこちらを見て一言。
「四十九日は出るようにって」
「四十九日……? あぁ。今日からだといつ頃だ……?」
「日曜日とかだから……確か三月の九日」
「三月、九日……?」
###
「あまりにも早いピンポイントの予定、流石だったなぁ」
一月末。
腕を組み電車に揺られながらいる場所は――――京都。
理由は御朱印めぐりと、三ヶ月前に失くした学生証の回収。
学生証はあと数回しか使わないだろうけど……折角誰かが見つけてくれたのだから、回収はしておかないといけない。
ヘルプセンターの人から言われた期限は、「発見から三ヶ月――――一月中にはお願いします」と言われていた。
なんだかんだで忙しく、京都に赴く機会なんてなかったため、唯一できた休みだ。
朝一番にヘルプセンターに回収しに行くと「ギリギリの日ですね……」と呆れられた。とても申し訳ない。
「よし、メインの目的は達成したし、あとは自由に一人旅」
御朱印長にある御朱印は昨年にとった伊勢神宮の一つのみ。
そこから月読神社、貴船神社、下鴨神社、八坂神社、伏見稲荷大社と一気に五つほど集め、終わるころには身体はズタボロ、足は悲鳴を上げていた。
それも当然、これまでデスワーク――――――もとい
アルバイトも座り仕事で一切運動をしてこなかったインドア人間にいきなり外に出ろと言われたら死ぬのは目に見えている。
「流石に運動しよう……」
そうしてその日も、俺はラーメンを食った。
果たして俺が痩せる日は来るのだろうか。
――――次回、虚無の二月。
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